五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

いかめしき門を這入れば蕎麦の花

2011-04-08 03:42:58 | 五高の歴史
黒本教授が習学寮12境記を表したことと時期を同じくして漱石が秋季雑詠を作っている。ここで掲げるのは桑野豊助(文科3年)氏が「夏目漱石氏俳句の熊本時代と生活の片影」と言う論説を龍南会雑誌169号に発表している。この中に漱石の明治32年秋季第五高等学校秋季雑詠として読んでいる20首の句がある。これを現在と比較して掲げて行くことにする。

学校  いかめしき門を這入れば蕎麦の花
     粟みのる畠を貸して敷地なり


    

    

 学校という所で2句があるがこの門が現在通称赤門と称されている熊大の正門である。昭和44年に校舎とともに国の重要文化財に指定されている。この門を這入って構内に這入れば蕎麦畑があり、粟の畠があった。この地帯は畠であって、民間に小作させていた、中門までの一帯について、大正12年の会計監査で確か土地を民間に貸し付けたりしているのは土地が広すぎるので処分せよと言う監査報告を受けている。そのため当時の校長が取得の時の事情から対応に苦慮して利用計画を表して五高の事業に必要な場所であることを強調して監査質問に回答している

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