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▲日韓併合、ハレー彗星

2008-02-28 15:51:00 | 明治
▼日韓併合、ハレー彗星(『LOST MEMORIES』、、『虹を架ける王妃』、『ドラえもん』)
1909年(明治42年)、伊藤博文がハルビンで安重根(An Jung-Geun、1879~1910)によって暗殺された。安重根は苅谷嘉顕(かりやよしあき)のかたきを討ってしまったことになる。

伊藤博文と安重根については日本と韓国で映像作品になっている。日本ではTBS『風が燃えた』で伊藤博文とその妻の若いころを三浦友和、山口百恵が演じた。
安重根のしたことは特攻隊、または万歳突撃と同じで、星飛雄馬、ラスト・サムライ、赤穗浪士の精神である。

喩えて言えば、「終戦」直後の日本で、もし、ある日本人がマッカーサー
(MacArthur、1880~1964)を暗殺していたら、GHQの支配は5年ですまず、日本はアメリカの州になっていただろう。伊藤博文は韓国をいずれ独立させるつもりでいたらしい。

また、安重根の場合、明らかに計画的な犯行だったが、某テレビ番組で観た記憶では、安重根の辯護士が「安重根は伊藤博文に対する誤解から、一時的な感情で犯行を犯した」と主張した。これは吉良上野介に斬りつけた浅野内匠頭に対し、目付けが「乱心でござろうな」と念を押したのと同じで、現代で言えば「責任能力の缺如」を理由にして犯人を無罪、または減刑にしてもらう策である。しかし、安重根はそれを拒否し、自分の主張を演説しまくって、処刑されたらしい。

浅野内匠頭も「乱心ではない」として切腹の道を選んだ。遺憾ながら、今の法廷ではそういう信念を貫き通す人間がほとんどいない。辯護士の入れ智慧で、「殺意がなかった」、「精神喪失状態」で逃げる者ばかりであり、なにが正しく、何が悪いかが、法廷という茶番劇の場ではそっちのけになっている。

映画『LOST MEMORIES』では、安重根が伊藤博文暗殺に失敗した場合の歴史を描いている。それで、日韓併合は100年続いたらしいが、伊藤博文は日韓併合に反対で、安重根による伊藤博文暗殺が併合を早めたという説もあるので、安重根による伊藤博文暗殺が失敗したら、逆に日韓併合がなかった可能性がある。

1910年(明治43年)、日韓併合。日韓併合は「国際社会」から認められたものだったが、その「国際社会」は戦争や植民地支配を繰り返してきた国々であった。その「植民地支配」も単なるコトバであって、新羅も高句麗と百済を植民地支配し、秦も楚や趙を植民地支配し、モンゴルもシナを植民地支配し、日本も朝鮮だけでなく北海道と沖縄を植民地支配した。「侵略」と「植民地支配」は既成事実となって固定化すれば「国家統一」となる。

安重根による伊藤博文の暗殺が韓国の独立でなく逆の併合を招いたことは、のちに「日本国憲法」で禁じる「武力による国際問題解決」が事態を悪化させる例であった。つまり、事後法とはいえ、安重根の行為は憲法9条違反であった。一方、ほとんど抵抗できずに殺されたのが沖縄と満洲で日本人が味わった悲劇だった。日韓併合は、併合そのものが悪かったのか、併合の方法が悪かったのか、そのあたりが曖昧になっている。

併合が悪なら、新羅が百済、高句麗を併合したのも問題で、朝鮮も中国も分裂していた時代が正しいことになり、今後、「東アジア統合」、「国境のない世界」、「世界連邦」など永遠に夢見てはならない。しかし、併合そのものは市町村合併や企業買収でも似たことが起こっており、欧洲でも併合に向けて動いている。

1910から南北朝鮮独立(=分断)までの併合のやり方がまずかったのなら、どういう併合なら韓国側も納得したか、代案が必要であるし、今度、日本と南北朝鮮が互いに併合するなら、どうするか、未来に向けての青写真を考えるべきだろう。
例えば、在日朝鮮人に日本の参政権(朝鮮の政治に参加するのが先だと想うが)を与えるのが間違いであれば、日韓併合は昔も今も間違いということになる。逆に、朝鮮人が日本で参政権を得るには、日本と北朝鮮、韓国を「合併」してしまうのが、最も確実である。

『虹を架ける王妃』は日本の皇室の女性が併合後の朝鮮の皇室に嫁いだ話だが、すると、併合後も朝鮮語の皇室は、しばらく、存続していたことになり、併合は意外と緩やかだったことになる。

さて、日韓併合と同じく1910年、ハレー彗星が地球に接近。
『お~い!竜馬』と『必殺仕事人Ⅴ』で記録されたハレー彗星が、また、地球の近くに戻ってきた。ハレー彗星の公轉周期は76年と言われながら、完全な「365日の76倍」ではないので、接近の間隔が1年ずれることがある。
『ドラえもん』の「ハリーのしっぽ」によると、1910年当時の日本では「ハリー(ハレー彗星)の尾が地球を包むと危険だ」という流言があり、人々は酸素ボンベ代わりに自轉車チューブを奪い合ったらしい。野比のび太の曽祖父・のび吉(当時は少年)もその一人だったが、チューブは他人に先取りされてしまっていた。

タイムマシンで西暦1985年(昭和60年)からこの時代にやってきたドラえもんとのび太がのび吉に浮き輪を提供。ドラえもんたちはその直後、ハレー彗星を目の当たりにした。ハレー彗星の尾は地球の大気にはねかえされ、人間はチューブなど使わなくても無事であった。のび吉が1910年当時、満10歳とすると、1900年生まれになる。

のび吉は次のハレー彗星の接近に備え、浮き輪を箱に入れ、庭に埋めた。これは75年後の西暦1985年、ドラえもんとのび太が掘り出した。

映画『鳳凰』も1910年代の中国が舞台。

1911年の辛亥革命によって、翌年、清朝は滅亡。

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▲日清戦争、日露戦争

2008-02-28 15:49:00 | 明治
▼日露戦争(『二百三高地』)
ライト兄弟に飛行機發明者の座を奪われた日本人
1891年(明治24年)日本の二宮忠八(にのみやちゅうはち)が小型飛行機を考案、製作。しかし、本物の飛行機の製作のためには、協力が得られなかった。日本は外国で發明されたものを取り入れるだけで、外国で実用化されていない研究には意欲がないのである。グライダーも江戸時代、1785年の浮田幸吉の例がある。

1894年(明治27年)、日清戦争。清は朝鮮を属国扱いしていたが、これで日本は清に朝鮮の独立を認めさせたらしい。
1896年、オットー・リリエンタール
(Otto Lilienthal、1848年~)がグライダーの飛行実験で墜落死。その前にはグライダー飛行に成功していた。最期の言葉は「犠牲は必要だ」。

1897年、朝鮮王国が大韓帝国になった。しかし、韓国はロシアの冊封体制に入ってしまった。
この当時、北東アジアでは日本が腐敗した清朝と南下するロシアの勢力を排除しようとしていた。そういう脅威がなければ、日本はどんなに軍備を持っても、外に打って出る必要はない。

1898年ごろ、『キャンディ・キャンディ』のキャンディス・ホワイト誕生。

1900年、『星の王子様(Le Petit Prince=小さい王子)』の作者・サンテクジュペリ
(Saint-Exupéry)が生まれた。キャンディ、「おしん」、花村紅緒がほぼ、同世代になる。
1901年(明治34年)、福澤諭吉没。生まれた年からいって、あの坂本龍馬や天璋院篤姫と同世代であるが、諭吉は長生きしたものである。この年に「おしん」が誕生した。

『八甲田山」は1902年(明治35年)を描いた話らしい。

1903年、ライト(Wright)兄弟が飛行機の実験に成功。二宮忠八は飛行機の研究をあきらめた。このとき、リンドバーグはまだ1歳(1902年生まれ)だった。

1904年(明治37年)、日露戦争開始。『二百三高地』に記録されている。これで韓国は日本の保護国となった。

1905年(明治38年)に夏目漱石の『吾輩は猫である』、1906(明治39年)年に『坊ちゃん』、『草枕』が出た。

1907年(明治40年)、「おしん」が数え年7歳で子守奉公に出された。おしんと言えば大根めしだが、江戸時代にも中村主水が大根めしを食べたことがある(『必殺仕事人Ⅳ』・「主水、大根めしを食べる」)。

明治37年は1904年(明治33年は1900年)。
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▲西南戦争、秩父事件、鹿鳴館

2008-02-28 15:48:00 | 明治
1877年(明治10年)、西南戦争。『田原坂』などで描かれ、西郷隆盛を初めとする多数の人命が失われた。
『翔ぶが如く』などによると、政府側の探偵が西郷を「視察」して帰る予定だったのを、西郷の支持者が「刺殺」と誤解した、あるいは西郷への対応に関して川路利良が勝手に判断をしたなど、諸説ある。当時、アコーディオンが「手風琴(てふうきん)」として紹介されていた。

西南戦争の時代を扱った作品に『るろうに剣心』と『ラスト サムライ』がある。『ラスト サムライ』と『硫黄島からの手紙』は、どちらも戦争を扱っている。日本軍の戦いを批判する人たちが、侍の戦いを讃美したら、これは矛盾である。柳田理科雄が『空想映画読本』のシリーズで『ラスト サムライ』について、海から見えた富士山がやたら大きいとか、横浜(←横濱)らしい場所から少し歩いて皇居とか、日本の描写の不思議さを指摘している。

西南戦争の翌年、1878年、大久保利通が暗殺された。

『翔ぶが如く』の最終回で、西郷隆盛の妻・いとは赤ん坊をあやしながら、「♪一掛け、二掛け(て)、三掛けて、四掛けて、五掛けて、橋を掛け……」と歌っていたが、江戸時代に、あの中村主水がその替え歌を口ずさんでいた。もとの童謡のほうは、あとになって、一九四五年に廣島の中岡元が被爆者の介護のアルバイトをした家で、少女がお手玉をしながら歌っていた。

西南戦争から「戦後60年」たった1937年に日中戦争が始まっている。戦争が「反省」や「謝罪」の対象とされるのは、戦争が終わって60年か、70年、つまり経験者が生存している間、戦争が終わって人の寿命の間だけというのが実情のようだ。それが過ぎて100年前、500年前、1000年前の戦争になると、前後の政治制度、国際情勢、時代区分の変化のみが強調される。
太平洋戦争も戦後2000年ともなれば、今の社会における始皇帝の前後や、あるいは三国志の戦争と同じく、歴史上の時代の境目か、兵隊の力比べのゲーム感覚で語られるかも知れない。

1880年、ヘレン・ケラー(Helen Keller)誕生(『奇跡の人』)。

1881年(明治14年)4月、平沼銑次(ひらぬませんじ、銑≠鉄)は囚人の一人として北海道に送られた。10月に積雪。零下20度の中、労働条件は劣悪で、抗議を続けた囚人も力尽き、囚人たちは脱獄。
『龍旋風SHANGHAI NOON』によると、この年、清の紫禁城から姫が誘拐された。紫禁城で働いていた清国人たちが姫を探しにアメリカに渡った。

1883年(明治16年)、鹿鳴館が完成。

1884年(明治17年)、『獅子の時代』によると、苅谷嘉顕(かりやよしあき)は国民の自由自治を基本にした憲法草案を考えていた者もいたが、伊藤博文がそれを却下し、草案を作った苅谷は殺された。農民が蜂起し、平沼銑次(ひらぬませんじ、銑≠鉄)は「自由自治元年」を旗に書き、蜂起の先頭に立つ。しかし、鎮圧されたらしい。平沼銑次は農民たちに帰るように告げ、自ら旗を持って戦い、その後、行方不明。
これが「秩父事件」である。「~事件」も殺し合い、暴動、弾圧、虐殺、戦争開始などと、言い方を変えて解釋すべきである。

1885年、チェーホフ(Chekhov、1860~1904)の『かけ(賭け)』に出てきた実業家は、15年間で財産を失い、実業家の約束の金額をはらうと破産しそうだった。法律家もすっかり幽閉生活に慣れてしまった。実業家は法学者を暗殺しようと考えたが、実業家は15年間の膨大な読書の結果、賭けに勝とうという名誉欲も金銭欲も失っており、約束の1885年11月14日正午が来る5時間前の朝8時(推定)に脱走した。賭けは実業家の勝ちであった。

1887年、アニー・サリヴァン(AnneまたはAnnie Sullivan、当時20~21歳)がヘレン・ケラー(この年で七歳)の家庭教師になった(『奇跡の人』)。
テレビドラマ『鹿鳴館』は1887年(明治19年)11月3日、天長節(天皇誕生日)の時期を描いている。
1889年(明治22年)年2月11日、大日本帝国憲法が公布されたところで、『獅子の時代』は終わっている。

『シャンハイ・ナイト』
1887年、明治20年が舞台。

Yahoo!Japan シャンハイナイト 1887年

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@kyojitsurekishi 「必殺仕事人」のOPにある「一かけ二かけ三かけて」のもとの歌はお手玉の歌のようで、「翔ぶが如く」「はだしのゲン」でも出てくる。
3:09 - 2014年11月28日
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「翔ぶが如く」最終回でこの「♪一かけ、二かけ(て)、三かけて~」の歌を歌っていたのは田中裕子。NHKのドラマ では「おしん」でもあり「西太后」でもある。
3:11 - 2014年11月28日

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2008年2/28(西南戦争~日清、日露~満洲事変から日中戦争へ)

関連語句
西南戦争 獅子の時代 翔ぶが如く 『ラスト

参照

『はだしのゲン』における替え歌と原曲どおりの歌


▲明治維新

2008-02-28 15:46:00 | 明治
▼江戸幕府の終焉、明治維新(『翔ぶが如く』、『獅子の時代』、『デビルマン』)
1867年のパリ万博を視察した日本人一行が『獅子の時代』で描かれている。

1867年に慶喜が大政奉還。そのあとの王政復古は当時の暦では慶應3年(1867年)になるが、今の暦では1868年になるようだ。
鳥羽・伏見の戦いが始まり、1868年の前半が慶應4年、この年の9月8日から明治元年になったようだ。
慶應四年のできごとは、『必殺からくり人・血風編』で描かれている。
また、中村主水は鳥羽・伏見の戦いに出陣し、殺しの目撃者を槍で殺害した。
この戦のことは『白虎隊』、『五稜郭』、『翔ぶが如く』などで描かれている。よく、沖縄の集団自決に関して強制の有無が問題になるが、それなら壇ノ浦の合戦や白虎隊の自決などについても、どこまで本人たちの意思だったか、検証すべきであろう。

1867年、大政奉還のあとに、坂本龍馬は近江屋の二階にいたところを暗殺された。
龍馬を暗殺した犯人に関しては、映画『竜馬を斬った男』を参照。

『JIN-仁-』によると龍馬は南方仁の手術で師走まで生きのびたが、仁から明治維新後の日本の歴史を聴いて、満足して息を引き取った。

『巨人の星』で星一徹は龍馬が生前、「ドブの中でも前のめりに死にたい」と語ったと飛雄馬に告げた。龍馬が没して1世紀ほど経過した1968年正月のことである。漫画の性質上、龍馬がドブの中で前のめりに倒れている絵も何度か描かれた。しかし、これは龍馬が語った願望であり、龍馬がそれを言ったのが事実だとしても、実際に龍馬がこんな死に方をしたわけではない。『巨人の星』では龍馬の実際の最期については一言も触れられていない。

1869年(明治2年)、蝦夷が北海道と改称。

チェーホフ(Chekhov、1860~1904)の『かけ(賭け)』によると、1870年当時、25~6歳だった法学者が、おそらく年上と想われる実業家との賭けで幽閉生活を送ることになった。1870年11月14日の12時から1885年11月15日12時(昼らしい)までの15年間、法学者が幽閉生活に耐えられたら、実業家が200万ルーブルはらうことになっていた。結果はぎりぎりで法学者が逃げ出したため、実業家の勝ち。

『巨人の星』で星一徹が語ったところによると、
1870年、フレディ(またはフレッド)・ゴールドスミス
(Fred-dy~またはFred Goldsmith)が
コネチカット(Connecticut)でカーブの世界第1号を投げた。ところが邪道だと批判され、カーブ發明者の地位も横取りされたらしい。一徹がこれを語ったのは1968年、日本シリーズと契約更改の間の時期である。
カーブの發案者についてはキャンディ・カミングス
(Candy Cummings)だとする説もあるらしい。

あの『フランダースの犬』も1870年ごろが舞台らしい。
GyaO!の解説でそうなっていた。
検索結果 番組 フランダースの犬 - GyaO!ストア
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1871年(明治4年)に廃藩置県。『獅子の時代』によると、会津で藩に尽くしていた高齢の武士が、廃藩置県の噂を聴いて愕然。その息子・平沼銑次(ひらぬませんじ、銑≠鉄)は「会津は無くしても、あいつら(明治政府)が薩長を無くすわけがない」という政治的判断でそれを疑っていたが、当の老武士は自刃。藩は消滅した。

映画『北の零年』のホームページによると、明治政府は四国の稲田家の人々に北海道への移住を命じ、この年、第1次移民団546名が北海道に到着した。大黒屋光太夫が蝦夷に到着した1792年から79年の月日が流れていた。
さらに10年後の1881年(明治14年)の北海道開拓は『獅子の時代』で紹介されている。
『春の波涛』は女優・川上貞奴(かはかみ~→かわかみさだやっこ、1871~1946)の物語。

1972年、ホーレス・ウィルソン(Horace Wilson)が
baseballを日本につたえた(2007年、東京ドーム、野球体育博物館の冊子より)。

NHKの『獅子の時代』のDVDを紹介するホームページによると、1872年の終わりに太陽暦が採用され、陰暦の明治5年(1872年)12月3日が陽暦の明治6年(1873年)元旦に改められたらしい。

第7騎兵隊を倒したのは誰か
1876年ごろ(推定)、中村主水らが天保時代からこの時代のアメリカにタイムスリップ(『仕事人意外伝・主水、第七騎兵隊と闘う・大利根ウエスタン月夜』)。ネットで調べると、中村主水は現地の人たちの恨みを晴らすため、カスター将軍率いる第七騎兵隊と戦ったらしい。

『EAST MEETS WEST』で忍者「タメ」と武士「ジョー」がやってきてから16年後のことで、為次郎は酋長になって長生きしたそうなので、このときもアメリカにいた可能性がある。

『新デビルマン』の「リトル・ビッグホーンの悪魔」でもデビルマンが第7騎兵隊を壊滅させた話が出てくる。
白人の部隊が先住民を多数虐殺し、デビルマンが仇を討った。主水に協力した次郎右衛門(漢字表記はWikipediaより)はアメリカに残り、ジェロニモになった。
「リトル・ビッグホーンの戦い
(Battle of the Little Bighorn)」のことだろう。
Wikipediaによると、1890年には
「ウンデッド・ニー(Wounded Knee)の虐殺」もあり、第7騎兵隊が
スー(Sioux)族の集まり300人近くを虐殺したらしい。
(猿谷要著『西部開拓史』岩波新書、黄表紙)

白人側は先住民が白人を虐殺したと言い、先住民は白人が先住民を虐殺したと言う。歴史とは相対的なもので、アメリカが金科玉条のように言う「テロとの戦い」にしても、アメリカと戦っている側から見ればアメリカこそテロリストである。シナ、ロシア、フランスとアメリカ自体がテロリストによってできた国である。

この1876年、あの野口英世が生まれた。1900年に渡米、1928年、黄熱病の研究中に没した(生没年、経歴などは『広辞苑』、『大辞林』より)。映画『遠き落日』で野口英世の生涯が描かれている。

「西郷隆盛征韓論」は誤解か
『翔ぶが如く』で、「西郷隆盛は征韓論に含むところがある」との噂に対し、隆盛自身は「自分は朝鮮を討てとは一度も言っていない」と反論した。「西郷隆盛が征韓論をとなえた」は周りの推測による誤解である可能性がある。

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2008年9月14日 [3]

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