第3の天守と言われる宇土櫓の美しい石垣 大天守閣に小天守閣
しばらく熊本城についておるすにしていたので今朝から熊本城について北野熊大名誉教授の講演会メモを参照して考察していく
大天守,小天守、宇土櫓の建築の変遷について、
清正が築城した熊本城は、非常に櫓が多くそれも高い櫓が多い、瓦に慶長4年8月吉日の刻印がある物が多く,平瓦、丸瓦等はこれはふつう朝鮮瓦と言うが、熊本城は慶長6年(1601)~慶長12年(1607)に完成したと言われている。その朝鮮瓦には慶長4年8月吉日の刻印がある物が多いので清正は既に慶長4年には築城にかかっていると思われる。
お城の建築の土木工事は普請方であるが建築工事は作事方である。これらは滴水瓦と言われこの時代の瓦の文様は加藤家の家紋である。
慶長5年に清正の女山の普請という記録がある。歴史学者森山氏の説によれば、女山は現在の第一高校あたりの地かと思われこれが石垣の普請と言うことである。女山は元の城にて清正は男山にかけて縄張りを巡らし、その後男山と一緒にして、宇土櫓の所を女山、大天守のあった方を男山と考えた方がいいようである。
この時代はまだ清正は小西との間で肥後の半分ずつを領していた、いわゆる半国領主の時代で、慶長3年から宇土櫓を加えた全体特に一国領主になってから男山を加えた全体を含めたものをいう様になったと考える方がよかろう。・・・明日へ続く
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