五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

パソコンがどうも自分の思うように動かない              

2014-07-22 08:50:16 | 五高の歴史
どうも家のパソコンの調子が悪くうまく作用してくれない。京文堂のともさんが大分修理もしてくれたが昔のように自分の手足のようには作用してくれなくなってしまった。
今、週一の五高記念館に出てきて今朝も記念館のここのパソコンで書いている。

出て来る時は都市バスの蓮台寺廻りの交通センター行きの七時二十九分上近見に乗りセンターで大津行きに乗り換えるのである。上近見から乗るのであるが、この時間帯に蓮台寺からか乗車して熊大へ出勤する人がある。学生はともかくこの早い時間の出勤であるから教育職ではないようだが昔で言うところの行政職であるのか、そんなことを眺めてのバスの乗車である。交通センターまで約三十分、八時発大津行きで大学前まで約二十分通算すれば約一時間の行程である。

昔の人は足が強かったのか、もう九十年も昔の事か伯母さんは竜田小学校の教員であったとかその時代近見から歩きが主で通勤していたとか月日の経過は早い、早い、大学の黒髪から竜田小学校へは歩けば又三十分もかかるか



ここでは久しぶりに五高の歴史を覗いてみることにする。昭和二十年の終戦前夜の様子を転載してきたが昭和20年には戦争は負けると殆ど確定していたのであろうが図書を
疎開させたと専門教育局長に報告している文書があったのでそれを転載する。

昭和20年6月29日付で五高校長より文部省専門教育局長へ             
重要研究諸施設防護等に関する件
発専95号を以て御通牒相成り候標記の件了承
右本校に於いては之しか計画を進め居り候処差斉り
重要図書の一部を左記の通り疎開致し条此の段及び報告候

一、疎開先  熊本県飽託郡松尾村中松尾  本校より西方3里の山間地
一、実施年月日 自昭和20年6月18日至6月27日疎開終了
一、疎開図書冊数 約7000冊
一、施設    土蔵坪数 6坪2階建て

発専95号   昭和20年6月1日  文部省専門教育局長から第五高等学校長へ
重要研究施設防護等に関する件
標記の件に関しては予め此の計画並びに実施方法に関する御配意中のことと存ぜらるるも最近に於ける敵機の空襲の激化の情勢に鑑み貴学に於ける重要研究諸施設は現に逐中の研究と実情とかねあわせ或るは一層の防護設備の強化し或るは一時適地に疎開する等の方途を講ずる要ありと認めらるるに付いては関係方面とも緊密なる連絡の上速に有効適切なる措置を採らるる様致し度此の段及び通牒