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熊襲の故地
色は黒でも熊襲の子孫
剛毅朴訥、ありのまま。
心ゆくままなる酒池肉林の栄躍も、筑紫九国の草さへ磨く秋霜の権勢をも、おのれ討つべき父大君の宣命のまにまに、西の方遥かに山河三百余里、寂しくもひとり下り給ひし世にもかなしき日の皇子の御勲功のため惜しからぬ生命にそえて奉らんと,従容としてうら若き宮の刃に滅んだ熊襲武といふ男は,天晴、黒潮の香、南風に薫ずるみんなみの国にふさわしき血の気の多い男の兒であった。
熊襲滅んで既に二千年、改まりゆく世紀を貫いて終日終夜、大阿蘇の煙まじりにふる霾(な)のしろく霧のごときに、賊徒が往古の歌舞の地は沃土の下に埋もれて訪れるよしもない。沙はれ、菜の花黄に匂う春の夕まぐれ、百舌鳥啼きしきる秋のかはたれ、変調をあげて悲しき、古の賊魁の心を偲びやる若人の唄をきけば、更に悲しみがまさる。
弱い皇子ゆ江、命もすてた
わしが熊襲は、よか男。
火の国の東にそそり立つ阿蘇の火の山、むかしは、猛けき熊襲の族も夜宴の杯をおろして涙たたえ、遥かに秋の夜の闇をこがす山の炎を眺めたであらう。その大阿蘇ヶ根のふるきくだけの一角より源を発して,千古の謎の不知火の海にそそぐのが白川である。くろき沃土を縫うてゆく銀色の流れのかたほとり、熊襲の紅き血を受けた人の兒らが築きあげた小さい街がある。「街」の名の「くまもと」口ずさめば、古き伝説のかなしき思い出のために淡き憂いを牽く。
熊本は三四郎の本場である。若い三四郎たちは、強くて弱い、ありのままなる悲しき賊将の心をしたって「熊襲の子孫」と唄う。
熊本とはどんな所であらう。過ぎ去った古い過去の扉をかかげて、顧みるまでもない。熊本はげに不可思議にとんだ町である。そこには四百年の以前に既にクリスチャン・ネームをもった藩主が居り、その頃立派な羅甸語の文章をつづって遥かに西欧の文明に憧れたお姫様がおわしたのに,一方明治も既に九年といふ時に、
夜は寒くなりまさるなり唐衣
うつに衣のいそがるゝかな
と叫んで驀地、唯々神勅のまにまに烏帽子垂衣に身を固め、今の世を千早ふる神代のいにしえにかへそうと、金城鉄壁に切り込んだ清教徒,神風蓮の出現があった。それに拘わらずその翌年のこと、西南の役に賊徒に味方して討死した熊本隊のさる若い男の褌からは、血に染んだルソーの民約論が見出されたといふ話である。
熊本はげに矛盾にとんだ所である。
是も明治の初期、西洋風の凡ゆる新たな習俗が異端の如く忌み嫌われて、紙幣を箸で取扱ったり、電線の下を扇をかかげて通っていた頃の話。二三の若衆が美少年を逐うて警官に追われて、さる士族の四十男の家にその身の隠匿をたのんだ。洋装の巡査は彼等にとつて親の仇よりも悪かった。
「命にかえても、拙者がお引受申した」果してやって来た巡査との押問答の末,抜ぎ散らした若衆達の下駄から、士族の旗色いよいよ危くなったので、
「下駄は下駄じゃ。知らぬと申せばこの通りじゃ」
と刃に腹一文字を掻切理、。千古萬古再びすべからざる命を捨てたと云う話である。然るにその時には、そこに有名なる基督教主義の英学校なるものがあって、うら若い信仰家たちは花岡山に相擁して眼下のあわれむべき民衆のために熱烈なる祈祷をささげ、新日本の霊光はこの地より、と力んでいた。
熊本はげに妙な町である
私たちが大学に来てから、他の高等学校出の人からこんな質問を受ける。
「熊本では、撃剣か柔道かの目録相伝の人でなけりゃ、嫁にくるものがないというじゃないか?ありや本統か」
「馬鹿野郎」
と打ち消して仕舞うけれども、馬鹿に宏壮すぎる武徳殿には、毎週一回「ためし切り会」なるものが開かれる。老若多数の攘夷達はうれしそうに秋水の冷やかな切れ味を嘆美している。勿論、人間を斬るものではない。
熊本は尚武の町である。
若人の住む五高の中にすら,神風蓮の縁者子孫から成る会がある。熊本の人は神社の前を通る時、頑是ない小供までが恭しい礼拝を怠ることをなさない。
熊本は敬神の町である。
かくの如く、極端な保守や、極端な急進の主義を奉じながら偏狭な形而上のことに親しんで居る間に,彼等はいつの間にか溌溂として一瞬滞ることなき現代といふものから遠のいて行く。「九州一の大都会」
といふ古い鉄道唱歌の追憶は、中年者の市民たちの幼い頃の強い誇りであつたとしても、現実に於いてははかに過去の幻影にすぎない。目貫の町にも藁屋根がつらなり、市街の中を情けない悲鳴をあげて古い軽便鉄道が躍るように揺れて行く。買物に行った客人は傲慢なる番頭に
「有難うございました」といって帰って行く。
五高、裁判所、専売局、電燈会社。それから二三の共同便所,之が昔ながらの物珍しい煉瓦の家。増すにあらず。滅ぶにあらず。工業の盛衰を知るためには工場の盛衰を知るためには工場の汽笛を聞かう。この地に於いては羅宇屋の小さな汽笛に耳を引きかかる。
熊本は今や、陰鬱なる暗みのなかに屍蝋の如き静かなる眠りをつづけている。
諸君は、この日進月歩、適者生存の世智辛い世の中に於いて、この力強い自然の大法をうらぎって、未だ廃滅に瀕するといふにあらず。否、之といふ苦しい衰退を示すのではなく云わば穏やかな現状維持の状態をつづけてゆくのを不思議に思うであらう。
実は熊本は学生と兵隊さんの都である。
六萬内外の人口に対して、一師団の兵隊さんと、五高,工高、医専、薬専との四専門学校のほかに、二十にあまる諸学校を抱擁し乍ら、たとへば上簇蠶のやうに、学生と兵隊を桑の葉として、いとも快い飽満の眠りを貪りつづけている。
白楊の枝の影暗い店々の主人,閑散な会社や役所の中に威張りかへつた鰌髭。どの顔にもみな満足しきった。白痴の兒の表情を思わせる感じのみが、若い学徒の憫みを誘う。
三四郎のふるさと、五高はかくの如き町の郊外、龍田山の南にある。然るが故に「龍南の健児」と称する五高生は、自ら傲然寵兒として生活を営んでいる。
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