山上徹也が広島で安倍元首相を暗殺したとされる。この犯人のしたことはテロ行為とされる。
狙撃事件の犯人は安倍元首相を狙いながら、周りの無関係な人々を傷つけることを避けており、岡山で安倍元首相の演説会場に入れなかったときは狙撃を断念した。建物全体を爆破することは考えなかった。ロシア軍なら場所が学校だろうと病院だろうと空爆する。戦争より暗殺の方が被害者が少ないのである。
天正時代の本能寺の変、元禄時代の赤穂事件、安政時代の桜田門外の変、いずれも実行犯の集団は一人の命を奪うために周りの多数の人間を殺傷した。仕事人・中村主水であれば、井伊直弼一人を倒すだけでよかった(2名の追っ手を影太郎と政が倒したが)。
では安倍元首相暗殺犯のしたことは、犠牲者が一人だけならよかったのか?こういう問題も生ずる。
昭和の後期から平成初期にかけて日本の時代劇の主流はチャンバラであり、主人公やその手下は、少数の悪人を倒す前に、周りの護衛係を多数切り捨てていた(長七郎、家光、闇奉行はそうだった。暴れん坊将軍と助さんはもっぱら峰打ち)。
一方、必殺シリーズに登場したコロシヤたちは、必要最小限の相手を狙うので、相手の行動パターンを調べ、相手の周りに人が少ないときを狙う。そのために相手のグループを分散させたり、一人だけ部屋におびき寄せたり、いろいろ苦労をしていた。
正義のチャンバラより闇の仕事人の方が犠牲者が少ないのだ。
山上徹也は安倍元首相以外の無関係な人を巻き添えにしないよう、爆弾の使用を避けて、手製の銃を使った。
それでもテロとされる。
神風特攻も海外ではテロだ。「永遠の0」では神風特攻を自爆テロとする意見に対し反論があったが、日本の外ではkamikazeは自爆テロの代名詞と化している。
柳田理科雄は必殺シリーズのコロシヤを「恐怖のテロリスト集団」としていた。
無関係な人を犠牲にしない「気配り」があっても、暗殺者はテロリストと呼ばれるのだ。
前後一覧
/令和4年8月/
参照