時代の流れか、五高記念館に資料の調達を全国の同窓生に呼びかけられた遠山さんの訃報を新聞紙上で発見したので今日葬儀に参列してきた。
遠山様は戦時中の昭和二十年の五高文科卒であり、その後は九大に進まれ、鋼材屋である博陽工業株式会社に就職されたもので、今日の社長弔辞の挨拶の中で言われたようにその公私にわたる努力は大変なものであったようである。
我々が学ぶべきものは五十歳を過ぎてから所謂、韓国語の豆短を作成されたと言う。そして公民館で韓国語を教えておられたということであった。
しかし人間は死は必ず迎えねばならない事柄であるのでその人生を如何に終わらせるかも考えねばならない事であろう。
最後に会ったのはたしか今年の植木西瓜を食べて下さいと持ってこられたときであった。お礼として俺が撮影した五高記念館の風景、赤門の様子等を冷蔵庫のドアにでも張って眺めて下さいと送った事であった。どうか安らかにお眠り下さい。 合掌
前列右から二人目
遠山様は戦時中の昭和二十年の五高文科卒であり、その後は九大に進まれ、鋼材屋である博陽工業株式会社に就職されたもので、今日の社長弔辞の挨拶の中で言われたようにその公私にわたる努力は大変なものであったようである。
我々が学ぶべきものは五十歳を過ぎてから所謂、韓国語の豆短を作成されたと言う。そして公民館で韓国語を教えておられたということであった。
しかし人間は死は必ず迎えねばならない事柄であるのでその人生を如何に終わらせるかも考えねばならない事であろう。
最後に会ったのはたしか今年の植木西瓜を食べて下さいと持ってこられたときであった。お礼として俺が撮影した五高記念館の風景、赤門の様子等を冷蔵庫のドアにでも張って眺めて下さいと送った事であった。どうか安らかにお眠り下さい。 合掌
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