五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末  2002 

2010-10-01 04:50:50 | 五高の歴史
八月二十日 火 晴
 八月一周目、二周目は休んでくれということで、久しぶりの出である。しかし三日,十日の各土曜日には第四回記念館講座ということで出たし、七日の水曜には青年の船同窓会ということで案内を行ったので、あまり休んだという気はしない。

しかし昨年に比べるとはるかに楽ではあった。友の会の立上げ準備、それとシルバーの当番と忙しかった記憶がある。
今年からは学生の夏休みは八月と九月ということで何かおかしい感じ、まあそれはそれでいいか! 
何時ものように七時四十分に出発する。今日は重要文化財に指定されている記念館の設計図を図書館の古文書保管庫の中に格納してもらうとかと管財は言っていた。俺にとってはどうでも良いことである。そのためカギを見つけて出さねばならない。

保管場所は確か秋月胤永が名前を付けたという山崎啓さん寄贈のキャビネの中に入っているらしいことは聞いた事はあるが見たことはほんの一回しかない。開けてみる必要もなく又見る必要もないのでそうなったのかもしれない。

一九九九年か北野教授の所から記念館に関する報告者が出してある。撮影のためにこのとき出してあると管財は言っていたがそうであれば俺は知らない。頑張ってカギを探さなければならない。
夏休みの故か到着は一〇分。岩岡館長は九時過ぎにしか出てこないと言っていたので管財からカギを借りてきてからでいいか。管財では柏木嬢のお礼状が来ていた。

昨日は文学部のオープンキャンパスがあったそうでカギはそのまま担当者が持っているそうである。五十五分開室する。

設計図の保管庫のカギが開いたら連絡するといっておいたので、三十分ばかりかかりカギを合わせ連絡する。管財係長やってきて枚数を確認する。
十時も過ぎたので館長のところへ行く。郵便振替一通貰う。

ボランテイア森世話人が自分で三期生を入会させると三十部作ってくれといたので配布したが、ただ一人として友の会に入会する者は居ない。俺自身は入会する者は居ないと感じていたので作成も気が進まなかったものである。

習学寮誌のコピーしたものを今江先生からだということで一冊預かるキャビネの中に入れておけばいいか。

世話人会の開催日を打合せる。空いた日で平山代表世話人に連絡しておこう。世話人は電話では連絡がままならないので往復はがきで連絡することにする。

管財係長は重文の報告書の順番に並べておきたいとやって来た。折角あわせるのであればやりましょうとその順序に纏めさせる。十一時過ぎたころにようやく並べ替えが出来た。あとでカギ窓閉め行いますと、一応そのままの状態にして昼食をする弁当持参のため楽である。二階を元の状態に反し、郵便局へ往復はがきを買いに行く。ケースのカギを開けたり閉めたりで大分草臥れた感じ。午後は館内を少々デジカメで撮影して歩く。習学寮誌の先日からの続きを読む。ラジオを掛けているが高校野球の準決勝、勝ちは和歌山の智弁と高知の明徳義塾か明日はテレビで見るか?今日も又ばたばたで三時も三十分過ぎた。

龍田山苔園

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