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7、どうして土壁があるのか・・
土で作った壁のことで、まだセメント等のない時代で、防火のためにも土壁を設けた土の時代である。壁、屋根にも土を利用した
11、熊本城の天守の特徴は
熊本城の特徴
武者返し、ねずみ返し、扇の勾配、銀杏のカーブ・・・・石垣外壁の曲線で、阿蘇の火山灰を多く含んで土質が軟弱さを知った上で120もの多くの井戸を作ったそれが外壁曲線の採用、櫓の数の多いこと、49の櫓、3階以上の櫓が多い
天守、櫓に黒塗りの下見板張を多用しているので素朴で、男性的な感じを与える。
大天守の床全体に、石落とし装置を設置、忍び返し、狭間、の防衛設備、城内の石段の幅が異常に広く、或は急であること。複雑に入り組んだ城壁の配列等々の実戦的な工夫がなされている。篭城に備えて飲料水の確保のため多数の井戸を掘り、生木でもすぐに燃えるような樹木を多数植えたこと。乾燥食品を豊富に貯蔵していたこと。
熊本城は近世城郭である。この近世城郭は安土城から始まったと言われ、大阪城、江戸城をはじめとして、全国各地で建築された。
熊本城の石段
攻めにくさが名城のひとつの条件であるが、石段は一段一段の奥行が意図的に異なるように作られている。上るときには歩幅を頻繁に変えなければならないように、スムーズな進行が阻止されるように工夫されている。
加藤清正が火の国・肥後に入り熊本城を築城する。熊本城は当時の防衛力としては最高の城であった。「はね出し」と呼ばれる石垣積みの工法は、当時のどの城もおよばなかった。それほど堅牢な要塞を築かせたのは、薩摩の島津を制圧するための戦略防衛の地であったからである。この戦略は、秀吉から家康にそのまま受け継がれた。この要塞が本領を発揮したのは、明治時代に起きた西南戦争のときであった。
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