2025年1月17日午前5時46分、黙祷を捧げました。阪神・淡路大震災と震災関連で亡くなられた方たちのことを思い、今日1月17日を祈りの日にしよう。
あの日、あの時から30年。
そう言われても、私自身は去年と何かが変わった訳でもない。特別なことは何も書けない。
メディアでは、阪神・淡路大震災で起こったこと、その記憶を風化させてはならないと、30年の区切りを機に特集が組まれたりしている。もしかしたらこれって関西だけの番組かもしれないけれど。
インフラの整備や防災の知識・対策についてはここで書く必要はないので、あくまでも個人的なことを。
毎年、1月の3連休明けはちょっと身構える。あの地震は多くの人がそれぞれの連休を過ごした翌朝のことだったから。
特に関西では当時、地震は西日本では起きないと言われていたのだから、まさに寝耳に水。よもや家族と突然の別れがやってくるとは誰も思っていなかったはず。
今も1月の連休の頃になると思う。シンプルに、明日自分がいなくなってもいいように、大事な人と気持ちの行き違いがあればすぐに解決しておこう。感謝の気持ちは日頃からちゃんと伝えておこう、と。
私の被災体験などはメディアで報道されている被災者の方々の体験とはかけ離れている。被害の大きかったエリアに住んでいたにも関わらず、ありがたいことに生きて生活ができていたから。道が寸断されてどこにも移動できなかったことや、マンションの理事として住人のために物資の受け入れや配布、掲示連絡等を毎日行っていたことや、水や食料確保の心配、壊れた内装の修繕、通勤の不便、こんなことは、取るに足らないこと。被災者の誰もが経験した普通のことだ。
ただ、多くの人とともに壊れた街に住み続け、重く暗鬱な気持ちで過ごした日々の感覚は体の中に今も沈殿している。
●過去のブログ「祈りの日」から
ドラマ「BRIDGE」を観て思い出した2019年の投稿
震災から20年(2015年)の時の投稿
アンケートの回答で振り返る2011年の投稿
震災発生当時を思い出して書いた2007年の投稿