Y!Blog>ドラえもん「ぞうとおじさん」における、のび太、のび助、のび郎、のび四郎の世代推測
Y!Blog>2017/8/2(水) 午前 7:13
「ぞうとおじさん」
原作(1973)戦後28年
当時小学3年生の読者は1964年度生まれ。のび太が同学年であれば1964年8月7日生まれ。
父・のび助は1973年当時36歳とすると1937年生まれ。1945年当時8歳。
『はだしのゲン』によると、学童疎開は小3以上。のび助が1945年当時小3で8歳だったと假定すると、のび助は1936年生まれ、1973年当時37歳か。
のび郎はのび助の弟か?戦時中、家族と疎開したらしい。のび助が学童疎開で、のび郎は家族と疎開か。のび助も一緒に家族で疎開すればよかったと思うが、食べ物が少ない時代で、のび助が学童疎開したほうが両親に負担が少ないという判断か。
世田谷ドラえもん研究会はこの細かい問題を理由に「のび郎がのび太の親戚ではない可能性」を示している。
「36歳」は「地下鉄をつくっちゃえ」によるものだが、この作品ではのび助は1974年当時36歳なので、1973年当時は35歳。1938年生まれ。
原作(1973)戦後28年
当時小学3年生の読者は1964年度生まれ。のび太が同学年であれば1964年8月7日生まれ。
父・のび助は1973年当時36歳とすると1937年生まれ。1945年当時8歳。
『はだしのゲン』によると、学童疎開は小3以上。のび助が1945年当時小3で8歳だったと假定すると、のび助は1936年生まれ、1973年当時37歳か。
のび郎はのび助の弟か?戦時中、家族と疎開したらしい。のび助が学童疎開で、のび郎は家族と疎開か。のび助も一緒に家族で疎開すればよかったと思うが、食べ物が少ない時代で、のび助が学童疎開したほうが両親に負担が少ないという判断か。
世田谷ドラえもん研究会はこの細かい問題を理由に「のび郎がのび太の親戚ではない可能性」を示している。
「36歳」は「地下鉄をつくっちゃえ」によるものだが、この作品ではのび助は1974年当時36歳なので、1973年当時は35歳。1938年生まれ。
これだと1945年当時7歳となり、終戦の年で小1であれば疎開していたとは考えにくい。
なお、「ぞうとおじさん」の雑誌掲載は1973年だったようだが、これが収録された単行本の5巻は1974年に出た。
アニメ(1980)戦後35年
タイトルは「ゾウとおじさん」。
のび太が1980年当時11歳とすると1969年生まれ。
原作基準で、のび助が1936~37年生まれだと1980年当時43~44歳。
一方、放送当時を基準にして1980年当時36歳と假定すると1944年生まれになり、1歳で疎開はありえない。
のび郎はのび助より年下だろうが、何歳差か不明。
アニメ(2007)戦後62年
のび太が2007年当時11歳とすると1996年生まれ。
のび太たちが動物園で出会った老人は何歳か。1945年8月15日の終戦の時、小学生だったと假定し、1945年度の誕生日で7~12歳とすると1933~38年度生まれ。藤子・F・不二雄(藤本 弘、1933年12月1日~1996年9月23日)は終戦当時小6。
アニメ(1980)戦後35年
タイトルは「ゾウとおじさん」。
のび太が1980年当時11歳とすると1969年生まれ。
原作基準で、のび助が1936~37年生まれだと1980年当時43~44歳。
一方、放送当時を基準にして1980年当時36歳と假定すると1944年生まれになり、1歳で疎開はありえない。
のび郎はのび助より年下だろうが、何歳差か不明。
アニメ(2007)戦後62年
のび太が2007年当時11歳とすると1996年生まれ。
のび太たちが動物園で出会った老人は何歳か。1945年8月15日の終戦の時、小学生だったと假定し、1945年度の誕生日で7~12歳とすると1933~38年度生まれ。藤子・F・不二雄(藤本 弘、1933年12月1日~1996年9月23日)は終戦当時小6。
藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄、1934年3月10日~)と中沢啓治(1939年3月14日~2012年2月19日)も1939年の早生まれなので、終戦当時小1。
2017年で80歳前後だと、2007年の放送当時は70歳前後。
アニメ(2017)戦後72年
のび太が2017年で11歳とすると2006年生まれ。
のび四郎はのび助のおじ、のび太の大おじらしい。
のび助が2017年で36歳だとすると1981年生まれ。
のび四郎は1945年当時小学生とすると、1945年当時6歳以上で、1939年4月1日までに生まれたことになる。これだと戦後72年経過した2017年の時点で78歳以上。また、1981年当時は42歳以上。のび四郎が1939年生まれ、のび助が1981年生まれと假定すると44歳差。のび助10歳の時点でのび四郎54歳。叔父でなく伯父か。ではのび助の祖父はのび助の父を含む兄弟の中では弟の方で、こちらが先に逝ったか。
アニメ(2017)戦後72年
のび太が2017年で11歳とすると2006年生まれ。
のび四郎はのび助のおじ、のび太の大おじらしい。
のび助が2017年で36歳だとすると1981年生まれ。
のび四郎は1945年当時小学生とすると、1945年当時6歳以上で、1939年4月1日までに生まれたことになる。これだと戦後72年経過した2017年の時点で78歳以上。また、1981年当時は42歳以上。のび四郎が1939年生まれ、のび助が1981年生まれと假定すると44歳差。のび助10歳の時点でのび四郎54歳。叔父でなく伯父か。ではのび助の祖父はのび助の父を含む兄弟の中では弟の方で、こちらが先に逝ったか。
返信先:〔@kyojitsurekishi〕@asahiさん
「ぞうとおじさん」でドラえもんとのび太が戦時中の日本の軍人に笑顔で「戦争はもうすぐ終わる」「日本が負ける」と言った。これが7月28日にアニメで放送されると批判のツイートが多く出た。「はだしのゲン」の閲覧制限と同じで44年前に描かれた作品を今頃、批判する人たちはただ無知だっただけだ。
返信先:@asahiさん
〔#白旗の少女〕
作者の富子さんは父親から「誰から何を聞かれても『日本が戦争に負ける』などと言ってはいけない」と教育され、瀕死の日本兵から「戦争はどうなっている?」と聞かれても「日本が勝っているそうです」と答えたらしい。戦後生まれののび太にこういう感覚はない。当然である。
〔#ドラえもん〕
〇#ドラえもん の「ぞうとおじさん」の原作にある「日本が負けるの」という台詞に関する「論争」を見て、これを思い出した。 #はだしのゲン 第1話冒頭の空襲の場面。ゲンの父・大吉が防空壕で「昼間からどうどうとアメリカがせめてくるようじゃ日本はこの戦争にゃまける…」と言っていた。(続く)(続き)妻・君江(ゲンの母)は「(日本が戦争に)負けるだなんてそんなこといわないでください。もし警察や憲兵にしれでもしたら監獄にぶちこまれますよ」とお願いしたが、大吉は「ばかたれっ。わしはほんとうのことをいっとるんじゃい」と自分の正当性を主張していた。
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関連語句
ぞうとおじさん(Y!Blog)
ぞうとおじさん(T-CupBlog)
ぞうとおじさん(twilog)
ドラえもん ゾウとおじさん(twitter)
ドラえもん ぞうとおじさん(twitter)
のび太 おじさん(twitter)
ミニドラえもん ミニドラ(twitter)
結婚前夜 正直電波(twitter)
参照
Y!Blog>2017/7/31(月) 午後 1:38
└→Y!Blog2017年7月28日の『ドラえもん』で「ぞうとおじさん」放送
Y!Blog>2017/7/31(月) 午後 3:32
└→ドラえもん「ぞうとおじさん」関連tw(2017年8月1日)
ドラえもん ぞうとおじさん(twitter)
のび太 おじさん(twitter)
ミニドラえもん ミニドラ(twitter)
結婚前夜 正直電波(twitter)
参照
Y!Blog>2017/7/31(月) 午後 1:38
└→Y!Blog2017年7月28日の『ドラえもん』で「ぞうとおじさん」放送
Y!Blog>2017/7/31(月) 午後 3:32
└→ドラえもん「ぞうとおじさん」関連tw(2017年8月1日)
T-CupBlog>2017年7月28日、『ドラえもん』で「ぞうとおじさん」放送
T-CupBlog>西暦2017年(平成29年)7月30日、ドラえもん「ぞうとおじさん」(28日放送)関連tw
T-CupBlog>西暦2017年(平成29年)7月30日、ドラえもん「ぞうとおじさん」(28日放送)関連tw
戦時中のストーリーは、藤本師(昭和八年生まれ)の時代に合わせているだけでしょう 削除
2017/8/10(木) 午後 5:22 [ IB]<我がセイ