五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末  2002 

2010-10-02 03:39:57 | 五高の歴史
八月二十七日 火 晴
 八月も最後の週になり朝夕は少しは涼しくなった感じ。今年も館内案内ボランテイア養成講座を開催されるようで・・・・・・。
開室は八時四十五分、館内案内ボランテイア養成講座より先の公開講座をより充実したものにする方がいいと思うのだが?俺が知ったことではない事か

今日はTKUの広報製作部長が中村汀女の特集を組んいるとかで、五高の江津湖における文科・理科の対抗ボートレースの写真を見に来るといっていたが、整理室はカビの匂いが酷いので廊下の窓、キャビネの戸を開放し扇風機で風を送り匂いを消すように努める。特に昨年からは友の会の事務も行っているのでどうも清掃・整理のほうには身が入らなかった。

忘れた頃に友の会の会費の納入があったりするので消し忘れがないように注意しなければならないので面倒だ。
国際コンベンション協会案内ボランテイアの三期生を記念館友の会会員に入会させると張切っていらした御仁があったが一人として入会した人はいやしない。何を思い出されたのか、例の田代美智さんが来るといっていた。

開室まもない九時過ぎTKU杉山幸広製作部長とか裏のほうから顔を出した。何時来るとはっきり言ってあるならこちらもその心構えで待っているのであるが勝手に来て貰うと甚だ迷惑だ。どうせ俺が資料についてはこれこれと言わないと困ることであるじゃないか・
百周年記念祭のときの写真帖の中のものに付箋をつけておいたのでそれを見せる.色々の話の中で制作部長も面倒なことは嫌なようだ。室原先生がこう言った、あ言ったといっていたが、室原亥十二先生は、五高のボート部の先輩だが現在の記念館の状況がどうなっているかご存知ではあるまいから勘で言ってもらっても困る。管財係長を呼び出し撮影許可の申請を出させるようにした。

話は変わるが重要文化財の設計図、記念館等の資料の管理について文部省からお達しがきているとか、東京の区博物館の林芙美子の原稿が持ち出され競売に掛けられそうになったとかで文部省も注意の喚起を行ったそうである。重要文化財設計図については、三十日八万円で複写を頼んだので取りに来るそうでケースのカギを係長に貸し鍵穴を教える。

十時半過ぎセンターへ熊本印刷センターからニューズレターの原稿が返ってきていた。

百周年の時の写真帖作成のためのネガフィルム三十六枚、これを元の鞘に返しておくため督促していたのだ。
大分埃も出たようであるが清掃はしたくない。

久しぶりに習学寮史を読んでみる。気になったところを書き留める.龍南・龍陽・…共に龍田山の南・・意味は同じ…龍陽といえば男色を意味するとか.・中国・魏王がその幸臣龍陽という少年を寵愛したと言う故事から起こったものだそうである。

建設当初の施設から・敷地五万一千三百六坪六勺.購入代金一万三千百五十七円十七銭六厘、煉瓦造り二階建、二八四坪…二万四百五円二十二銭二厘・明治二十二・二月起工。明治二十二年八月竣工とある。
習学寮史は五十周年史等に比ぶれば内容は解り易い、寮史編纂部と言う生徒が中心となり編集したものであるからだろうか。

漱石とどうじゃこうじゃと比較される長谷川貞一郎教授について、勤続二十年の祝賀会関係綴り、退職後の弔意金綴りを引出し何か目新しいものはないか調査する。何も目新しいものは出て来ない。結局編集したときと同じで、どうしてこの先生ばかりだいだい的に祝賀会が行われたのか、退職後も十周年も経ってから弔慰金の募集が行われたのか、疑問が残ったばかりであった。その他何か珍しいものはないか調べたが、職員願書綴りに中にビートナーやベンクシュテルンの在職証明をくれと言う文書があったがこのことについては上村先生にでも今度聞いてみようかと思った。

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