gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史

【時代劇の時代設定】新必殺仕置人

旧『必殺仕置人』(1973年、昭和48年)ではDVDの解説などで時代が文化・文政とされている。
これは1804年(文化元年)から1829年(文政12年)までで、1830年は文政13年から天保元年になった。
旧『仕置人』第1話で牧野備中守(演:菅貫太郎)がさらしものにされている場面で、「奉行」名義の立札に「庚申歳 二月」と書かれてあるように見える。
庚申(カウシン、かのえさる、geng shen、경신)の年は江戸時代後期だと1800年(寛政12年)か1860年(安政7年、万延元年)になり、文化・文政には該当しない。

ここで仕置人→仕留人→仕置屋→新仕置人→商売人→仕事人の流れが、文化・文政と天保・弘化・嘉永と嘉永~慶応(幕末)の3種類の時代に分散していたと考える。
『仕事人V風雲竜虎編』の第1話では8年ほど前に虎が江戸の裏組織を仕切っていたことになっており、この作品の時代は「主水バースになる」における将軍死去を除外すると、オランダ商館が主水を表彰した話から文政年間と推定できる。

『仕事人大集合』で錠と虎が再登場したが、この両者が活動した時期は天保年間、蛮社の獄(1839)からアヘン戦争(1840~42)までの時期であろう。

仕留人は1854年に解散し、1858年の安政の大獄の時に主水は仕事人だったので、その間の時期に主水は念仏の鉄(幕末の鉄)と再会していたことになる。

これに関しては主水の年齢が藤田まことの年齢だったと解釋すればわかる。
主水が40歳で仕置人、41歳で仕留人、42歳で仕置屋、43歳で仕業人(新仕事人の13話でも主水は43歳だったが、ここでは除外)、44歳で新仕置人、45歳で商売人だったとする。

文化・文政の時代に仕置人~仕事人だった主水は1804年から1810年代~1820年代の時期に40代~50代だったことになる。
天保の場合、仕置屋の主水が1841年当時42歳なら、仕置人で40歳だったのは1839年で、新仕置人で44歳だったのは1843年。
幕末の場合、仕留人の主水が1853年当時41歳であれば、仕置人で40歳だったのは1852年、新仕置人で44歳になっていたのは1856年になる。

Y!Blog>もしも必殺シリーズの中村主水の年齢が、各作品放映当時の藤田まことの年齢と同じだったら(『主水死す』『仕事人2007』追加)
└→これで考えると、主水が文化・文政時代に推定44歳だったのは『春雨じゃ、悪人退治』と『オール江戸警察』で、『主水死す』の場合、1849年(嘉永2年)当時63歳だと、元号が文政から天保になった1830年当時44歳になる。
『仕事人2007』の主水の場合、44歳だったのは1790年になり、寛政の改革の時代。
また『仕事人大集合』の主水が『アヘン戦争』の主水と同一人物だと假定して、1842年で50歳とすると44歳だったのは1836年になる。

江戸時代初期~中期で庚申の年は、まず1620年、徳川秀忠の治世。次が1680年、綱吉が5代将軍になった年。その次が1740年、吉宗の治世で、大岡忠相は既に寺社奉行。

tweet

関連語句
大集合 [1] [2] [3]
妙心尼(twilog)

参照
Y!Blog>中村主水の年齢が藤田まことの実年齢と一致していた場合(年表形式)【弐】
Y!Blog>『新必殺仕置人』に登場した伊藤宗看
Y!Blog>『新必殺仕置人』の時代設定(文化・文政限定で『商売人』『仕事人V旋風編』から推定)
Y!Blog>『仕留人』『仕置人』『仕置屋』『からくり人』の時代設定(主に江戸時代後期)
Y!Blog>中村主水が40歳だったのはいつの時代か
Y!Blog>「中村主水推定40歳」だった時代の年表
Y!Blog>『仕事人V旋風編』第7話の中村主水が40歳だったのはいつか
必殺シリーズ、主なサブタイトルと歴史
【時代劇の時代設定】必殺仕置人
【時代劇の時代設定】隠密八百八町~必殺シリーズ(文政)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「文化・文政」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事