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『軍師官兵衛』33回「傷だらけの魂」

虚実歴史(+漢字論・固有名詞問題)研究家 @kyojitsurekishi
戦国時代を扱った時代劇で信長・秀吉・家康らが「天下を統一し、太平の世を創るため、即ち戦をなくすために戦をしていた」という歴史観は「世界平和のための武力行使」是認と一緒…という意見は少数派か?「おんな太閤記」の時からあったと思うが。
8:26 a.m. Sun, Aug 17:Twitterで表示された日時

#軍師官兵衛 天正13年(1585年)、羽柴秀吉が関白になり、姓を豊臣と改めた。源頼朝が鎌倉幕府を作ったとされる1185年から400年の節目。江姫は当時、推定数え年13歳。
20:08 8月17日(日)

これはどうも有難うございます。ところで「源頼朝が鎌倉幕府を作ったとされる1185年から300年」を「400年」に訂正します。失礼しました
@micenecoya41 要注意なのは、この後大阪の陣まで羽柴と豊臣は両用されたという事。
20:12 8月17日(日)

秀吉が茶々に熱を上げ、ねねが諌めると思いきや「他の側室が困っている」「今は後継ぎを作るのが大事」「一人の女に執着している場合ではない」。戦国の世の正室とはそういうことを言う立場か。

てっ辺禿鷹
@tennsinowa
『軍師 官兵衛』 以前から気になっていたが、秀吉もねね(おね)も、全く名古屋弁(尾張弁)が感じられない。…


それをやると三河の人まで名古屋辯を使うという「方言考証」の問題が出る。
大野敏明は『水戸黄門』について助・格が茨城辯を話さないことを批判していたが、『水戸黄門』では場所が知立の設定でありながら殿様その他が名古屋辯らしきことばで話しており、脚本家が尾張と三河を混同していた可能性がある。
それで番組HPの投稿欄(今は閉鎖)に視聴者から抗議が来ていた。
藤田まことが家康を演じた時代劇でも、家康が三河ということで名古屋辯だったと思う。 

/tweet(1) (2) (3)/TWEET(4)/TWEET(5)


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関連語句

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官兵衛
官兵衛(twilog)
#軍師官兵衛 天正13年 官兵衛 官兵衛 ねね(twitter)

参照
大坂夏の陣も幕末の倒幕も「戦をなくすため」?
戦斗と防ヱ | 漢字論原点回帰 - teacup.ブログ“AutoPage”

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