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韓国中央日報の「近代日本が独島を朝鮮領と認めていた」という記事に対する疑問

2012-08-30 23:14:00 | 明治
「独島は朝鮮の領土」 日本近代地理教科書も明示 Joongang Ilbo 中央日報
この記事によると1887年に日本文部省の許可を受けて出版された地理教科書『新撰地誌』に掲載された「日本総図」では鬱陵島と独島(日本名:竹島)がともに「韓国(朝鮮)の領土であることを示す横線の中に入っている」らしい。
写真で示された地図を見るとこの横棒は海岸線の周りを覆うように、海の上に引かれた多くの横棒の縞模様であり、中央日報では朝鮮半島の周りの横縞の中に独島と鬱陵島が描かれているので「当時の日本人は独島と鬱陵島を朝鮮領と認めていた」とはしゃいでいるようだ。
しかし、この地図で、陸の周りの横棒がその国の領海を示しているかどうか疑問だ。これは大陸棚のような海岸の浅い部分を示しているようにも見えるし、そもそも日本列島、朝鮮半島、中国大陸からある程度離れた海域には横棒が描かれていない。日本海の中央も横棒がない。そうなると日本海中央は日本領でも朝鮮領でもなかったことになる。
しかもこの地図だと済州島は朝鮮側から伸びた横縞に含まれているが、津島は日本の九州から伸びた横縞に含まれているように見える。では韓国の一部で対馬までも韓国領としている(日本の神社の絵馬に韓国人が朝鮮語でそう書いたケースがあるらしい)のは「誤り」になる。

明治維新100年と辛亥革命100年

2011-12-21 16:31:00 | 明治
『水戸黄門』が始まった1969年は、1868年の明治維新から101年後だった。
『水戸黄門』終了が辛亥革命(清朝崩壊)から100年というのも何とも奇遇。

1911年の辛亥革命の翌年が中華民国元年なので、辛亥革命100年は民国100年に一致する。

明治維新から100年後は1968年で、これは明治の元号で言えば明治101年である。
明治100年に相当するのは1967年で、1867年の大政奉還から100年。

日本では1968年に明治100年のイベントがおこなわれたらしいが、本来は前年の1967年に「大政奉還100年」と「明治100年」のイベントをすべきであった。

厳密に言うと2011年は辛亥革命100周年、中華民国100年目。
1967年は大政奉還100周年、明治維新100年目である。

明治の末年は明治45年(1912年)で、明治45年が大正元年である。
つまり明治は明治元年から明治45年まで44年続いた。
『水戸黄門』が明治維新から101年後に始まり、終了が辛亥革命から100年後の年。
これは『水戸黄門』の43年の長さが、明治時代の44年の長さとほぼ一致するからだ。

なお、『水戸黄門』の映画の最初は明治末期の1910年からのようなので、テレビの『水戸黄門』終了は映像作品としての『水戸黄門』の歴史が101年で終わったとも解釋できる。

それは昭和の時代劇の終焉とともに、江戸時代の講談から続く『水戸黄門漫遊記』の200年ほどの歴史の終了であると同時に、21世紀の『水戸黄門』の10年の歴史の終了でもあった。

1969年の『水戸黄門』スタートは、喩えて言えば辛亥革命から100年余り過ぎた時期に、清朝の皇室の人間を英雄にする中国時代劇をテレビでやるようなもので確かに時代錯誤だ。
しかも明治100年のイベントが1年遅れて挙行された、その翌年で、それで徳川の権威を復興させようとするドラマは確かに時代錯誤であっただろう。
辛亥革命100年 中華民国100年 - Google 検索

行こかウラジオ、帰ろかロシア、ここが思案のインド洋

2011-12-18 20:02:00 | 明治
行こかウラジオ、帰ろかロシア、ここが思案のインド洋」

『坂の上の雲』で出てきた文句。

『坂の上の雲』では戦闘シーンが凄い。
末端の兵士がたくさん死んでいることがわかる。『巨人の星』でもアニメで描かれた。

一方、大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』では関ヶ原の合戦シーンが割愛された。その前の山崎の戦い(羽柴秀吉と明智光秀)でもそうだった。
これは田渕久美子氏が橋田壽賀子氏と同様、戦のシーンを嫌ったからであろう。
鈴木嘉一氏の『大河ドラマの50年』によると、橋田壽賀子氏は『おんな太閤記』のとき、スタッフに合戦シーンを省くよう要求した。女は人が殺されるシーンを見たくないからだそうだ。

女性が主人公で女性が脚本を書いた大河ドラマは戦のシーンが少ないホームドラマになる。
大河ファンは中高年の男の視聴者が多く、これでは視聴者が先細りするので、スタッフは否が応でも「女性と若者」を対象にするようになった。

しかし、NHKの大河のスタッフの中には戦闘シーンを描く骨太の歴史ドラマを描きたい人もいるだろう。反戦思想を訴えるには戦争の残酷さを描いたほうがいいということもある。
『坂の上の雲』はそのNHKのスタッフの欲求不満を發散させた作品のように見える。

『江~姫たちの戦国~』は言わば序章で、年末の師走の『坂の上の雲』こそが本盗の大河ドラマだろう。
むしろ『坂の上の雲』が年末に放送されていた時期の大河は、かつての『琉球の風』と『炎立つ(ほむらたつ)』のような2本立てと解釋したほうがいい。



『蝶々さん』

2011-11-26 04:05:00 | 明治
蝶々さん』後編はまず1936年(昭和11年)の『蝶々夫人』の舞台から始まり、そこから1892年(明治35年)に話がさかのぼる。

伊東蝶(演:宮崎あおい)は三浦絹(演:ともさかえりえ)とその夫・寛治の逃亡を助けるが、夫はのちに死去。
蝶々は絹と同居を始める。

伊東蝶が結婚したはずのアメリカ人・フランクリンは、実はアメリカに本妻がおり、伊作(演:伊藤淳史)がそれを突き止め、日本に来たフランクリンにお蝶と会わないように忠告。

お蝶とフランクリンとの間の息子・ジョーはアメリカに預けられた。
その後、蝶は自害。

1894年(明治27年)の日清戦争の直前と思われる。
篤姫は1883年に他界したのでその約10年後であろう。

1936年(昭和11年)の『蝶々夫人』の舞台を観ていたのは伊作(演:野田秀樹)で、彼が話した若いアメリカ人はジョーであった。ジョーは『葉隠』の一節を日本語で暗誦し、伊作に感謝して去って行った。

『純情きらり』の桜子は1920年生まれなので、1936年当時には16歳になっていた。

関連語句
篤姫 日清 純情きらり

1911年10月10日

2011-11-22 22:07:00 | 明治
辛亥革命。
溥儀は5歳だった。

『蒼穹の昴』の最終回で、西太后の死後数年で清朝が崩壊したとナレーションで告げられている。

満洲からの帰国者は、中国やロシア(当時はソ連)が満洲の移民に対しておこなった略奪などについては「自分たちは侵略者だから」ということで恨まず、日本政府が責任を取るべきだと主張し、中国やロシアの立場になりきっている。しかし生活の場は日本がいいと考えているのだが、日本政府としては満洲にいた邦人も日本政府も同じ「日本」であるから、ここで認識が食い違うだろう。
大黒屋光太夫やジョン万次郎は日本列島での共同体に戻りたくて鎖国時代の日本に帰国し、今度は自国の幕府が壁となった。その意味で帰国者が日本の共同体を求めながら日本政府を批判する気持ちもわからんではないが、満洲への移民は漂流民とは違う。
帰国者や二世、三世の生活をどう支援するかという問題は、中国からの留学生への支援と同様、個人レベルでやる意義はあるが、それが歴史認識や過去の清算という問題に結び付けられると、結局、日本国民の反中国的な人からは、帰国者やその支援者が中国政府に利用されているように見えてしまうだろう。

2013年10月07日 - Twilog
@lord_virezect 愛新覚羅溥儀を少しでも知らないと「蒼穹の昴」の最終回を見ても、西太后没後に中国がどうなったか理解しづらい。
posted at 23:29:52
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2011年11/22(22:05前後23:17前後

関連語句
溥儀 蒼穹の昴 辛亥革命