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野党共闘は失敗だったか

平成26年tw(X)
平成5年8月、首相として初めて支那事変や大東亜戦争を「侵略行為」と呼んで謝罪、反省したのが細川護煕。この発言に憤慨したのは「侵略者」呼ばわりされた全国の大正生まれの男達。抗議のデモや集会で立ち上がったのは当然だ。平然と国家、国民を侮辱できる人間に首都を任せていいのか。


平成28年tw(X)
@kyojitsurekishi #民進党代表選
野党共闘に批判的な人は、都知事選で野党が共闘優先で鳥越俊太郎を推して惨敗したことを理由にする。一方、野党共闘存続を願う人たちは都知事選の結果をただの人選ミスとしているようだ。どちらにしろ鳥越を候補にしたのは大失敗だったという結論。

一方、鳥越俊太郎によると都知事選で演説が少なかったのも落選直後の池上彰氏の番組に出なかったのも野党の選対の指示に從った結果らしい。民進党内でこの件について検証や反省がどこまで行われているのか、疑問だ。

また野党共闘支持派は「野党共闘が敗れたのは都知事選だけで、参院選では地方によっては野党が勝っている」と言うだろう。しかし、それなら都知事選で野党が勝とうが負けようが国政とは関係ないのだから、首都から日本を変えようとした鳥越氏の出馬は根本的に間違っていた。

野党共闘支持派は「野党が選挙で勝つこと」を第一に考えているのだろうが、その先が重要だ。細川~羽田政権と鳩山~菅直人~野田政権の結果を知る多くの有権者が、今の野党に政権を託すかどうかが問題。

鳥越俊太郎は選挙運動のスケジュールもTV出演も選対に丸投げしていたようで、都政に関してはろくに政策のない人だったので、もし都知事になっていたとしても自民都連や「都議会のドン」とまともに闘えず、潰されていただろう。

もし増田寛也氏が都知事になっていたら、もともと自公公認候補だったので自民都連とは波風立てずにうまくやっていけただろうが、地方活性化をどう進めるかが問題。それはそれで見たかった気もする。

@renho_office @MinshintoNews 自民党は憲法を改正しようとするのに憲法より古い法律を変えるのには消極的なようだ。以前、朝日新聞で「保守派こそ護憲派であるべきだ」という意見があったが、ならば革新政党こそ民法・皇室典範・憲法の改正をどんどん主張すべきだろう。

日本は戦争に負けたから戦争をしてはいけないといわれる。ならば野党共闘は負けた時点で解消だろう。野党共闘の負けを認めない人もいるなら、「日本の敗戦」を認めない人もまだいるだろう。

午後7:40 · 2016年9月11日 

2014年に細川護熙が、2016年に鳥越俊太郎が国政を都知事選に持ち込んだせいで、宇都宮健児は都知事になれなかった。

「反安倍」だけのためにくっついた #野党共闘 など「数合わせの野合」であり、野合が政権を獲った後に何ができるかが重要である。
23:36 - 2016年9月11日:Twitterで表示された日時


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