余桃之罪、もしくは電光朝露

関西フィル、日本センチュリー、京都市交響楽団、大阪フィルの定期会員です。アイドルやら声優やら。妄想8割、信憑性皆無。

京都市交響楽団第634回定期演奏会

2019年05月18日 | 京都市交響楽団
京都市交響楽団第634回定期演奏会
2019年5月18日(土)14:30 京都コンサートホール大ホール

指揮:カーチュン・ウォン
ヴァイオリン:ラグンヒル・ヘムシング
コンサートマスター:泉原隆志(京都市交響楽団コンサートマスター)

曲目:
吉松隆/鳥は静かに... op.72
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲ニ短調op.47
フランク/交響曲ニ短調

爽やかな5月!と言いたいが、気温は早くも6月下旬に近いとか。電車や商業施設ではエアコンが早くも使用されていたり。
会場に入ると「1曲めと2曲めは続けて演奏するよ」というような掲示が多数あり。どういう意図なんかな。

気がつきゃ大人気指揮者になりつつあるカーチュン・ウォン。初めて彼の指揮に接したのはデュメイの代役で現れた関西フィルいずみホールシリーズだったが、あれが日本デビューだったらしい。
今シーズンも京響、名フィル、神奈フィル、日フィル、PACと渡り歩く。
プレトークでは身振り手振りに片言の日本語も交えてとても熱っぽく語る。
鳥たちが亡くなった仲間の鳥を囲むように佇むヴィジョンから作曲された吉松作品についても「ヴィオラは、アノ、シンジャッタの鳥・・・」
三年後くらいには俺達よりも日本語がうまくなってそうだ。
ニ短調で固めたプログラムで、吉松とシベリウスはどちらも鳥に影響を受けており、音楽的な連関としても素晴らしいので続けて演奏するとのこと。
オッコ・カムだったかな、やはりシベリウスの"鶴のいる情景"とヴァイオリン協奏曲を続けた指揮者もいたし、そういうことを誘うなにかがあのヴァイオリン協奏曲にはあるのかしら。

吉松。弦楽のための作品。"朱鷺に…"よりも編成がシンプルだからか、吉松作品の伝道師、藤岡幸夫以外にもこの曲をレパートリーにしている中堅・若手は多い。
でも、日本人指揮者以外で取り上げるのは珍しいんじゃないか。幻想的で淡い作品だがカーチュンはくっきりと弾かせて表現力が強い。
対向配置、しかもコントラバスをオケ最後方に横並びで置いてるが故の響きなのかどうか。
曲が終わりかけてもソリストが出てこない。曲がシベリウスに入ってもまだ出てこない。事故の予感がよぎったところで舞台袖から弾きながら歩きながらご登場。
L側の客は全員、身を乗り出してソリストを、音の出処を探してたw
シベリウス。ヴァイオリン協奏曲。言わずとしれた名曲。
ラグンヒル・ヘムシングは1988年生まれのノルウェーの女流。妹のエルビョルグもヴァイオリニスト。
独特の音色・音程・ノリの、洗練されてない土俗的な味のある鄙びたソリストで、技巧曲としての協奏曲ではなく、交響詩の中に独奏パートが存在しているような印象を受ける。
アンコールは装飾の多いヴァイオリンに持ち替えて?長々としゃべって。ここらへん見えてない、単眼鏡持ってくればよかった。
ノルウェーの民謡なぞを足踏みしながら弾いてくれた。
ハルダンゲル・フィドルという民族楽器だそうだ。
ネーメ・ヤルヴィがDGに録音したグリーグのペール・ギュント完全全曲版でしか聴いたことのなかった音に感激した。
まわりの反応が薄かったのが少し寂しい。
伴奏は熱すぎる。バーンスタインばりの熱さだが、第3交響曲あたりまでの作品はこういうパワフルなアプローチのほうが映えることもあるので、まあ良し。
関西フィルに来たときも協奏曲はシベリウスだったけど、あのときはここまでの熱い伴奏ではなかったなあ。

フランク。京響では07年10月の第505定期以来(下野)、十二年ぶり。十二年前とか何やってたんだろ。思い返すのも恐ろしい。
プレトークではお決まりの「オルガン的でブルックナーのような」ということだったが、ブルックナーの交響曲は響きはワーグナー、楽章の性格はベートーヴェンとシューベルトに近く、
フランクが晩年も晩年の66歳になって作り上げたこれは、バッハに近いとみるべきだろう。
実際の演奏はブルックナーでもバッハでもなく、マーラーやチャイコフスキーのような主観と主情の大演奏だった。
ステンドグラスのあるゴシック修道院的な、静的で荘厳な演奏が好きなのでいささか肩透かしを食らった感はあったが、比較的軽めな音響の京響から重厚な弦、威圧的な金管の威力を引き出してみせる力量はあっぱれだ。

世界観光都市ランキング上位常連、首位に何度も立つ京都。
国際観光文化都市で世界遺産を抱く、千年の都、京都。
やはりね、一人ぐらいアジアの指揮者を昵懇の仲としてキープしておきたいわけですよ。
少子高齢化の日本で頑張ったってジリ貧ですから、日本一よりもアジア一を狙おうよ。
ということで、カーチュン・ウォンのような才能を押さえておくのは京響の世界展望には有用だと感じた。
まあ、決断するころには他に攫われてるんだろうと思うけど。






バーンスタインらしい、劇的で鮮明で若々しいフランク。後年の再録音は少し重すぎる。
サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」/フランク:交響曲ニ短調
SMJ
SMJ




京都市交響楽団第625回定期演奏会

2018年07月21日 | 京都市交響楽団
7月21日 (土曜日)14:30 京都コンサートホール大ホール

下野 竜也(常任首席客演指揮者)
野田 清隆(ピアノ)
豊嶋 泰嗣(ゲストコンサートマスター)

曲目:
シューマン(野本洋介編曲):「天使の主題による変奏曲」からテーマ
尾高惇忠:ピアノ協奏曲
ブルックナー:交響曲第1番ハ短調 WAB 101(リンツ稿・ハース版)

京響!初日!

シューマン。
最後の作品となった天使の主題による変奏曲なるピアノ曲の美しい主題を管弦楽にアレンジしたもの。
最後の作品ではあるがそのテーマは旧作のヴァイオリン協奏曲に現れるものによく似ているという。
それを「天使が歌ってくれた」と、作品に仕立て上げたシューマンの壊れきったココロの澄んだ悲しさが沁みる。
編曲者は読響の打楽器奏者。下野さんが読響にポストを持っていた縁ということか、このアレンジは下野さんが音楽総監督を勤める広響のシューマンチクルスのアンコールとして毎回取り上げられたそう。
下野のシューマンというとPACでも全曲企画をやったけれども、気がつけば今はスダーンのモーツァルト企画が続いてるねえ…。シューマンは売れんのかねえ。

尾高惇忠。
11年5月21日第546回定期演奏会(指揮:広上淳一)でオーケストラのための"肖像"が演奏された尾高さん。
存命中の邦人作曲家が別の曲で再度定期に出てくるというのは、ありそうでないことでありまして、尾高さんの評価が分かろうというもの。
京響さんだと武満・伊福部・吉松ぐらい?(調べやすいように定期だけでも良いので第1回からのデータベースを公式で作りませんか)
尾高さんの出自がよく分かる、フランス近現代的な官能的響きと、プロコフィエフやショスタコーヴィチばりの非人間的でメカニックでメタリックな響きが交錯する作品だった。
"マイルドな三善晃"ということで、よろしいんじゃないでしょうか。客席に尾高さんいらしてた。3度めの定期登場はあるかしら!あればいいな。というか委嘱作品なんてどうかな。
独奏の野田さんのクリアな打鍵と、オケをバリバリ鳴らしてもソロをかき消さぬバランスを成し遂げる下野の捌きが凄い。

ブルックナー。ブルックナー・オーケストラではない京響さん、ここ10年ほどの京響定期では井上・小泉・高関・下野…かな?少ないねえ。
ここ10年ほどの関西に目を移せば、第1交響曲は小泉&センチュリー、児玉&大阪交響楽団、飯守&関西フィル、井上道義&大阪フィル、そして本日と版こそ違えど下野&大阪フィル。
そう、版が違う。リンツ稿は交響曲創作初期のもの、それを晩年に改作したものがウィーン稿。
プレトークで下野さんは「小学校の卒業文集を大人になって書き換えたような」と表現していた。ワタクシもこのブログの何処かで「子供の頃のパステル画をモティーフそのままに油絵にしたような」と書いた気がする。
ウィーン稿は晩年の感性で曲を整理して綺麗に管弦楽処理した結果、リンツ稿の持つ素朴で乱雑、早口だけど言葉足らずな、そういう若さ&良さが全て消え失せる始末。
だが、今日まで下野さんはブル1を取り上げるとなればあえてそのウィーン稿を取り上げてきていた。ここへきての大転回。なし崩し的にチクルス化しちゃうのかな。
演奏は!
シャープなのにスマートではなく武骨。知的に組み上げて立体感が凄いのに腰が軽くならず妙にどっしり。
立体感あたりは広上さんが来て以来のすり鉢状配置が完全にオケに馴染んだことも貢献している。ホール中央で聴けば指揮者の頭上2mぐらいで音が渦を巻くのが見えるから。
オケはまだおっかなびっくりなところが管楽器の一部に聞こえて、二日目になればさらに良くなる感あり。

プレトークでは評判の悪いプログラミングについての釈明に近いお話と、新しい作品や耳馴染みのない作品をなぜ取り上げてゆくのかについての思いなど。
京響さん自体は第9公演の前プロに現代邦人作品委嘱初演を長らく組み合わせていたり、前の首席客演指揮者・岩城宏之が邦人現代作品+ド名曲プロをやり続けていたり、
井上道義時代の超アグレッシブなプログラミングがあったりとそれなりにやってきているんだけれど、まあ、定着はしないわね。
岩城宏之のエッセイに、バーゼルだったかの音楽協会が設立150年を祝してメシアンやマーラー7番などのリクエストがくるだろうと期待しつつ耳の肥えているはずの協会員へリクエストを募ったら、1位がアイネクライネナハトムジーク、2位が未完成交響曲、3位が新世界よりだった(順位うろおぼえ)ので、協会の担当者が「150年もやっててこの有様です」と泣いてた話があったけれど、そういうものなんでしょう。
倦まず弛まずやるしかない。尾高とブル1で組み合わせは良かったのか、という議論とかは中の人でやってください。我々は出てきたものを文句言いつつ残さず喰うので(笑)。

次回は高関さんの戦争レクイエム!今月は東京遠征までして東響のゲロンティアスの夢を聴いてきましたのでね。2ヶ月続けて英国合唱曲の精華を聞くわけですよ。
前回戦争レクイエムを聴いたのは・・・

大阪フィルハーモニー交響楽団第473回定期演奏会
2013年11月15・16日ザ・シンフォニーホール
指揮/下野竜也

・・・あんたらしかいてへんのかいな・・・



京都市交響楽団 第539回定期演奏会

2010年09月04日 | 京都市交響楽団
10.9.4(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第539回定期演奏会
指揮/尾高忠明
コンマス/渡辺穣(京都市交響楽団コンサートマスター)
曲目:
シベリウス/アンダンテ・フェスティ-ヴォ
シベリウス/「ペレアスとメリザンド」組曲op.46
シベリウス/レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲)op.22
        交響詩「レンミンカイネンとサーリの乙女たち」op.22-1
        交響詩「トゥオネラの白鳥」op.22-3
        交響詩「トゥオネラのレンミンカイネン」op.22-2
        交響詩「レンミンカイネンの帰郷」op.22-4

まだまだ暑うございます。初秋やないね、晩夏やね。
8割強は入ったかしら。土曜定期ながら地味なプログラムを思えばありがたい。
尾高さんは最近関西のオケを良く振られるけども、相愛の客員になってるのも関係してるんだろうか。

プレトーク。
みなさん京都は涼しいですねえ(笑)。今日はシベリウスの作品ばかりです。こんなプログラムを聴こうというのは余程の通か、まあなんとなく来てしまったか、外は暑いしホールで涼もうと思ったか・・・。
フィンランドというのは「フィン族の国」という意味ですが、ハンガリーの「フン族」と同じ民族です。これはモンゴル(の民族)とも同じなんですね。モンゴルから日本の国へと渡ってきたのが、日本の一部の民族の祖先というわけです。だから日本人は理解しやすいのかも知れませんが、世界的にみてもシベリウスの音楽を愛する人が多いですね。私も何度かフィンランドへは足を運んだことがあります。ヘルシンキの空港へ降りる前に外を見ると、点々と湖があって綺麗でした。成田とかだとゴルフ場が沢山ね・・・。ヘルシンキから、トゥルク、オウルと北へ上がっていくとロヴァニエミがあります。みなさんご存知のサンタクロースの村ですね。ヘルシンキの近くにシベリウスは山荘、奥さんの名前をとって「アイノラ」と名付けた山荘がありましてここで晩年まで過ごした。遠い時代の人のように感じますが、僕が生まれた年にはまだ生きていた。山荘には過ごしていたそのままを残してあってコートにはクリーニングの札まで付いてました。晩年はいくつかの小品を書いたぐらいでほとんど書かなかった。大きなラジオが部屋にありまして、短波放送でもって世界中で演奏される自分の作品を聴いて過ごしていた。オーマンディに送った「演奏してくれてありがとう」というような手紙も残っています。シベリウスが使っていたピアノで舘野泉さんが僕達夫婦のために弾いてくれたのを今でも忘れません。
フィンランドの人はシベリウスを大切にしていて日本人の指揮者にフィンランディアは振らせてくれないぐらいです。ヘルシンキフィルのメンバーが日本の演奏旅行は楽しい、でも2番ばかり演奏させられるのは苦痛だ、もっと素晴らしい作品がシベリウスには沢山あるのに、と言っていましたが同感ですね。フィンランディア、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番・・・私も沢山演奏しました・・・が、今日はやりません。有名でないものばかりですが、分り易く素敵なものばかりです。
京響は私の同級生、井上道義さんが音楽監督、工藤千博さんがコンサートマスターの時に飛躍的に良くなった。工藤さんはガンで亡くなられましたが、前に定期でマーラーの5番を振った時にもうガンだと分かっていましたけど、聴きに来てくれて演奏後に話したのが最後でした。今は素晴らしい才能である広上さんの下で京響はさらに良くなって・・・。その広上さんと相談して今日のプログラムは決めました。こんなプログラム、お客さん100人来るかな、と言っていたのですが沢山来ていただいてありがとうございます。
・・・というようなことを言っていたような気がするけどもうろ覚え。話は前後してると思う。
雑学を挟みつつプログラムには書かれていないことを補足してオケにもやんわり触れてくる、これは大友さん以上に気配り茶話の名人。おぢさんの背後のじいさんは「話のうまい人やのう」と感心してた。
有名でないプログラムと言われたが、尾高さんが生まれた時(1947年)には断筆に近い状態ながらも存命(1957年没)だったということは、つい最近まで著作権が生きてて・・・おぢさんも買ってるけどスコアが高いんですよ。1番2番あたりの交響曲とかフィンランディアは安いものもあるか。ちなみに京響さんは1956年創立です。
今まで京響さんが定期でやってきたシベリウス作品はカレリア序曲、カレリア組曲、悲しきワルツ、フィンランディア、トゥオネラの白鳥、ポヒョラの娘、恋人たち、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第1・2・5・7と日本のプロオケとしてはまあそんなもんかなというところ。ただオールシベリウスプロを今回含めて5回もやっているとは思わなかった。井上道義2回、大友直人1回、そして尾高忠明の2回であります(1987年度の301回定期、カレリア組曲・Vn協・7番)。あれっムントは?と思うかもしれんがあれは特別演奏会で・・・。

夏の余波ですかね、2ndVnにN響の2nd次席の白井篤さん、Vaにはカミサマ菅沼準二さん、Cbに群響の山崎実さん、ティンパニは8月同様都響の安藤さんです。

アンダンテ・フェスティヴォ。
元々は1922年に書いた弦楽四重奏のためのものを1930年に弦楽合奏(と任意のティンパニ)のために編曲した作品。第6交響曲(1923年)第7交響曲(1924年)タピオラ(1925年)という流れですから、もう十分解脱した時代の曲ですね。いい曲だ。冬の終わりに大音量で聴きたい。線の細い京響サウンドがマッチしてたと思う。ティンパニありだったが、好みとしては無い方がいい。

ペレアスとメリザンド。
フォーレ、ドビュシー、シェーンベルク、シベリウスが何がしかの曲を書いているこの題材。知名度と演奏回数では4作品中4番手のこれを楽しめる人も少なければ楽しめるように演奏する人も居ない。おぢさんはシベリウスの交響詩を溺愛しているので今回のメインの4つの伝説曲は月一の割合で聴いてるし、アンダンテ・フェスティヴォも去年末の大フィルで聴いたのでペレアスをあえて予習せずに挑もうかと思ってた(1曲は予習せずに演奏会に突撃することで新鮮さを失わないようにするのが流儀なもんで)。ところが前日にベルグルンド/ボーンマス交響楽団の録音を聴いちゃった。
いやー、聴いておいて良かった。じゃないと多分何の記憶にも残せなかったと思う。各曲のト書きを熟読したお陰で京響さんの頑張りも感じられたし。もう一回聴きますか?と訊かれたら断るけど・・・。

休憩挟んで4つの伝説曲。
この曲はすごいですよ。後に改訂こそするけど、一応交響曲第1番よりも先に書いているという衝撃。交響曲作家と同時に交響詩作家として出来上がってんじゃん。衝撃のあまり極東のおぢさんがカレワラ買って読んだぐらい。レンミンカイネンはいわゆる放蕩息子。時代はぐっと近くなるがお隣ノルウェーはペール・ギュントが有名な放蕩息子。あれこれやんちゃして生命の危険までゆくが最後はなんとか帰還する。
第1曲と第3曲のオーケストレーションが感動的に美しいが、録音ではとらえ切れない微細な音響なので是非とも生演奏で聴くべき曲なの。第1曲の終結はグローヴス/ロイヤルリヴァプールpoの幻想的で素晴らしい演奏があるけども、楽譜を見る限りは異常な演奏なので実演であれを聴けるとは思わない。今日の京響さんも至極真っ当なテンポ。にしても至る所で弦はdivisiになって大変。第3曲はその微妙な音響を駆使して奏でられる微音の子守唄。この空気感がオーディオでは出ない。
トゥオネラの白鳥は完全にムーミン谷の冬だよね。
珍しい曲なので上手く音を振り分けてくれる尾高さんの棒でスタイリッシュに聴けた。
同曲のディスコグラフィでは最下位に近い不出来なムント盤を今日の演奏に差し替えたいね。つくづく京響さんはベストフォームを録音出来てないと・・・。

ただ残念なことは音楽で感動する前に河原町でいつものように腹ごしらえしてから烏丸まで腹ごなしに歩いていたら京響Tシャツを着ている人を2人も見かけて。そちらの感動の方が大きかった。思わず写メ撮ろうかとケータイ握ったけどさすがにそれは。
新たなターンがキテるよ京響さん。

にしても留学中の首席Cl早く帰って来(ry

佐村河内守 交響曲第1番 演奏会

2010年08月14日 | 京都市交響楽団
10.8.14(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
佐村河内守 交響曲第1番 演奏会
指揮/秋山和慶
管弦楽/京都市交響楽団
コンマス/渡辺穣(京都市交響楽団コンサートマスター)
曲目:
佐村河内 守/交響曲第1番

終戦記念日前に聴くってところがこのコンサートを仕掛けた方々のミソなんでしょうね。
ヒロシマでございます。
この名を持った邦人作曲家の交響曲としては大木正夫の交響曲第5番「ヒロシマ」、團伊玖磨の交響曲第6番「HIROSHIMA」以来3作目かな。細川俊夫にはヒロシマ・声なき声、という作品がありますね。
全盲で被爆2世という作曲家のオプションがついてようやくこの歴史に光を当てた管弦楽作品がプチブレイクするという、日本の交響楽を取り巻く環境に一抹の寂しさはありますが、興味も持ってもらえていることをありがたく受け止めていかにゃいかん。でも前後してるんですよね、抜粋初演の後、今回の全曲初演に合わせて「HIROSHIMA」の副題を付けることにしたそうです。ご本人の境遇だけで十分なんだから変に副題つけなくても良かった気もしますが・・・。
8割強は入っているでしょう。現代音楽の新作の全曲初演、しかもこれ1曲のコンサートにこれだけ人が入ることが素晴らしい。広島から東京から大勢の方が駆けつけた。奇跡の瞬間を待ちわびる人々の熱気。富士宮から信濃町、松濤から麻布台、箱根から熱海、綾部亀岡から丹波、富田林あたりでおぢさんが放浪者として存分に吸い込んできた大好物の空気であります。そんなわけでプログラム冊子がいい感じだったが聴く前に読んだら判断力を奪われること確実の雰囲気だったのでさわやかにスルー。

おぢさんが愛してやまない日本のワーグナー、三枝成彰が現代音楽界から切られ・・・いや決別してン十年、いやいやながら引き受けた芥川作曲賞の審査員の仕事の中で見出したのがこの作品。世界の最先端から半周遅れの劣化コピーしか作れないと評判の日本作曲界、その中からさらに2周ほど遅れたためにレースから離脱した人に何の審査ができるのかという厳しい指摘もあるわけですが、ともかく成彰の琴線にこれが触れた。
なるほど第3楽章前半の激しい部分は成彰が外山・石井・芥川と競作した交響組曲「東京」の第2楽章「Summer」にそっくり。あんた自分が書きたかった曲を書いてきたから褒めただけちゃうかと・・・。ですので現代音楽というよりも20世紀半ばぐらいまでの技術で書かれた、音響の異様さが比較的薄くて聴きやすい作品なんです。
広島での秋山先生と広島交響楽団による抜粋初演が成功し話題になったために東京でも成彰の盟友である大友さんの指揮する東京交響楽団で演奏される機会をつかんだのですが、これも抜粋であった。広島も東京も第1楽章と第3楽章だけ演奏された。これは全曲演奏すると70分を超えるがゆえの時間的な制約かなと思っていたんだけども、実際第2楽章を聴いてみると内容が第1楽章と重複して聞こえるために冗長になっている。音楽的時間としてあの長さが必要だというのであればもう少し音響にバリエーションが欲しい。第1楽章では身を乗り出して聞いていた前列の家族連れの児童が、第2楽章ではひっくり返って後ろのおぢさんと目が合うくらい退屈していた。第3楽章ではまた興味深く聞いていたので子供は残酷なくらい正直だと感じた次第。また長くなくともよいのであれば思い切って第1楽章と統合して短縮するのも手かもしれない。現実的な話、1時間を切る2楽章の交響曲にすればさらなる演奏機会を掴めるんだけどねえ。ご自身がプログラムにあの長さが要ると書いているのでそこは動かしがたいか。
第3楽章の最後はチューブラーベルの強烈な連打で救済の鐘かはたまた神を呪う叫びかというぐらいの圧倒的な情景。
んー秋山先生も大友さんも広響東響京響とも、この曲の怨徹骨髄のどす黒さを表現するには余りにもスマート過ぎるんだな。広上さんか・・・一本調子でよければ藤岡幸夫なんてもありだがなあ。

大きなブラボー。
なんか主催者の挨拶とか臨席なさっている広島市長やら京都市長やらノーベル賞の益川教授やらの紹介、佐村河内さんの挨拶とか。幼女鑑定師二級のおぢさんの眼が光る瞬間もあったがそれはさておき。
ブラボー叫びまくってた人たちの中で佐村河内守の次回作の演奏会があったとしてどれだけ駆けつけてくれるんだろうとそれが気になる。そうでしょう。一発屋じゃないんだから。佐村河内さんは今後も病苦を抱えつつ創作なさるわけでしょ。さらなる高みを目指されるわけですから。
交響曲第2番第3番はもう完成してるそうなので一度は聴きたい。

おぢさんだったらこれまでの作品・今後の作品全部に「HIROSHIMA」ってサブタイトルを今すぐ付けるけどね。うーん卑屈。
ペンデレツキは広島の犠牲者に捧げる哀歌というタイトルを後から付けた、あいつはいつもそういうヤツなんだと怒気を含んだ口調でグレツキにまくし立てられた夏を思い出す。おぢさんが日本人だと知るやいきなりそういうことを話しだすとは、きっと何か恨みがあるんだろうなあと考えながらも相づちを打つだけだったが・・・。

京都市交響楽団 第538回定期演奏会

2010年08月06日 | 京都市交響楽団
10.8.6(金)19:00 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第538回定期演奏会
指揮/ファンホ・メナ
ヴァイオリン/エリック・シューマン
コンマス/泉原隆志(京都市交響楽団コンサートマスター)
曲目:
ファリャ/歌劇「はかない人生」から "間奏曲とスペイン舞曲"
ラロ/スペイン交響曲ニ短調op.21
クライスラー/レチタティーヴォとスケルツォ・カプリスOp.6(アンコール)
ドビュッシー/管弦楽のための「映像」から "イベリア"
グラナドス/歌劇「ゴイェスカス」から "間奏曲"
ヒメネス/サルスエラ「ルイス・アロンソの結婚式」から "間奏曲"

この糞暑い京都の夏にもかかわらず8割以上のお客様で埋まっていることに感激するね。
夏にスペイン音楽ってベタやけど素敵やん。
プレトークは音楽主幹の通訳で。というか主幹が事前にメナに取材したことを主幹が読み上げてくスタイル。舞台に呼ばれてるメナが手持ち無沙汰そう。ごめんね。数をこなすうちに良くなるはずなんでもう少し待っててね。
メナはスペイン出身で、スペインのオケのポストなどで実績をあげている中堅。近年は来日公演でも成功を収めて、来年には藤岡幸夫が副指揮者をしていたBBCフィルハーモニックの首席指揮者になるそうな。
8月定期ですので客演奏者が花盛り、2ndVnはシンフォニカーのアシコン里屋さん、Vaに百武さん、Cbに都響の佐野さん、FgとHrnにはシンフォニカーから藤崎と細田の両首席、Timpは都響の首席・安藤さんです。

ファリャ。
オペラ自体は余り演奏されないけど、この曲は様々に編曲されて演奏されるスペイン情緒満点の名作。お国ものだし場数も踏んでいるのでしょう、旋律の歌わせ方、リズムの取り方と堂に入ったもので結構なものでした。

ラロ。
父がドイツ人、母が日本人のエリック。なんやアリスと同じやないかと。
非常に真摯な弾きぶり、真面目すぎてスペインらしさが足りないのはいつぞやの大フィル定期の長原くんと同じ。こちらのほうが技巧が上でしたが。伴奏がいい。国内オケでどれだけ聴いても何がスペインなのか掴みようのない演奏ばかりでしょんぼりしていたが人を得ればやれることがあるのだと感じ入りました。
日本語でアンコールを紹介。客を掴んだね。また来て下さい。

休憩挟んでドビュッシー。
名曲なのでドビュッシー作品集などではよく収録されてるけど冒頭部分ぐらいしか記憶に留めてなかった。打楽器がバンバン鳴る両端曲よりも第2曲の夜の薫りこそが一番スペインっぽいのかも知れん。トランペットが良かった。

グラナドス。
どんな曲だったか忘れていたが泣ける曲だった。客席の反応が良いものを聴いた時のなんとも言えぬ温かい感じ。

ヒメネス。
サルスエラはスペイン独特の歌芝居。ドミンゴの両親はサルスエラ歌手だったのではなかったか。このジャンルから結構良い作曲家が輩出されていて、ヒメネスやチャピ、チュエカあたりのサルスエラからのアリアやら管弦楽曲は時折演奏される。おぢさんも好きな方なのでサルスエラからの序曲・間奏曲集など見つけては集めてたり。
底抜けの賑わいで燦然と生きるヨロコビを歌う楽しい音楽。

楽しかった。客がみんな笑顔で帰る。プログラムの勝利だ。


京都市交響楽団 大阪特別公演

2010年07月19日 | 京都市交響楽団
10.7.19(月・祝)14:00 ザ・シンフォニーホール
京都市交響楽団 大阪特別公演
指揮/広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)
ピアノ/アリス=紗良・オット
コンマス/渡邊穣(京都市交響楽団コンサートマスター)
曲目:
シベリウス/交響詩「フィンランディア」op.26
グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調op.16
ショパン/夜想曲第20番嬰ハ短調(アンコール)
リスト/パガニーニによる大練習曲より第3曲『ラ・カンパネッラ』(アンコール)
シベリウス/交響曲第2番ニ長調op.43
グリーグ/組曲『ホルベアの時代から』op.40より第4曲「アリア」(アンコール)

というわけで大阪公演。
9割以上埋まってありがたい事ですね。客の目当てがアリスっぽいので空気が微妙ですが。

フィンランディアはさらに力が入ってちとうるさいぐらい。
グリーグはまあこんなもん。先日よりは力みが抜けて流れが良くなったかなと。

休憩挟んで第2交響曲。
定期ではバーンスタインの交響曲をやったところをシベリウスに差し替えての北欧プロというわけでこの曲なんですが、おぢさんが一番バーンスタインを感じたのはこの演奏だったという。
溜めに溜めたところから音を割ってバリバリと鳴りまくる金管、ねっとりとしつこい弦楽器、とにかく脂ぎった表情付けでバーンスタインのシベ2のような完成度ですよ。
4番以降の交響曲の、すっかり人間臭さが無くなってしまって悟りが開けたシベリウスを愛する人からすれば、この2番はやりすぎに感じるかもしれませんが、野心も持ち合わせてギラギラと血走ってる2番ってのはひとつの正解ではあるわけですのでこれでよろしい。50代前半までのおっさんたちにはこういう演奏を支持していて欲しいと思いますよ。
まあ60代でシベ2を愛聴するような人生ってどうかなという気もしますが・・・。

アンコールも同じくホルベアのアリア。より美しく聴こえるけども、あの切実さが抜けてしまってただのアンコールにしか感じない。これは定期と大阪公演の両日を追いかけてしまったが故の弊害だ。

ちょっと遠いかもしれませんが大阪の方々には京都まで是非ともお越し頂いて、充実の時を迎えようとする京響の本寸法を京都コンサートホールでお聴きいただきたいなと願うわけです。
阪神タイガースがいかに準本拠地的に大阪ドームを扱ってもやはり甲子園が本拠地でなければタイガースとは言えないわけ。
京都に来て下さい。おぢさんはここのところ毎回頑張って行ってる。そのぶん仕事も頑張らないといかんようにはなったが・・・。

京都市交響楽団 第537回定期演奏会

2010年07月17日 | 京都市交響楽団
10.7.17(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第537回定期演奏会
指揮/広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)
ピアノ/アリス=紗良・オット
メゾソプラノ/富岡明子
コンマス/渡辺穣(京都市交響楽団コンサートマスター)
曲目:
シベリウス/交響詩「フィンランディア」op.26
グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調op.16
リスト/パガニーニによる大練習曲より第3曲『ラ・カンパネッラ』(アンコール)
ショパン/ワルツ第19番遺作(アンコール)
バーンスタイン/交響曲第1番「エレミア」
グリーグ/組曲『ホルベアの時代から』op.40より第4曲「アリア」(アンコール)

土曜定期で広上指揮、ソリストがアリスですよ。
満席で当然じゃないですか。

プレトークは目下プレトーク修行中の新井シニアマネージャー(音楽主幹の役職がこれに替えられたらしい)と共に。
祇園祭の最中によくぞ来てくださった、というところからバーンスタインが身長160cmだといところまで幅広く。広上さんは152cmだそうです。ちなみにラルクのhydeが(ry

フィンランディア。
京響さんも度々取り上げていて十八番の感がある。ムント時代に録音もあるね。
金管にバリバリとモノを言わせて劇的に仕上げる広上流でした。前プロだしちょっとオケは荒れ気味。
冒頭にこの曲を持ってくるプログラムっておぢさんは苦手なんだけど他の人はどうなんでしょ。

グリーグ。
続く大阪公演や群響でも広上さんとこれを演奏なさるわけ。
基本的に楽譜から逸れることなく淡々と弾く。前に聞いて気になってたアルペジオがぎこちなく聴こえるのは音が抜け落ちちゃうからなんだなとようやく確認しました。
ピアニストが見た目以外はまだまだ個性が確立されていないので伴奏がいかにもり立ててやるかというところ、広上さんは伴奏上手ですし、オケに聴きどころも多いこの曲をかなりのスケール感を出していた。第1楽章の終結とかもうこれで終わりでもいいんじゃないかと思うほどの音の張りよう。とはいえこれもピアニストがしっかりしていればさらに充実した聴きものになったはずだと思うと何か口惜しいような。
アンコールにいつものとショパン。何気にショパンがこの人の地に合っている気がした。

休憩挟んでバーンスタイン。
聴いてないなあ。3年ほどこの曲聴いてない。
「予言」「冒涜」「哀歌」の三楽章からなる。未来への不吉な警鐘を感じさせる第1楽章や民族の永劫の軛を嘆く第3楽章は美麗にやりすぎた。もっとのめり込んだものがないとイカンかった。帰宅してからバーンスタインの2種類の自作自演を聴いたがユダヤでないと表わしきれぬ内容なのかも。マーラーより手に負えない。第1番の数年後に書くミュージカル『オン・ザ・タウン』の終幕近く、コニー・アイランドの客引きが歌うアラビア調の音楽は、第2楽章の音楽からシリアスな部分を差し引いて作ったんだなということが分かって楽しかった。こういう曲をリズムを固めて躍動感に満ちた演奏をさせたら広上さんに敵う人は少ないね(余談だけど自作自演盤でコニー・アイランドの客引きを演っているランデル・ストリボニーンというこの録音以外では確認できない歌い手はレナード・バーンスタインのアナグラム)。

シーズン末でも無いのに広上さんがマイクを持って、首席トランペット奏者宮村聡さんの卒団式。07年半ばに病を得られて再起を賭してリハビリに努めていらしたのは聞いていたし、まずは指導者としてやれるところからスタートしているとも聞いていたが、オケに復帰するまでの回復は見込めなかったらしい。京響の金管というのは長らく宮村さんの音がそれを代表していたわけなのでこういう形での終わりというのは悲しすぎる。
車椅子の宮村さんが病の後遺症なのだろう、やや不明瞭な発声で「楽譜に忠実にということを第一に頑張ってきた(し、それを皆も大事にしてもらいたい)」と挨拶。宮村さんの同僚だった京響のサムライ、早坂さんから花束と握手。
「1曲捧げる」と宮村さんを指揮台横に居させたままグリーグ。
宮村さん最後の定期は彼の輝かしい音は一音も無く、ただ楽員の熱い感謝の思いに涙を流すばかり、美しくも切ない幕切れとなった。

こんなんいややねん。もうこれでグリーグのホルベア聴くたびに今日のことを思い出すようになったやんか。

京都市交響楽団 第536回定期演奏会

2010年06月19日 | 京都市交響楽団
10.6.19(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第536回定期演奏会
指揮/高関 健
コンマス/泉原隆志(京都市交響楽団コンサートマスター)
曲目:
ウェーベルン/管弦楽のための5つの小品op.10
ウェーベルン/大管弦楽のための6つの小品op.6(1928年版)
マーラー/交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

8割ぐらいの客入り。
やはりこのプログラムでは客入りの良い土曜でもこんなものか。

ヴェーベルン。
プレトークで「音符が20個ちょっとの曲もあるが金を返せと言われても困る」と言っていたが、確かに短い。短いだけでなく音楽として何が起きているのか何を聴けばよいのか全くわからない人も多かったろう。
音色旋律なる理屈で作られた音楽だと言うのだが、ヴェーベルンはなぜそんなことを考えるに至ったかがプレトークでもプログラムでもイマイチ分かりやすく語られなかったので戸惑う聴き手が現れた。
旋律と伴奏、それにリズムからなる従来の作曲法から脱却すべく、楽器の音色の混合と配分を中心にして音響自体によって音楽が動くような新たな作曲法を提示したのがヴェーベルンの師であるシェーンベルクであり、ヴェーベルンはそれをさらに前進させたという。
・・・だけれどもそれを念頭においてもあっという間に終わったので何が何だか。
音色旋律というだけあって特殊奏法の使用や使用楽器の多様さが肝で、そこが続くマーラー作品からの影響というか歴史的連続性があることを体感出来たら十分でしょうね。

マーラー。
サイモン・ラトルは皆様ご存知だと思うんですよ。ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の現在の首席指揮者兼芸術監督。15年ほど前でしたかね、彼が首席指揮者を務めていたバーミンガム市交響楽団を率いて同じ曲をやった。前プロがイダ・ヘンデルがソロを弾いたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲でこれも話題で。色々な音楽的要素をあまりにも細かく強烈なバランス感覚で次々と繰り出して聞き終わりに気持ちが悪くなったんもんです。メンデルスゾーンでは古楽の要素を管楽器にそれとなく要求してみせてたり。才気走るけれども、とにかく正体が掴めなかった。出してくる録音も全部そうですね、ストラヴィンスキーやフランス音楽ではブーレーズ以上の細密さを見せたかと思えば、ハイドンやベートーヴェンではピリオドアプローチ全開、最近出たブラームスの交響曲全集では大ロマン風の演奏をやる。それぞれのスタイルに合わせるだけ合わせて当人の顔が見えない。年齢的にパソコンが世に普及した最初の世代なんですかね、世界の様々な情報を等価値に扱えるようになったデータベース的指揮者の代表格でしょう。今の多くの若手指揮者は彼の廉価版のようなもんです。
大阪センチュリー交響楽団首席指揮者時代の高関健さんも所違えど同じような手法の方で、様々な作品を様々なアプローチで聴かせてくれた。日本でこの人ほど研究熱心で資料や情報の収集を怠らない指揮者はいないんじゃないのかというぐらいの勉強家。楽団もそうした人材を欲していたので財政が厳しくなるまでは相互作用が輝かしかった。高踏的で集客が伸びなかったのが残念でしたし、音楽的には理屈は分かってもそこを乗り越えて訴えてくるものに乏しかったですが。
そんな高関健さんがプログラムに「失敗作かも」とあるのを力強く「失敗作ではございません」と否定して始まった7番。第2第4楽章では何故ヴェーベルンを前プロで演奏したのか、ハープの一閃や木管のトリル、各種打楽器で音風景が俄に変貌する様は音色旋律の原型がここにあるんだと客全員が納得する演出。「楽譜通り思いっきり鳴らしたい」と言った終楽章終結の打楽器総奏はオケを圧倒するうるささで燦然たる日光の趣でした。
1955年生まれ、サイモン・ラトルと同年齢の高関健、面目躍如。

7番は人気薄ですがこれの第3楽章こそはマーラーの全管弦楽曲でもっともマーラー的な音楽ですので、7番が楽しめないとマーラーの50%は分からんままだ。マーラー以外に誰がこんなワルツを書くものか。

京都市交響楽団 第535回定期演奏会

2010年05月21日 | 京都市交響楽団
10.5.21(金)19:00 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第535回定期演奏会
指揮/広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)
ヴァイオリン/ボリス・ベルキン
コンマス/渡邊穣(京都市交響楽団コンサートマスター)
曲目:
シューマン/交響曲第3番変ホ長調op.97「ライン」
チャイコフスキー/幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」op.32
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲二長調op.77

今回も完売?すごいね。

シューマン。
これを録音して発売する。
力みかえった指揮ぶりでオケのサウンドも随分と筋肉質で硬く聴こえる。
雄大であるけれど優美さが失われてしまってはシューマンとは言えない。両端楽章はかなり激しくリズムを際立たせた分、荒々しく耳障りな印象だけが残る。中間楽章の旋律の流れの良さは広上淳一らしさ、京響のアンサンブルも素晴らしい。チェロと木管が生きている。

チャイコフスキー。
単一の管弦楽曲としてはチャイコフスキーでも最長のこの作品。ロメオとジュリエットが悲劇をファンタジーに昇華しているとしたら、こちらはリアリスティックな表現で陰惨な結末を強烈な音響で纏めている。広上淳一の独壇場。シューマンではマイナスに感じた硬さが作品の志向とマッチして見事な仕上がりになった。これも録音される。

ブラームス。
ベルキンは広上さんが激賞するソリスト、いつぞやはセンチュリー定期でも共演していた。
各楽章の内容をしっかりと把握して余す所なく押し出してゆく。朗々たる音でオケにマスクされるようなところは一つもない。技巧も確かで淀むところもない。伴奏巧者の指揮者も素晴らしかったが、前半2楽章は何事も明るくくっきりと聴かせてしまって内省的な表情に乏しく感じた。これはシューマンの出来と同根の事柄かも知れない。

思い返せばそういうことを書く、というだけで、実際聴いた瞬間は何事にも感激してはいるのだが。

京都市交響楽団 第534回定期演奏会

2010年04月18日 | 京都市交響楽団
10.4.18(日)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第534回定期演奏会
指揮/秋山和慶
コンマス/泉原隆志(京都市交響楽団コンサートマスター)
曲目:
ストラヴィンスキー/幻想曲「花火」op.4
カバレフスキー/交響曲第4番ハ短調 op.54
ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」

ということで京響さんの10/11シーズン開幕。
日曜公演は9割以上の客入りでいいですね。
プレトークは事務局長さんとの対話形式。事務局長さんのトークがこなれてなくて不完全燃焼。関フィルの西濱さんも場数を踏んでああなったわけですから、ここは一つ鍛錬してもらいたいもんです。
冒頭の花火はカバレフスキーは北米では比較的演奏されている作品なんだそうで、秋山先生もよく演奏したそうです。

花火。
師リムスキー=コルサコフの影響が見えまくるストラヴィンスキー最初期の作品。線香花火のような小さな部分から始まって次第に大きい打ち上げ花火になる。花火が7発鳴ります、とプレトークで言ってたので指折り数えている隣席のご婦人。6発まで数えたところで曲が終わりました。どこで数え間違ったのか。

カバレフスキー。
社会主義リアリズムとかいう理屈はさておき、フレンニコフの第2交響曲やショスタコーヴィチの祝典序曲や第12交響曲あたりの分かりやすい旋律・派手な管弦楽・苦悩から勝利へ向かう簡潔な内容で出来ていると思っていただけるとよろしい。聴き甲斐のある佳曲にも関わらずあまり録音に恵まれず、正規録音が音の悪い自作自演しか無かった。第3交響曲「レーニンのためのレクイエム」に至ってはそもそも録音すらされてなかったが、なんと2008年になって交響曲全集が発売された。しかも大植英次/NDR放送フィルの演奏。カバレフスキーも泣いてるで。
メインの展覧会よりも長い演奏時間、秋山先生の素晴らしいタクト捌きで京響もミス無く演奏し終えた。音量を要求してオケを無駄に疲労させるわけでなく、弱音の導き方が見事だったので危うく「京響も力ずくの汚いフォルテを出さない余裕のあるオケになったんだ」とダマされそうになるところだったが、これは指揮者の熟練のなせる技なのだ。コントラストなのだ。
一時期不法に出たミトロプーロスの血管ブチ切れ演奏を探して聴いてください。

休憩挟んで展覧会。
大フィルさんも来月やりますな。秋山先生の展覧会といえば秋山和慶&ヴァンクーバー交響楽団管弦楽名作集というCD4枚組のカナダCBC音源(KSP801-804)と、ごく最近アフィニス文化財団から出た非売品のCD(広島交響楽団+アフィニス音楽祭参加者)がある。どちらも秋山先生らしい、オーケストラの魅力溢れる好演だった。今回もロシア音楽というよりもラヴェル編曲の華麗さが際立つ良い演奏でした。テューバ責めがドSの雰囲気。
斎藤メソッドから生まれてきた人は小ぶりな何でも屋かメソッドの痕跡も無い人かだいたいどっちかですけど、先生は巨大な何でも屋なので凄いもんです。

次に先生の指揮を見るのは佐村河内ですか。
どうも彼と辻井君の名前が出ると滅多なことが言えない雰囲気で困ります。先に言っておきますよ、おぢさんは三枝成彰信者ですから!(笑)
成彰が佐村河内を絶賛しているのであればおぢさんは思考停止して佐村河内を絶賛しますよ。聴く前から「空前絶後の大作交響曲が日本に出来した、平伏すべし」と拡声器片手に喚くでありましょう。
今から楽しみねえ。

京都市交響楽団スプリング・コンサート

2010年04月11日 | 京都市交響楽団
10.4.11(日)14:00 京都コンサートホール 大ホール
指揮/広上淳一
独唱/馬場菜穂子(龍馬伝独唱/京都市立芸術大学大学院生)
司会/豊田瑠衣
曲目:
第1部NHK大河ドラマのヒーローたち
「龍馬伝」(佐藤直紀)H22年第49作
「赤穂浪士」(芥川也寸志)S39年第2作
「元禄太平記」(湯浅譲二)S50年第13作
「花神」(林 光)S52年第15作
「翔ぶが如く」(一柳 慧)H2年第28作
「利家とまつ」(渡辺俊幸)H14年第41作
「篤姫」(吉俣 良)H20年第47作
「天地人」(大島ミチル)H21年第48作
第2部クラシック音楽界のヒーロー、ベートーヴェン!
ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調op.68「田園」
J・ウィリアムス/「スーパーマン」より主題曲(アンコール)

昨年から始まったスプリングコンサート
今年も完売です。
前半は大河ドラマ主題曲演奏を京響の特徴に加えてみようという広上さんの考えからそれらのセレクション、後半はバキッと田園1曲をお聴きいただこうという趣向です。

龍馬伝。なんといいましても現在絶賛放映中の龍馬伝OPは広上さんの指揮なわけです。
http://www.viddler.com/explore/maizi1962/videos/14/
TVで見ても躍動感のある曲ですが実際聴いてもなかなか激しい、馬場さんはマイクありでアエアエオエオエ歌います。エスニックな感じがする。北条時宗(H13年第40作)系?大泉さんが出てるのでなんとなく見てますがね。
フリーアナウンサーの豊田さん登場、九州の局アナからフリーになった方だそうです。広上さんからコンサートの趣旨説明「4月に新入生になる、社会に出られる、はたまた3月で学業を終えられたり定年となられて第2の人生、新しい生活を始められる方へのお祝いのようなものです」
「前半はNHK大河ドラマのヒーローたちということですが」と振られて「NHKの回し者ではないですが、司馬遼太郎先生の作品などを通じて歴史が好きになりまして、年号とかは覚えられませんが、人物が好きなんですね」
「福山さんはお好きですか」と何故か瑠衣に質問する広上さん「え?はい好きです」「そうですか、私は岩崎弥太郎が好きです・・・福山さんと香川さんだったらどちらが好きですか?」
一体何のコンサートなんだ(笑)
続いての赤穂浪士について。広上さんの父上はNHKにお勤めだったそうで、はっきりとはおっしゃられなかったが、大河にも関わっていたことがあるっぽい。最高視聴率53.0%という大河史上最高記録の名作です。広上さんは当時5歳だけども覚えているそうで放送時間が今の日曜8時ではなかったことなどをコンマスの穣さんを巻き込んで披露。しかし赤穂浪士を知ってる人のほとんどが長谷川一夫扮する大石内蔵助の「おのおのがた・・・」の真似をするわけですが、広上さんも当然のようにご披露。おぢさんの父も12月になると必ずやります。
赤穂浪士
狭い音域で動く旋律を繰り返しつつゆるやかに重ねられ増えてゆく音量、チェンバロとギターが隠し味になっている素晴らしい作品。大河のために書いたわけではなく使いまわしだというのが信じられん。
視覚的にも音響的にも印象的な楽器が使われていたのでその話題に。「木の板2枚をちょうつがいで繋いでパチンと叩く楽器なのですが、むちの音がするので『むち』と言います。実際に縄を使う楽器もあるのですが、それも『むち』と呼ぶのだそうで・・・」
「元禄というとどんな印象ですか?」と訊いたのは何故か広上さん。言いよどんで「いや、私が質問する立場ですので」と瑠衣。そらそうだ。「元禄は太平の世、人心も安定した時代で、平成の今の世にも似ています。ただそういう表面上の平和の底でふつふつと沸き立つ、蠢くものも出てくるわけです」
元禄太平記。この曲の冒頭や歌舞伎のような打楽器の部分は華麗な江戸時代を表現するSEとしていまやTVで多用されているので聴いた人もいるはず。武満と並ぶ世界的作曲家にして理論家、湯浅譲二らしい緻密に計算されて、なお作品世界に即した良い作品。湯浅譲二は徳川慶喜(H10年第37作)も担当していて、こちらも幕末の不穏な空気から新たな時代の輝きを見出そうと苦闘する素晴らしい主題曲になっているので聴いてください。
「はなのかみと書いて花神(かしん)と読みます。中国では花咲か爺さんをこう呼ぶんですね。時代のための花を咲かせていくが、自分は報われず死んでゆく、というような司馬先生の作品です。大村益次郎と高杉晋作が主人公の。曲は林光先生の作品です、明るく聴いていて心地よいと思います」
花神。きいてすぐに歌えないような音楽は音楽とはいえないし、音楽はだれもがわかるような音楽であるべきなんです。なぜかはわかりませんが、ぼくはそのようなことを思いながらききました。
「西田敏行は好きですか?」と訊く広上さん。西郷隆盛役だったからですね。「鹿賀丈史さんは?」これは大久保利通。「あの方は歌がお上手でしょう、ミュージカルもおやりになるし・・・料理の鉄人で知られてるのかな、あの妖しい主宰ね。今週は!・・・ピーマン。みたいな」
翔ぶがごとく。西郷と大久保の絡み合い対立してゆく運命の悲しさを表現する作品、怪しい雰囲気ではこれと信長(H4年第30作)が双璧ですな。演奏はこれが一番難しそうだった。実際合ってなかったし。
続いての曲は本放送ではオーケストラ・アンサンブル金沢が担当したもの。金沢での最終回視聴率が80%だったらしい。「金沢は(京響の)音楽監督だった井上(道義)先生が今指揮者をしてらして、是非皆様も金沢へ行かれてお聴きください」
利家とまつ。戦国と言うと大名メインのゲームばかりだったのがこの時期になると全武将プレイ可能なものが出てきたわけ。それだけ多様な人生を追体験したいという向きも増えたのだろうし、また大名や有名武将以外の情報が広く知られるようになったとも言える。これはそうした時代を受けての初めての試みだった作品。ただ前田利家で数字が取れるかという不安の表れか、近作以降、数字が取れるからと民放のドラマと大差ない役者が増えてゆく。作曲家の渡辺俊幸は毛利元就(H9年第36作)に続いての登板だけど、元就のほうが良いと思う。
篤姫。広上さんのところも「家内と娘がファンで。大河はその性質上、殺戮や血みどろの場面があるわけですが、日曜のゴールデンタイムでは敬遠されるになりましたし、女性の視聴者を意識した番組を作っていくとこういうものが人気になると・・・NHKの回し者ではありませんが」「来年はお江の方。茶々、初、江の浅井三姉妹の。しかも篤姫と同じ田渕久美子さんの脚本に吉俣良さんの作曲ですからご期待いただけるんではないかなと」
この曲は終始緩やかなテンポで叙情美たっぷり。案外こういう作品が大河の主題曲には無かったので、最初聞いたときはやられたなと思ったね。
本放送では小泉さんの指揮だった天地人。上杉謙信が好きな広上さん、「上杉景勝(北村一輝)と直江兼続(妻夫木聡)どちらがお好きですか?」「妻夫木さんで・・・」広上さんは作曲者の大島ミチルに会ったことがあるそうで「作品のスケールと違って華奢で小柄な方なんですよ」とのこと。おぢさん的には大島ミチルといえばワーズワースの庭の大島ミチルであり、風の大陸の大島ミチルであり、そしてあの傑作サントラ「NHKスペシャル大英博物館」の式部のメンバーだっちうところなのでスケールデカいのは重々承知。
龍馬伝もそうだけど、こういうアグレッシブでダイナミックな作品は広上さんに合うね。
小泉さんと先日放映された秋山先生とN響のライブと三者聞き比べると面白い。秋山先生の整然とした音作りの見事さ。この指揮を来週ここで見れる。嬉しい。

せっかくピアノが編成に入っているし、京都なんだから大河史上、記録に残る作品である花の乱(H6年第33作)をやって欲しかった。まあ応仁の乱で京都が焼け焦げる勢いの内容では縁起が悪くてやりようもないが・・・。

休憩挟んで後半は田園。
先日のワイルドで大人しさをかなぐり捨てたようなベト4に比べると、前半のプログラムに時間を割かれたのか中途半端な出来。広上らしいリズムの異様な扱いがときおり出てくるけども、全体としては平凡に流れてしまった。前半2楽章の終わりごとに拍手が起きる。
あら、一見さんはお断りどす、とは言わないの。どっちかといえば通い詰めてる連中こそ来てはいけない企画だから。一見さんで埋めたいの。京響楽しかったね、8月の定期は楽しそうだから今度家みんなで行ってみようか、ぐらいの反応が欲しいのよ。
だからここぞとばかり拍手に混じってやった。帰り際に「いやー、生の演奏は10年ぶりなんですがやはりいいですなあ」なんてウソまでつく始末だ。←

広上さんから「昨年から沢山のお客様にお越しいただけるようになって嬉しい、京都市交響楽団高い能力は私が保証します、レストランで食事をするように、月に一度京響の演奏会に来て気持ちよくなってください」

・・・やおら舞台袖から顔の濃いおっさんが登場、ヌッツォ、ヌッツォじゃないか!執行猶予が付いたから今年から活動を再開したと聞いていたが・・・そうか、新撰組!(H16年第43作)か。あれも広上さんの指揮だったし京都ゆかりの作品だからアンコールにはもってこいだよな。
というおぢさんの妄想はさておき。
アンコールはヒーローということでスーパーマンでした。アメコミヒーローって日本ではあまりウケないんだけど、このスーパーマン(とスパイダーマン)は例外的に日本でも人気が出た作品。妥当な選曲かな。

でもあれよ、大河ドラマ主題曲の音楽的な傑作は池辺晋一郎の元禄繚乱(H11年第38作)と信じてるけどね。
映像との総合的なものは新・平家物語(S47年第10作)ほどのものはないです。冨田勲がもう。
琉球の風(H5年第31作)の飛び道具っぷりも捨てがたいが。
あと、橋田壽賀子三部作のおんな太閤記(S56年第19作)いのち(S61年第24作)春日局(S64~H1年第27作)の坂田晃一の旋律美。










広上さんは来る4月25日に東フィルと今回の企画に武満&芥川の弦楽作品を合わせた企画をおやりになられます。
第44回午後のコンサート「大河の源流」
http://www.tpo.or.jp/concert/detail-1414.html
東京ですけど行ける方は是非。


京都市交響楽団 2010定期演奏会について

2010年04月02日 | 京都市交響楽団


NEW! 京響2010年シーズン・コンサート情報!
常任指揮者/広上淳一
桂冠指揮者/大友直人
主催:財団法人 京都市音楽芸術文化振興財団・京都市
協賛:ローム株式会社
協力:株式会社ドルチェ楽器

10.4.18(日)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第534回定期演奏会
指揮/秋山和慶
曲目:ストラヴィンスキー/幻想曲「花火」op.4 カバレフスキー/交響曲第4番ハ短調op.54 ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲「展覧会の絵」

10.5.21(金)19:00 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第535回定期演奏会
指揮/広上淳一 ヴァイオリン/ボリス・ベルキン
曲目:シューマン/交響曲第3番変ホ長調op.97「ライン」 チャイコフスキー/幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」op.32 ブラームス/ヴァイオリン協奏曲二長調op.77

10.6.19(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第536回定期演奏会
指揮/高関 健
曲目:ウェーベルン/大管弦楽のための6つの小品op.6 ウェーベルン/管弦楽のための5つの小品op.10 マーラー/交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

10.7.17(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第537回定期演奏会
指揮/広上淳一
ピアノ/アリス=紗良・オット メゾソプラノ/富岡明子
曲目:シベリウス/交響詩「フィンランディア」op.26 グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調op.16 バーンスタイン/交響曲第1番「エレミア」

10.8.6(金)19:00 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第538回定期演奏会
指揮/ファンホ・メナ
ヴァイオリン/エリック・シューマン
曲目:ファリャ/歌劇「はかない人生」から "間奏曲とスペイン舞曲" ラロ/スペイン交響曲ニ短調op.21
ドビュッシー/管弦楽のための「映像」から "イベリア" グラナドス/歌劇「ゴイェスカス」から "間奏曲" ヒメネス/サルスエラ「ルイス・アロンソの結婚式」から "間奏曲"

10.9.4(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第539回定期演奏会
指揮/尾高忠明
曲目:シベリウス/アンダンテ・フェスティ-ヴォ シベリウス/「ペレアスとメリザンド」組曲op.46 シベリウス/交響詩「4つの伝説」op.22

10.10.21(木)19:00 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第540回定期演奏会
指揮/マティアス・バーメルト ギター/村治佳織
曲目:ロッシーニ/歌劇「どろぼうかささぎ」序曲 武満 徹/夢の縁(へり))へ~ギターとオーケストラのための カステルヌオーヴォ・テデスコ/ギター協奏曲第1番ニ長調op.99 フランク/交響曲ニ短調

10.11.27(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第541回定期演奏会
指揮/飯森範親 マリンバ/三村奈々恵
曲目:西村 朗/新曲 吉松 隆/マリンバ協奏曲(世界初演) ブラームス/交響曲第2番ニ長調op.73

11.1.21(金)19:00 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第542回定期演奏会
指揮/沼尻竜典 ピアノ/児玉麻里 合唱/びわ湖ホール声楽アンサンブル
曲目:リスト/ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 リスト/ファウスト交響曲

11.2.13(日)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第543回定期演奏会
指揮/井上道義
曲目:モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲K.527 モーツァルト/セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」抜粋
モーツァルト/交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」

11.3.26(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第544回定期演奏会
指揮/広上淳一 ヴァイオリン/シン・ヒョンス
曲目:ショスタコーヴィチ/バレエ組曲第1番 ブルッフ/スコットランド幻想曲op.46 ヒンデミット/交響曲「画家マティス」


京都市交響楽団 2010年度 特別演奏会

京都市交響楽団 特別演奏会「第九コンサート」
10.12.28(火)19:00 京都コンサートホール 大ホール
指揮/小林研一郎 ソプラノ/菅 英三子 メゾソプラノ/坂本 朱 テノール/水口 聡 バリトン/青戸 知
合唱/京響市民合唱団
曲目:ベートーヴェン/「エグモント」序曲op.84b ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調op.125「合唱付」

京都市交響楽団 特別演奏会「ニューイヤーコンサート」
11.1.9(日)14:30 京都コンサートホール 大ホール
指揮/大友直人
曲目:ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調 op.92
J. シュトラウスⅡ/ワルツ「春の声」op.410,アンネン・ポルカop.117,皇帝円舞曲op.437,ヨゼフ・シュトラウス/かじ屋のポルカop.269
J. シュトラウスⅡ/トリッチ・トラッチ・ポルカop.214 ワルツ「美しく青きドナウ」op.314

京都市交響楽団 スプリング・コンサート
10.4.11(日)14:00 京都コンサートホール 大ホール
指揮/広上淳一
曲目:
第1部 NHK大河ドラマのヒーローたち
「赤穂浪士」(芥川也寸志),「元禄太平記」(湯浅譲二),「花神」(林 光),「翔ぶが如く」(一柳 慧),
「利家とまつ」(渡辺俊幸),「篤姫」(吉俣 良),「天地人」(大島ミチル),「龍馬伝」(佐藤直紀) 
第2部 クラシック音楽界のヒーロー、ベートーヴェン!
ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調op.68「田園」

京都市交響楽団 大阪特別公演
10.7.19(月・祝)14:00 ザ・シンフォニーホール
指揮/広上淳一 ピアノ/アリス=紗良・オット
曲目:シベリウス/交響詩「フィンランディア」op.26 グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調op.16 シベリウス/交響曲第2番ニ長調op.43

京都市交響楽団 名古屋公演
10.9.11(土)未定 愛知県芸術劇場
指揮/広上淳一 曲目:未定

京都市交響楽団さんの2010年度定期です。
今年度から平日開催よりも集客の良い土日開催の定期の比率が高くなりました。それに伴いチケット価格もやや値上げです。
どちらかというと国内の指揮者を招いて実のある成果を挙げようという方針なのか、今季も国内の名指揮者が勢ぞろい。
常任指揮者広上淳一は第535、537、544回と3度登場。少なく思われるかもしれないが、なるべく自分の定期出演回数を減らして沢山の指揮者に京響を振ってもらいたいとのこと。得意曲シューマンのラインで華々しく幕を開ける第535回は、広上が高く評価するベルキン(京響定期はおそらく20年ぶり)とのブラームスがメイン。第537回は今や美しすぎるピアニストとして巷で話題のアリス=紗良・オットがグリーグで登場。才人バーンスタインが25歳で完成させた意欲作エレミア交響曲と共に。第544回は第467回の名演以来、広上/京響のショスタコーヴィチから、近年売り出し中の女流シン・ヒョンスによるブルッフを経てヒンデミットの名作「画家マティス」へと繋がるバラエティ豊かな一夜。
客演指揮者陣も多彩に。
第534回は指揮のテクニックでは随一の秋山先生が久々の登場。展覧会の絵を中心にしたロシアプロながらカバレフスキーの交響曲4番と珍しい作品にも挑戦する。第536回は元京響指揮者(そういうポストがあったのです)高関によるマーラー&ウェーベルン。後期ロマン派から新ウィーン楽派に造詣の深い高関ならではのプログラム。第538回は昨年手兵と共に来日して熱い演奏で好評だったスペインのメナとのスペイン特集。五山送り火の前に京都コンサートホールが燃えます。第539回は北欧音楽にも妙味を発揮する尾高忠明を迎えてそろそろ京響名物になりそうなオールシベリウスプログラム。第540回は国籍も違う4人の作曲家が並ぶ不思議なプログラム。Chandosでけったいな前古典派交響曲を出しまくるスイス人、マティアス・バーメルトと村治佳織の登場。第541回は山形交響楽団を急速に持ち上げて高評価な飯森範親らしい、西村&吉松という当代人気の現代作曲家の新作で勝負。第542回はお隣滋賀県からびわ湖ホール音楽監督沼尻竜典がそのアンサンブルを率いて、大作ファウスト交響曲を。第543回は京都市には嫌われたが京響&ファンには愛されすぎている男、2010年時点で最後の京響音楽監督経験者、井上道義によるオールモーツァルト。
第9特別は元常任指揮者小林研一郎を迎えて、だいたい想像がつくけどきっと大盛り上がり間違いなし。恒例ニューイヤーコンサートは桂冠指揮者大友直人登場、ニューイヤーらしいプログラムに戻りました。昨年から始まったスプリング・コンサートは「京響を聴きに行くと大河が聴けるぞ」というイメージを作りたいという広上による大河ドラマ主題曲特集。毎年お馴染みの大阪特別公演は第537回のメインを京響十八番シベリウスの名作第2交響曲に差し替えて。アリスを堪能したい方は是非2回ともお聴き下さい。
というわけで定期会員継続。土日が増えて来易くなったはずだから、皆も来てね。

そう思ったが、バーメルトの回がセンチュリーさんのルトスワフスキとカブってるね・・・。よーし、どっちかに爆破予(ry
センチュリーさんに行くけど。フランクはもうええで。3年前に京響は下野さんでやったところだし、まあええかな。

京都市交響楽団 第533回定期演奏会

2010年03月27日 | 京都市交響楽団
10.3.27(土)14:30 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第533回定期演奏会
指揮/広上淳一
ホルン/ラデク・バボラーク
ホルン/垣本昌芳(京響首席ホルン奏者)
ホルン/澤嶋秀昌(京響ホルン奏者)
ホルン/寺尾敬子(京響ホルン奏者)
曲目:
プッチーニ/交響的奇想曲
R.シュトラウス/ホルン協奏曲第1番変ホ長調op.11
シューマン/4つのホルンと管弦楽のための小協奏曲ヘ長調op.86
ベートーヴェン/交響曲第4番変ロ長調op.60
バルトーク/ルーマニア民俗舞曲Sz.68より第4曲と第7曲(アンコール)

27.March.2010 2:30p.m.Kyoto Concert Hall(Main Hall)
Kyoto Symphony Orchestra 533rd Subscription Concert
Conductor/Junichi HIROKAMI Chief Conductor of Kyoto Symphony Orchestra
Horn/Radek BABORÁK
Horn/Masayoshi KAKIMOTO Principal Horn player of Kyoto Symphony Orchestra
Horn/Hideaki SAWASHIMA Horn player of Kyoto Symphony Orchestra
Horn/Keiko TERAO Horn player of Kyoto Symphony Orchestra
Program:
G.Puccini/Capriccio Sinfonico
R.Strauss/Concerto for horn and orchestra in E-flat major op.11
R.Schumann/Konzertstück for 4horns and orchestra in F major op.86
L.V.Beethoven/Symphony No.4 in B-flat major op.60

完売。逆に言うと期待値の高さに応えていかなければならなくなっているわけで、来季辺りは正念場ではないかと。
会場に着くと曲順が入れ替わるとの掲示・アナウンスあり。R・シュトラウスとシューマンが入れ替わるらしい。

プレトーク。
いつものごとく来季の紹介。それなのに客に手渡したチラシ群には来季予定が全て載っているものが無いという体たらく。ここらへん事務方で詰めておいてもらえませんかね。おぢさんはカバンに関西オケの来季予定を纏めたものを全部入れているので問題ないんですが。
ソリストのバボラークと共演する京響ホルン隊士を舞台に呼んで意気込みを尋ねる。垣本さんはバボ楽さん(こう書くと円楽一門みたいだ)よりも3つ年上らしいが、音色も技術も芸術性も学ぶところだらけで凄いなと感心しきりらしい。3人とも珍しい曲なので頑張りたいと鼻息荒らし。

プッチーニ。
センチュリーさんでやり関フィルさんでもやり、いよいよ京響さんでもやり。
広上さんお気に入りの曲なんですな。美しい旋律と華麗な管弦楽法、目くるめく場面変化のある作品なので広上さんの持ち味が発揮しやすいんでしょう。前プロとは思えない気合の入れようで良かった。
この曲は比較的録音にも恵まれていて、シャイー、ムーティ、シモーネ、キタエンコ等等あります。シャイーはプッチーニ管弦楽曲集という好企画なので是非聴いてください。
R・シュトラウス。
チェコのホルニストは輝かしい音色よりも美しく滑らかなフレージングに魅力があるのですが、バボラークさんはそんなチェコのホルニストの中でも驚異的な柔らかさと艶やかさが出せる人。絶品でした。にしてもR・シュトラウス18歳の作品やて・・・ははは・・・。

休憩挟んでシューマン。
実際にメインなのは第1第2奏者とはいえ4本のホルンをソリストとする作品はほぼこれしかない(無い訳ではないそうですが)。バボラークさんが他の3人に合わせた部分も見受けられてやや抑え気味に吹いていたので、シュトラウスほどの感銘は無し。それでも20年ぐらい前の京響さんを知ってる方々などからすれば隔世の感があったようです。わずかづつでも上手くなっていってるのです。第2楽章は美しいのでソリスト招かずにここだけアンコールでやろうぜ。

ベートーヴェン。
前月のアツモン先生が格調高い好演だったが、こちらは熱く濃かった。少々荒れても気にせずゴリゴリとオケを鳴らして一音一音を刻み込んでゆく。よくよく考えたら4番を書いてる途中で手を休めて、一気呵成に書き上げたのがあの5番なわけだから、楚々と可憐な4番というのは先入観なのかも知れん。偶数が女性的で奇数が男性的などというのもそうか。
ただ・・・ちょっと聴き疲れました。

首席ヴィオラの柳生さん、副首席ホルンの小山さん、第2ヴァイオリンの山下さんが卒団ということで年度末定期恒例の卒団式。首席減りすぎだろ・・・。今日だって客演首席が3人だし、首席クラリネットは海外留学だしってことで万全ではなかったのに。
昨夏の定期分と今回の4番に次回広上さんが登場する定期のシューマンを合わせて2枚組のCDにするというけどこの状態で録音しても過渡期の記録っぽくなって切なくないか。CDレコードなんてそんなもんだとはいえ。

お陰さまで7回も定期が完売いたしまして、これからも応援して下さいと前置きしてアンコール。ルーマニア民族舞曲の弦楽合奏版。
普段ならカーテンコール2回目でそそくさと帰る方々が広上さんの定期のときは残るようになってきた。シンフォニーホールで見慣れてる光景に近づいてきたかも!
来季は秋山先生の展覧会からスタートです。

追記:シューマンのこれを前に京響さんがやったのは12年前にムントでだ。メインがツァラだったからおぢさん行って無いわ。その前後のトゥランガリラと我が祖国は行ったけど。

京都市交響楽団 第532回定期演奏会

2010年02月26日 | 京都市交響楽団
10.2.26(金)19:00 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第532回定期演奏会
指揮/モーシェ・アツモン
コンマス/渡邊穣、泉原隆志
曲目:
シューベルト/交響曲第7番(8番)ロ短調「未完成」
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調「英雄」

26.February.2010 7:00p.m.Kyoto Concert Hall(Main Hall)
Kyoto Symphony Orchestra 532nd Subscription Concert
Conductor/Moshe Atzmon
Concertmaster/Jo WATANABE*,Takashi IZUHARA Concertmaster of Kyoto Symphony Orchestra
Program:
F.Schubert/Symphony No.7(No.8)in B minor"Unfinished"D.759
L.V.Beethoven/Symphony No.3 in E-flat major"Sinfonia Eroica"op.55

ということであまりにも名曲過ぎる定期。アツモンが都響を振った名管弦楽曲集とか良く聴いてたなあ。雨模様なのに8割ぐらいは入っております。
プレトークは関西ではおなじみ日下部吉彦先生。
今日は意外な方が来ておられますよ!と興奮気味に言うので何かと思ったら広上さんが出てきた(笑)
オケの責任あるポストにあるものは自分の演奏会以外でも可能であれば足を運んでそのオケの取り組みなどをしっかり確認すべきだ、という外山先生の教えなんだそうな。まあ先生の場合はその結果、東京大阪仙台名古屋で(ry
そんなわけで広上さんと日下部さんの馴れ初めなどからうだうだと。アツモン先生20年ぶり?の京響登壇ながらも相変わらず熱いリハーサル、ある程度の年齢になったので名曲に正面からじっくりと取り組みたいというアツモン先生の希望でこのプログラムなんだそうな。
どうなりますか。仕事の都合で前半のみで広上さんは離京しちゃうらしい(京都人から見て東京に帰るのを帰京と称すべきか否か)。

未完成。
節度を保って格調高く聳え立つような第1楽章、終結へ向けてわずかに音量を落とし続けて最後ははかなく消えてゆく第2楽章。どちらもしっとりと微妙に動かされるテンポがキモだった。音は前から聞こえているはずなのに後ろから包まれるような演奏で、響きの良くない京コンではなかなか味わえない体験。名演。

休憩挟んで英雄。
プレトークで熱い熱いと煽るもんだからこれは相当かなと思ってふたを開けてみたら第1楽章はちょっと迫力不足。低弦は張り切ってたけど全体とのまとまりに欠けた。あとホルンが雑だ。第2楽章は木管、とりわけフルート大活躍。ヴァイオリンがエロい。このまま終楽章もと思ったがやはりヴァイオリンは頑張りすぎたかちと疲れて音が荒れた。ここが耐え忍べたら一幅の大壁画のような威容が完成するんだけど、そこまで体力が持たないか。ヴァイオリンがそれだから全体もメリハリ付かず。定期でわざわざやるんだからもう少し説得力のある仕上がりが欲しかったかな。もう一日あれば変わるんでしょうけども。

帰り際、親子連れの子(小学校低学年ぐらい)が英雄の第1主題を歌っていた。
ああ、我が身さえこそ動がるれ。

京都市交響楽団 第531回定期演奏会

2010年01月22日 | 京都市交響楽団
10.1.22(金)19:00 京都コンサートホール 大ホール
京都市交響楽団 第531回定期演奏会
指揮/外山雄三
チェロ/ガブリエル・リプキン
コンマス/泉原隆志、渡邊穣
曲目:
フォーレ/組曲「ペレアスとメリザンド」op.80
サン=サーンス/チェロ協奏曲第1番イ短調op.33
デュポール/チェロのための練習曲第7番[リプキン版](アンコール)
バッハ/無伴奏チェロ組曲第3番よりブーレ(アンコール)
ショスタコーヴィチ/交響曲第10番ホ短調op.93

22.January.2010 7:00p.m.Kyoto Concert Hall(Main Hall)
Kyoto Symphony Orchestra 531st Subscription Concert
Conductor/Yuzo TOYAMA
Violoncello/Gavriel LIPKIND
Concertmaster/Takashi IZUHARA*,Jo WATANABEConcertmaster of Kyoto Symphony Orchestra
Program:
G.Fauré/Pelléas et Mélisande,suite for orchestra op.80
C.Saint-Saëns/Concerto for violoncello and orchestra No.1 in A minor op.33
D.Shostakovich/Symphony No.10 in E minor op.93

寒い。
8割は埋まってますか。広上さんの恩師にして京都市交響楽団第4代常任指揮者であった日本音楽界の重鎮、外山雄三先生の登場です。

プレトーク。
 あまりお耳に掛からない作品の演奏会です。よく知った曲だとまたホルンがコケるんじゃないか、なとか・・・(舞台袖に向かって)ごめんねホルンのみなさん。フォレというそうです。フォーレと言わず。美しい作品ですがあまりヤマがなくぼんやりとしています・・・しかしフォレにしか書けない世界ですね。サン=サーンスもあまり演奏しない、チェロ協奏曲そのものが少ないのもありますか。ハイドンとかラロだとか、リプキンさんは素晴らしい才能なのでお楽しみ下さい。この交響曲には色々と(政治的内容が)あるそうですが、私は分かりません。政治的なことやスターリン時代のことが中に込められているとか言われますが、それは分かりません。お聴きになる方(が判断するだけ)の事でしょう。ソ連東欧の芸術家と共演しますね、打ち合わせを互いの部屋でやると(監視されていて)後で何があるか分からないので、人目につくホテルのロビーでやったりするような時代でしたけども。ロストロポーヴィチと共演したときに「今度チャイコフスキーコンクールがあるからチェロ部門の審査員としてモスクワへ来いよ」と言われまして「俺はチェロの審査なんて出来ないよ」と言ったのですが「大丈夫だ、音楽が分かれば出来るんだ」ということでモスクワへ参りました。審査委員長がショスタコーヴィチでして、1度挨拶をしたことがあります。音楽は大きい人でしたが、小柄で柔らかい手をした人でした。音楽は体格や見た目とは別のものだなと思ったものです。

フォーレ。
シシリエンヌ無かったらまず忘れられてる曲だと思う。前プロだがここは首席フルートの清水さんが出る。当然ですな。

サン=サーンス。
イケメンが小粋に演奏した。あんまり面白い曲でもないと思うが、これだけ楽しそうに演奏されると見てるほうも幸せな気分になる。オケも笑顔だったし、客も笑顔だった。
 デュポールはバッハと同時代のチェロの名手です。彼のエチュードはチェロを学ぶ子供が必ず弾くものです・・・(軽く弾く、練習曲然としていて面白くない曲)これを毎日何時間も弾くとイヤになります。そこで私がアレンジしてみました。
と述べてからアンコール。難しくも聴きよい作品になっていた。客が湧いていたのでもう一曲バッハ。エンターテイナーだ。

休憩挟んで10番。
同時代を生きることを俗に同じ時代の空気を吸うなんて言い方しますが、前述のプレトークのような外山先生は本当にショスタコーヴィチと同じ時間同じ場所にいて同じ空気を吸った人なわけです。住む社会や立場は違いますが、人生のわずかな瞬間が直接交差している。
先の大フィル定期では時代の何事も背負っていないかのような快速演奏を若い指揮者が披露しており、外山先生も傾向としては感情を抑えるタイプの指揮者ではあるのですが、やはり年齢の違い・生きた時代の違いが音に出る。フォーレと比べても全体は徹底して潤いの無い音色に仕上げて、とりわけ第3楽章は惻惻と心に迫る名演でした。

次はシンフォニカーとタコ9に交響的舞曲。無茶な気もしますが先生。