五高歴史の中では幾つかの暗い悲しい過去があるが、特に高等学校令が改正された昭和18年9月22日学徒出陣の命令が下った。文科学生の召集免除が猶予されていたものが破棄されたのである。学業半ばにして出征という事で、中央の出陣式は雨の東京神宮外苑において開催されたことは、昔のニュース記録で放映されるテレビを見られた方も多いことだろう。これは戦時期における最大の暗い悲しい想い出であろう。五高においては昭和18年10月13日学業生活半ばにして戦場に赴く学徒を送る壮行会が行われている。当時の悲壮で切迫した世情と純情な若者の心情を察するに感慨無量のものがある。現代の若者がこれをどのように受取るかは各人各様であろうが、再びこのようなことが絶対に起こらないようにしなければならない.
学徒出陣
第二次大戦末期の昭和18年(1943)以降、兵力不足を補うため、それまで26歳までの大学生に認められていた徴兵猶予を文科系学生については停止して、20歳以上の学生を入隊・出征させたこと。
学徒出陣(がくとしゅつじん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1943年(昭和18年)に行われた、帝国大学令及び大学令による大学・高等学校令による高等学校・専門学校令による専門学校の理工系と教員養成系以外の文科系学生の徴兵適齢者(20歳以上)の徴兵猶予を停止し、軍に強制入隊させた措置です。
この措置は、主として陸海軍航空部隊の下級指揮官の不足を補うためと、徴兵猶予に対する農村を中心とする「金持ち優遇」(当時の大学進学率は3%)との批判を抑え、挙国一致体制を確立する事を目的に、43年10月1日(9月21日の定例閣議決定)に勅令755号として「在学徴集延期臨時特例」を公布、文科系学生の徴兵猶予(在学者は満26歳になるまで徴兵延期する措置)を停止するものであった。約13万人の文科系学生は、10月25日から11月5日に徴兵検査を受け、合格者は(全員休学届を出して)陸軍に12月1日、海軍には12月10日に入隊した(そのため、日本中の文系大学が空になるという未曾有の出来事となった)。ただし、大学院や研究科の特別研究生や医、理、工、農などの学生は入営延期が認められた。これにより、大勢の若い優秀な前途ある男子が南方戦線の激戦地へ学半ばにして送られ、戦死させられることになりました。
昭和18年(1943年)12月に入隊した学徒兵は、陸軍80931名 海軍17907名 とされ、徴集延期者も33566名存在した。なお徴集猶予停止措置により1945年(昭和20年)8月15日の敗戦までに入隊した学徒は約30万人に及んだ。入隊することになった学生は、陸軍甲種・乙種幹部候補生や、海軍予備学生・海軍予備生徒として、不足していた下士官や下級将校の充足に当てられました