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当然かも知れないが、観音と玄奘はまったく逆の順序で悟空たちと出逢っている。小説と中国中央テレビ版(六小齢童が悟空)と1978年放送開始の日本テレビ版(堺正章が悟空)ではこのように描かれている。
菩薩と惠岸は経を取りに来る僧を探すため、天竺をたったあと、
流沙河で捲簾大将(=卷帘大將、けんれんたいしょう←くゑんれんたいしゃう、Juăn-lián-Dà-jiàng)と出逢って沙悟浄と名づけ、経を取る僧の弟子になるよう命じた。沙悟浄はアゴヒゲの目立つ坊主の姿だったが、日本では「河童」と解釋された。悟空の解釋では「捲簾大将」とは「簾(すだれ)の番人」であった。
菩薩は次に高い山の上で天蓬元帥(てんぽうげんすい←~ぐゑんすゐ、
Tiān-péng-Yuán-shuài)と出逢って猪悟能と名づけ、経を取りに行く唐僧の弟子になるよう、命じた。次に菩薩は空で罰を受けていた竜と逢う。この竜は西海竜王の子で、テレビではのちに「玉竜」と呼ばれる。玉竜は御殿の珠を焼いてしまい、天宮で死罪とされていたが、菩薩は玉竜に唐僧の乗り物になるよう命じた。次に菩薩たちは五行山で孫悟空と会い(テレビでは500年ぶりの再会らしい)、そのあと、菩薩たちは長安に入った。
一方、玄奘は長安を出發し、まず、五行山で孫悟と逢って孫行者と名づけ、谷川で竜(玉竜)に馬を食われ、その竜が化けた白馬を乗り物とする。ここで長安からのメンバーは玄奘一人となる。
夏目雅子の演じた玄奘が悟空の頭の輪をしめるときの緊箍呪(緊箍経)は「オンマニパドメーム」で、これは五行山に張られていた押さえ札の文句「唵嘛呢叭𠺗吽」または
「唵嘛呢叭咪吽(oṃ maṇi padme hūṃ)」と同じだろう。
【画像】五行山の札に書かれた呪文
玄奘一行は長安から二百里進んだ地点で烏巣禅師と遭遇。玄奘は禅師から般若心経を手渡された(または口頭で教えられた)。日本テレビ版で夏目雅子が演じた玄奘は、しばしば、般若心経をとなえていた。
三蔵は高老荘(→中国の簡体字で~庄)に到着。高老荘は烏斯蔵国、つまりチベットに属するようだが、玄奘はチベットからインドに入らず、中央アジアを迂回して、それからインドに入ったようである。
高老荘では、猪剛鬛(ちょがうれふ、Zhū Gāng-liè)という豚の妖怪を追いはらった者に懸賞金が保証されていたが、誰も名乗り出なかった。
【画像】猪剛鬛
【画像】札の呪文と猪剛鬛
村人たちによると、その猪剛鬛は初め、人間の姿をしており、末のむすめ・翠蘭の婿となったが、酒によって正体がばれ、呆れたことに翠蘭を監禁していた。、悟空が翠蘭を解放。代わりに悟空が翠蘭に化け、途中で正体を明かして猪剛鬛を取り押さえたが、この猪剛鬛が猪悟能だった。縛り上げて三蔵に突き出した。
想わぬ形で猪剛鬛を追放することができた村人の反応は、日本テレビ版では割愛されているが、中国中央テレビ版では描かれている。どちらも日本でDVDが出ている。
八戒が参加したあと、一行は流沙河で沙悟浄と出逢い、沙和尚と名づけた。
のちに通用する名前で言えば、
観音は天竺を出て、「沙悟浄→猪八戒→玉竜→孫悟空」の順に会って、長安に入り、
三蔵は長安を出て、「孫悟空→玉竜→猪八戒→沙悟浄」の順に弟子に加えたことになる。
普通に考えると、流沙河と五行山の位置関係を比べた場合、沙悟浄がいた流沙河は少し天竺寄りで、悟空がいた五行山は長安に近かったことになる。
ここで、日テレ版によると、悟空は觔斗雲(=筋斗雲、きんとうん、jīn-dŏu-yún)で川を飛び越えられるし、八戒は水軍の元帥だったので泳ぎに自信があると言っていたが、三蔵は雲に乗れず、泳げないので、どう川を越えるかが問題だった。日本テレビ版では烏巣禅師が、中国中央テレビ版ではは惠岸が赤い瓢箪を悟浄に提供し、悟浄がそれを巨大化させ、舟の代わりにした。それより玉竜が竜に戻ったほうが確実なような気がする。
ここで、「三蔵(生身の人間)は雲に乗れず、猪八戒は泳ぎが得意」という記述は、のちに徐々に変化していく。
沙悟浄は玄奘三蔵と何度も会っていた?
慧立(ゑりふ→えりゅう、Huì Lì)と彦悰(げんすう、Yàn Cóng)『大唐大慈恩寺三蔵法師傳(傳≠傅)』によると、玄奘が
莫賀延磧(ばくがえんせき、Mò-hè-yán-qì)を通過したとき、灼熱の砂漠ゆえに幻覚に悩まされ、水を失って5日たったとき、夢に身のたけ数丈はあろう神が現れ、なぜ旅を続けないかと言われ、歩いたらオアシスにたどり着いたらしい。この神は毘沙門天(びしゃもんてん)の化身・深沙神または深沙大将と言われている。それが宋代の『大唐三蔵取経詩話」では前世の玄奘を二度も食らった悪い神となり、元刊本で『沙和尚』となる(中野美代子『孫悟空の誕生』)。
現代中国で
「孫悟空(Sūn Wùkōng)」、
「猪八戒(Zhū Bājiè)」、
「沙和尚(Shā Héshàng)」が普通の呼び名である。
『西遊記』の英語版では孫悟空がMonkeyで、
猪八戒がPigと呼ばれ、
沙悟浄はSandyと呼ばれることが多いようだ。
悟空の家来も、八戒も悟浄も500年生きた
1978~79年日テレ版では、悟空が取経の旅(629~645)の最中に破門されて花果山に帰ったとき、家来の猴(サル)たちが悟空を「大王さま」と呼んで迎えたが、この家来たちも500年間生きていたことになる。
また、この番組では、悟浄と八戒も天界での同僚同士で、どちらも天界でそれぞれ大将と元帥だったときに悟空に会っており、しかも、どちらも取経の旅で悟空と再会したので、沙悟浄と猪八戒も500年以上生きたはずだ。
原作にある「人参果」の話は中国中央テレビ版でもドラマ化されたが、1978~79年の日本テレビ版では割愛され、代わりにTBS『飛べ!孫悟空』(1977~79年)で取り上げられた。
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玄奘三蔵のたどった道をドラマから推測
この日テレ版の「鳥葬!悪魔の生贄」では、悟空は岩山トンネル掘りで妖術を使ったことを玄奘から批判され、一度、破門されたが、玄奘と八戒、悟浄が妖怪によって鳥葬にされかかり、白馬・玉竜(ぎょくりゅう)の連絡で悟空が駆けつけた。この場所はチベットまたはその近くだろうか。
「バッタ女王・消えた幻の湖」はロプノール湖の話か。
「豚教国・翠蓮王女いざ出陣!」では一行が到着したのが朱紫国(しゅしこく、Zhū-zĭ-guó)という国で、西域との境が近いようだった。朱紫国に着く直前、沙悟浄は八戒をからかって「豚は川を泳げない」(「~泳げまい」にも聴こえる)と言っていた。流沙河で悟浄が弟子入りする直前、八戒は「泳ぎに自信がある」と言っていたが、八戒の水泳能力について真相は不明である。この朱紫国到着の時点では、「生身の人間が觔斗雲に乗れない」という事情は変わっておらず、悟空が觔斗雲で翠蓮王女を空輸したとき、落ちないように必死に抑えていた。
「女人国・八戒が妊娠!?」では八戒と悟浄が妊娠した。原作では三蔵が妊娠。夏目雅子扮する唐僧の妊娠した姿を観たかった気がする。それはともかく、女人国は「西梁(Xī-liáng)」という国で、洛陽あたりであろうか。
「火焰山!!芭蕉扇の愛」ではその副題のとおり、三蔵たちは火焰山(くわえんざん、Huŏ-yàn-shān)のある場所につく。火焰山は新疆ウイグル自治区、トルファン盆地にある。こうして見ると、玄奘一行が一度はチベットに入りながら、すぐにはインドを目指さず、ウイグルを経て中央アジアを迂回していた様子がわかる。
『ドラえもん・のび太のパラレル西遊記』で玄奘たちが火焰山についた時期は、ネットで「630年」とあるものが多いが、YouTubeで観た『のび太のパラレル西遊記』によると、のび太が乗っていたタイムマシンの音声でのび太が最初に到着した時代が「西暦636年8月、中央アジア、タクラマカン砂漠」とある。
ここで玄奘は3名の從者(普通の大人)とともに旅をしていた。
ドラえもんが唐の中国大陸に放置したヒーローマシンにより、歴史が変わって、從者は妖怪・羅刹女がスパイとして送り込んだ羅刹女の息子・リンレイこと紅孩児(紅孩兒、紅孩儿)という少年1名になった。フィルムブックでは「火焰山」は「焔」でなく「焰」を使い、「紅孩児」では「兒」でなく「児」を使っている。
玄奘一行はドラえもんたちに遭遇。のび太が「孫悟空」となって妖怪・牛魔王を始末したらしい。ドラえもんの妹・ドラミもかけつけたが、玄奘はドラミを「観世音菩薩」と認識。
静香は「わたしたちのことが西遊記のお話になったのかも」と言っていたが、のび太が扮した孫悟空は、
おそらくは、呉承恩(Wú Chéng'ēn)の小説や演劇、映画、ドラマなどでつたえられる『西遊記』をもとにしたもの。その傳説(傳は傅ではない)のおおもとが「のび太の扮した孫悟空」だとすると、これでは誰が本当の『西遊記』の作者か不明になる。
これはキテレツ少年の航時機(タイムマシン)についても言える時間の逆接、タイムパラドックスである。
日テレ版、堺正章主演『西遊記』の「妖怪帝国・突破大作戦」では、ヒマラヤ山脈らしい雪山が映り、「天竺目前」という話だったが、結局、往路の中間ということに。ここで玄奘と妖怪たちは皆既日蝕を観測している。
続く最終回「あれが天竺・大雷音寺だ!」で、玄奘蔵一行は天竺に着いたはずが、まだ往路の中間地点だったことがある。三蔵一行は旅行日程や自分たちの地理的位置を正確に把握していたのだろうか。玄奘はその直前に皆既日蝕を事前に予知していたようで、暦(こよみ)をよく覚えていたはずだ。
これより前の「夜と昼の妖怪夫婦」では、玄奘が訪れた国で、領土が目に見えない壁を境に昼と夜に分けられていた。また、続編の『西遊記Ⅱ』(1979~80年放送)の「妖異・太陽が二つの国」では、夜となるべきときに、別の太陽が天に昇る国があった。この「二つの太陽」の国で悟空は二郎真君と再会したのだが、このような世界の場合、一つまたは二つの太陽と地球、月が太陽系でどういう位置関係だったか気になるところだ。
觔斗雲は人間が乗れるタイプに改造された?
「偽天竺」事件以降、悟空の觔斗雲は普通の人間を乗せられるようになった模様。妖怪でも僧でもなさそうな一般人が乗っていたし、透明になった孫悟空が玄奘を觔斗雲に乗せて上昇させていた。透明になった以上、鏡にも映らないはずだが、透明になった悟空は鏡に映っていた。
また、玉竜が竜の姿に戻って、玄奘を乗せて飛ぶ場面もあった。
天竺が「極楽世界」なら、地上での10万8000里の旅の意味は?
『西遊記』で、如来のいた天竺と玄奘の祖国・唐が単なるインドとシナという地理的関係だけでなく、黄泉の国と現世という関係にもなっていた。『西遊記Ⅱ』で玄奘一行の偽者が出て、本物の悟空たちが偽者を始末するとき、「天竺に着きましたよ」などと、冗談を言っていた。
南アジアに到着しなくても、人間が「他界」すると魂が上に移動して釋迦のもとにいくようだ。すると、地上での「西への10万8000里の旅」はどういう意味があるのか。逆に玄奘が天竺から唐に経を持ち帰るには、一度、「昇天」して「生き返る」必要があったことになる。
原作では天竺についた玄奘一行が玄奘自身の遺体を目の当たりにしており、それを見ている玄奘は誰かが謎になり、まるで落語の『粗忽長屋』である。つまり、天竺は極楽世界であるから、玄奘はそこで人間でなく佛になったわけだ。
『西遊記』の取経の旅が「人生」の比喩であるとすれば、1979年から80年までの日テレ版で玄奘たちが天竺に着かず、旅の途中で話が終わったのもうなずける。
孫悟空に関しては『タイムボカン』の「へんてこ西遊記だペッチャ」と『パタリロ!西遊記』でもテーマになっている。手塚治虫の漫画でも『ぼくの孫悟空』と『悟空の大冒険』がある。また、中国でもアニメ版の『西遊記』がある。
玄奘に関しては前嶋信次『玄奘三蔵-史実西遊記-』(岩波新書、緑色表紙版)と中野美代子『孫悟空の誕生』が参考になる。
唐は廣大な領土を持っていたので、簡単に玄奘が長安から出たのを「出国」、長安に戻ったのを「帰国」と呼ぶと不正確になる。長安を出たあとも、玄奘は唐の領内の長い距離を旅していたと考えられる。
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