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『江~姫たちの戦国~』第28話「秀忠に嫁げ」


このドラマを観ていると、どうも、歴史小説を観ている人の感想や、作者による解説に相当する内容を、ドラマの登場人物が全部言ってしまっているような気がする。

利休に続いて秀次の場合も、切腹直前に江が対面。
今度は炭賣りに変装という奇抜な手は使わず、石田三成に連れられて訪れた。

江や秀次を見ると、蝋燭と反対側の所にも一部、光が当っている。

秀吉は秀次を処刑すると正室や縁者の女・子供を処刑した。
もしタイムマシンがあったらこの人たちを人形とすり替えて助けたいものである。鼠小僧次郎吉を助けるよりも、そのほうが意味がある。

大坂夏の陣のあと、豊臣家狩りがおこなわれたらしいが、当時はそれが普通だったか。
シナの易姓革命では王朝が変わるたびに前の王朝の関係者は抹殺されたらしい。

もし秀吉が明と朝鮮を支配していたら、清朝成立の時点で豊臣家も日本の皇室も滅ぼされていたであろう。
しかしあれで秀次が謀叛の疑いをかけられるなら、劇中の江などあちこちで秀吉の悪口を言って、面と向かって「秀吉様は大うつけ」と言っているのだから、この少女が一番怪しかったはずだ。
しかし秀吉は江を政略結婚の駒として利用したかったのだろう。

秀次は秀忠に、自分のところに泊るように勧めた(例によってその場にも突撃レポーター・江姫がいた)が、秀次に客が来たので、秀忠はその場を去った。秀次は秀忠を通して徳川を味方にしたかった。
秀吉は側室・淀の妹・江を秀忠に嫁がせることで徳川を丸めこもうとしたのだろう。

秀吉は家康を警戒して関東(江戸)に追放し、さらに秀忠と江の縁談を勧めた。
最終的にこれが江戸幕府の成立、豊臣の滅亡、徳川の天下をもたらしたのだから皮肉ではある。

江は太閤となった秀吉を「秀吉様」と呼び、石田三成との会話で秀次切腹の可能性を知ると「秀吉」と呼び捨てにしていた。
大野敏明氏は『江』の劇中の人物が徳川家康を「家康様」など諱(いみな)で呼ぶことを「ありえない」と批判していたが、江は太閤の名前を直接口にしていた。
Y!Japan 大野敏明 姫たちの戦国 諱

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