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寅の会と闇の会

【壱掛】文化・文政
『新必殺仕置人』における寅の会は俳句の会を偽装していたが、堅気の俳人が入会を申し出たらどう対処したのだろうか。

仕置人の活動は文化・文政年間のようだったが、寅の会の傘下の仕置人は会を通さずに仕置を受けてはいけなかったようだ。

『必殺仕事人2007』~『2013』で仕事人は独自に仕事を請け負っていた。
『2014』で幕府公認の仇討屋が登場したが標的を間違えるなどヘマが多く、実質、廃止となった。

『仕事人2009』で仕事人が活動していたのは1820年(文政4年)である。
『仕事人2014』で仕事人が活動していたのは墓標にあった文字が「丙戌」とすれば1826年だろう。
その2年~3年後にシーボルト事件が起きたが、この時期には江戸に闇の会が組織されていたようだ。

『必殺仕事人V激闘編』の闇の会は寅の会と比べて、「会に無断で勝手に仕事を受ける」行為に対する縛りが緩かった。
『春雨じゃ、悪人退治』では鶴がシーボルト暗殺を受けながら仕事を放棄。シーボルト事件で遂行が不可能になり、国学者と米問屋一派の仕業で高橋景保が獄死すると、主水・市兵衛・加代らが景保の娘の遺したカネを仕事料にして国学者一派を仕置。鶴がそれに勝手に参加していた。

【弐掛】天保~嘉永
1832年のネズミ小僧処刑以降、1830年代にからくり人が裏稼業をしていた。
1833年(天保4年)に秀が出張仕事を繰り返していた時、江戸に二つの闇組織が「どちらが勝つかサバイバル」という勝負をしていた。

1839年の蛮社の獄を経て、1841年に鳥居甲斐守が南町奉行に就任。水野忠邦の天保の改革が始まった。

『必殺仕置屋稼業』の主水は、おこうを仲介にして仕事を受けていた。
『仕業人』になると主水たちは独自に仕事を受けていたが「江戸屋」が裏組織を仕切っていたことが判明。

2013年01月22日(火)
@kyojitsurekishi ここで問題なのは「仕業人」最終回で捨三が「江戸屋が一声かければ江戸中の闇の世界が動き出す」と言ったほどの江戸屋が「新仕置人」では登場せず、元締・虎と死神にその座を明け渡していることである。
posted at 16:27:34

2014年08月08日(金)
@yumeyatokijirou 「必殺仕業人」の場合、又右衛門の過去編では「仕業人は二人も要らねえ」=「闇の世界は二つと要らぬ」だったのですが最終回では「江戸屋が一声かければ江戸中の闇の世界が動き出す」ことになってました。この辺、同じシリーズの中でも揺れがありますね。
posted at 19:23:57

『仕事人大集合』で、大坂に移っていた寅の会が壊滅したのは劇中の時代で『からくり人』終盤から『仕事人アヘン戦争へ行く』までの間とすると鳥居甲斐守の南町奉行就任直後で、天保の改革(1841~43)の時期である。

主水と秀はアヘン戦争の時にも裏の仕事をしていたようだが(『仕事人アヘン戦争へ行く』『仕事人・激突!』)、仕事人狩りが行われ、闇の会らしい組織が機能していたか不明。やはり主水たちは独自に仕事を受けていた。

アヘン戦争、天保の改革の時期の江戸では鳥居による仕事人狩りで、江戸の闇の会も壊滅寸前となっていた。闇の会の元締が矢部駿河守の依頼で主水に鳥居暗殺を依頼した(『仕事人vsオール江戸警察』)。

鳥居失脚から5年、嘉永年間になると大奥での跡目争いにからんだ仕事が闇の会に持ち込まれ、主水・秀・勇次は断った(『必殺!主水死す』)。

【参掛】幕末
黒船来航時、幕末の仕留人はどんな組織にも属しておらず、闇の会は休業状態だったようだ。

黒船から10年後、裏稼業を介さない殺人が横行し、闇の会は解散を宣言した(『横浜異人屋敷』)。それでも仕事をするのが主水グループであった。

徳川慶喜が将軍になった時、仕事人が活動していたが、この時も寅の会や闇の会は無関係だったようだ(『ブラウン館』)。

前後一覧
2014年8月闇の会
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