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石坂浩二の『水戸黄門』について【壱】

2011年の『週刊新潮』7/28号では『水戸黄門』について「マンネリだから飽きられた」という声が集会されながら、一方で佐野浅夫が「石坂黄門を見たら自分のときと違いすぎて、血圧が上がった」と言っている。マンネリだと飽きたと言われ、変えたら「違っているからダメ」と言われるようではスタッフもやる気をなくすだろう。
また石坂浩二が水戸老公の白髭をなくし、石坂黄門の第2シリーズで髭が復活したことについて、同誌の同年12/15号で里見浩太朗は「ナショナル劇場は講談の『水戸黄門漫遊記』が基本で、諸国漫遊自体が作り話なのに、そこで史実どおりにしても視聴者が拒否するのは当たり前」としていた。
確かに石坂黄門は史実に近づけたと言ってもそれは白髭をなくしただけで、諸国漫遊の設定は変わらなかった。むしろ石坂黄門から6年前に佐野黄門のスピンオフとして放送された『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』のほうが、光圀が関東から出ていないという一点で史実に忠実だったことになる。

『水戸黄門』が史実と違う点を批判する人や、老人が徒歩で全国行脚する不自然さなどを批判する人は、1980年代初めの『水戸黄門』全盛期にも存在し、『歴史への招致』の書籍の解説から、ツービートの漫才でも『水戸黄門』は批判されていた。それでも東野黄門が続いたのは視聴率が高かったからで、つまり視聴率至上主義で『水戸黄門』は長期シリーズになっていたのである。

『水戸黄門』に史実を求める人たちから観れば石坂黄門は前後の東野・西村・佐野・里見黄門と何ら変わっていない。一方、諸国漫遊の『水戸黄門』を楽しむ人たちは髭がなくなった程度のことで石坂黄門を「異端」と見なしたんだから、これも凄い保守性である。これでは番組の型が狭められてしまい、長期シリーズとして続けるのにも限界があるだろう。一方で、その「髭消滅」で離れた視聴者が、石坂黄門の第2シリーズ(第30部)で髭が復活したときに全部、『水戸黄門』に戻ったかというとそうでもなさそうだ。その意味で石坂以降の『水戸黄門』を全部一緒にする視聴者も出演者たちの意図を理解しなかったことになる。

『オール讀物』で春日太一氏が書いた文では、石坂黄門でナショナル劇場の岩盤が崩れ、これは里見黄門になっても完全には回復しなかった。また、石坂黄門以降、『水戸黄門』の合間のナショナル劇場が現代劇になったのも影響したようだ。

だが、ナショナル劇場のスタッフが21世紀になっておこなった改革の目的は、世帯視聴率のアップでなく、若者の個人視聴者層を増やすことであった。從来の世帯視聴率は数字だけ高く見えても、個人視聴率で見れば購買力の低い高齢者の視聴者が大半だったからだ。ところが石坂黄門以降、視聴率が下がると、スタッフは慌てて里見浩太朗を起用し、作品を佐野以前に戻そうとしたようで、10%前後になった視聴率の中で若者の視聴率が上がっているのかスタッフが検証したかどうか、そこはわからない。

結局、スタッフは『水戸黄門』を続けている限り、ナショナル劇場の視聴者層を松下電器の対象購買層(若い大人)に一致させることはできなかったのだ。スタッフが『水戸黄門』の枠内でどれだけ出演者や脚本を若者向けにしても、從来の高齢の視聴者が呆れて離れるだけで、『水戸黄門』をもとから観ていない層は「マンネリで年寄りが観る時代劇」と思うだけだったのだろう。『水戸黄門』が石坂黄門になろうと里見黄門になろうと、マンネリ否定派は新シリーズの内容も新キャストも知らない。
マンネリを続ければ時間の問題で飽きられるし、同じ番組のままでのマンネリ打破の試みはマンネリ肯定派からも否定派からも支持されない。スタッフにとって、新しい視聴者(特に若い視聴者)を獲得するには番組その物を変える以外になかったのだ。
『水戸黄門』終了によってナショナル劇場のスタッフは、本当に視聴率の数字でなく、若者の視聴者を増やすことに專念できるようになるわけだ。

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石坂浩二 水戸黄門 石坂浩二の『水戸黄門』について
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