43.アメリの勇気、ニノの勇気
そこで突然玄関のベルが鳴りました。
男:「アメリ!アメリ!」
アメリは玄関のドアにそっと頬を寄せて男の気配を探ります。
ドアの向こうで同じようにニノもまた頬を寄せてアメリに語りかけます。
まったく応答しないアメリにニノは紙の切れ端に「また来ます」と書き残して階段を降りて去っていきました。
アメリは上の窓からニノが去るのを見つめます。
そこに突然電話がかかってきます。
レイモンの声でした。
レイモン:「寝室へ行きなさい」
アメリが寝室に行くと、TVモニターのそばでろうそくが揺れていました。
アメリはビデオデッキを再生させます。
するとレイモンが映像に現れました。
レイモン:
「わしだよ、可愛いアメリや」
「お前の骨はガラスじゃない。人生にぶつかっても大丈夫だ」
「もしお前が今このチャンスを逃したら、やがてはお前の心はわしの骨のように乾いて脆(もろ)くなってしまうだろう」
アメリは映像に写しだされたレイモンを食い入るように見つめます。
レイモン:「彼を捕まえるんだ」
アメリは慌てて窓辺からニノの姿を見つけようとしますが、もうそこにはいませんでした。
レイモンの背中を押す言葉が、アメリの居心地の良すぎる部屋の扉を勢いよく開けてくれました。
するとニノがもう一度そこに来てくれていました。
ニノ:「僕...」
アメリはニノの言葉を遮るように唇に人差し指と中指をあてました。
そしてアメリは唇をそっとニノの唇の際に置きました。
ニノのうなじにキスをします。
まるで今まで失っていた幸運をとり戻すかのように。
やっと自分のことを好きになれたのだと言っているように。
ニノの眉毛にもキスをしました。
アメリは自分の唇の際を指さします。
するとニノはアメリが指さした所に同じようにキスをします。
ベットの上で満足そうにニノを抱くアメリが印象的です。
44.エンディング
物語はこの勢いに乗ってエンディングに向かいます。
売れない小説家のイポリトが住宅街を歩いていると壁に落書きを見つけました。
落書き:「君がいないと僕の心は抜け殻。byイポリト」
イポリトは自分の言葉が書かれているのを喜んで紐で仕切られた柵を陽気にジャンプしました。
プルトドーは勇気を出して孫と会い、自分が好きなチキンの腰肉を孫に食べさせていました。
相変わらずルノワール研究に没頭するレイモン。
ひきこもりだったアメリの父親は決意して、白雪姫の小人の謎を解きに外国へ旅立ちます。
大量の水飴をこねる機械が飴の陳列場の空間でグルグルと回っています。
『人生楽しんで!』というメッセージなのかもしれません。
大きく伸ばされるピンクの飴は地球上の人々の数の回数ほど絶え間なくこね続けています。
華やかさ、軽やかさ、遠心力。
人に備わった本来の能力であるかのようです。
伸びては縮む動きはまるで人生の喜怒哀楽に呼応し続ける心臓です。
ナレーション:
「1997年9月28日11時ちょうど、モンマルトルの遊園地では機械が水飴をこねていた」
「その時、広場のベンチでレルプ氏は人間の脳細胞の数が全宇宙の原子より多いと知った」
「同じ時、サクレ・クールでは修道士が瞑想をしていた。気温24度、湿度70%、気圧は990ヘクトパスカルだった」
途切れ途切れのコマ送りで、アメリはバイクの背中で運転するニノを抱きしめながら、モンマルトルの街を走り抜けました。
幸せいっぱいの笑顔でした。
それは『幸福のフラッシュバック』のようでした。
45.『アメリ』をもっと知るために
ここでこの作品の特徴について語らせてください。
この作品は正直なところ、どこか分かりづらさがあります。
物語は山あり谷ありのジェットコースターなのが普通なのですが、その『谷』の部分や主人公に共感する部分が少し気薄なのですね。
「生きることの喜びを伝える」というテーマなのですが、対比となる不幸を観客に感情的に浸ることをさせなかったからだと思います。
ここまで不幸なんだというところまで深堀りせず、むしろコミカルに描いています。
アメリの生い立ちは母親の神経質、無関心、ヒステリックそして死別。
父親との冷淡な関係。
これは愛着障がいの典型です。
十分なコミュニケーションなく育ったアメリ。
当然自己否定して生きてきたと思います。
アメリが取った自分を守る方法は人を避け、空想に浸るという『回避』です。
ですが本作品の制作者は過去より現在、未来の生き方を選びました。
不幸はほとんどナレーションの客観的な言葉のみです。
そして空想の表現の奇抜さやユーモア、色彩豊かな画面色、インテリアなども関係していると思います。
ですから観客はアメリが自分を変えていった行為の大変さや苦悩、まどろっこしい作戦に共感しづらかったと思います。
ですがその分、大事なことに注目できたと思っています。
無気力な生き方を変える方法を全面に押し出してくれています。
それは『感覚をフルに使え!』です。
登場人物の紹介の仕方が変わっているなと思われたのではないでしょうか。
終始、好きなことと嫌いなことの紹介です。
人は今現在、何を感じながら生きているかがその人の幸せを左右するのではないかと思います。
好きなことと嫌いなことだけでその人がどんな人なのか分かります。
豆に手を入れたり、水切りが好きなアメリに私も!という方もたくさんいるでしょう。
もうこれだけで友達になった気がしませんでしょうか?
愛着障がいのアメリと紹介されても、私たちは同情することができてもお友達とまでは行かないと思います。
46.心の急停止から抜け出そう!
それでは本作品の無気力、無感動から抜け出す方法を見てみましょう。
無気力、無感動の原因はやはり『あきらめ』から来ています。
どれだけ努力しても上手く行かない人間関係。
苦しさが増すばかりの生きるための仕事。
そして何よりも自分に自信を持てないことから来る未来の見通しの暗さ。
『変えられない』ことから来る無力感やむなしさがいつしか芽生え始めてどんどん大きくなってしまった。
いま一度、子供の頃に帰って欲しいと思います。
子どもにとって『遊び』はすべて自分で決定していた。
誰に強制されたものでもなく、楽しいからやっていた。
一人で出来る指あそびから集団でする草サッカーまで。
それはアドラー心理学の言うところの『自己決定』です。
あなたがやりたいからやろうと決めた!
目標を立ててそれに努力すると決めたのもあなたなら、やめたいからやめるのもあなたの自己決定です。
人は心の中が『自己一致』していないと苦しくなります。
抑圧して、歪曲して、うそをつきながら生きているのと同じです。
今苦しいけど、嫌だけど頑張らなきゃというのは自己一致ではありません。
嫌嫌努力するのは、心にブレーキをかけながらアクセルを踏んでいる車と同じです。
必ずエンジンやタイヤから炎が出てきます。
その職業を選んだのはあなたです。
誰も強制していません。
入社してこれほど辛いとは思わなかったと言うかもしれません。
ならばそこでまた再考して自己決定すればいいと思います。
そのパートナーを選んだのはあなたです。
寂しさからでないのなら、好きでいっしょにいるのだと思います。
自分や相手の心変わり、他の環境が変わったのならそこで自己決定すればいいと思います。
何より大切なのは自分の気持ちです。
自分の気持ちに反して、我慢して、努力をしている。
ですが既に本心は『あきらめ』ているのです。
ブレーキをかけながらアクセルを踏んでいては前に進むわけはありません。
まずはブレーキを外さないといけない。
それが欲求に従うということだと思います。
遊びも仕事も、家族の役割もすべて同じです。
皆さんには誰しも変わるための『スイッチ』を持っています。
嫌々ながらもそれをし続けているのは、変わりたくない、心が動きたくないからであり、変容した行動しようと思えば不安が次々と出てくるからです。
誰かに従っている方が安定していて楽なのです。
人は本来変わらずにそこに維持する防衛本能があるのだと思います。
しかし変化しないこと、それ自体が困難を引き寄せると言います。
今こそ勇気を持って『スイッチ』するのです。
『行動』すること、それは別の部屋の明かりをつけるスイッチです。
暗くて見えない部屋の明かりを付ける。
好奇心を持って別の世界に行けば、そこにあなたのやりたいことが見つかります。
また私たちは決して機能集団ではありません。
道具ではありません。
心があります。
同じハンマーでもそれを使って家を建てるのが『機能』ならば、けん玉遊びや楽器として音を鳴らすのは『欲求』だと思います。
子どもって道具本来の使い方とは違う方法でよく考えつくなという遊びをしますよね。
傘を逆さに持ってゴルフのドライバーとして遊んだ記憶はないですか?
次に本作品の魅力の一つにアコーディオンの主題曲があります。
遊び心が湧いてくるような、ダンスをしませんかと誘われているような、別世界にいざなってくれるような大きな躍動のリズムが聞こえます。
再度アニメのワンピースを出して恐縮なのですが、主人公のルフィがチョッパーを仲間に誘う有名なシーンがあります。
トナカイで人間の言葉を喋るのけもの扱いされて育ってきたチョッパー。
彼は恥ずかしがり屋で劣等感の塊で本当はとっても冒険がしたいのに島から出ようとしません。
勇気がでないのです。
アメリと同じかもしれませんね。
一緒に冒険できない言い訳をたくさん並べるチョッパーに対して主人公のルフィは、
ルフィ:「うるせえ、行こう!」
と冒険の扉を開いてくれます。
まさに行動への勇気のスイッチを押すことを促してくれました。
本作品では老画家のレイモンがスイッチを押してくれました。
私は過去はどうでもいいと思うのです。
初めて人間をやっているのだから、失敗だらけは当然です。
人はすべて平等ではないから、生まれた所の親が悪かったり、貧しかったり、不運な事故に遭ったり、病気になったりします。
「普通」なんていう人は最初からいない。
レールなんて言うものはない。
自己の『絶対化』、『相対化』、そしてまた再度の『絶対化』が大切です。
幼少期、王子さまのように愛情ある人たちに守られながら、自信を育みます。
何をしても許して貰いえるという安心感が、無条件の愛情、無条件の存在価値を与えてくれます。
これが最初の『自己絶対化』。
そして次に、自分もまた他の人たちの中の一人だということ。
自分と同じように他の人も「欲求」があり、「不安であり」、「優しさ」を持っている。
ここで他の人を「認める」ということを学びます。
その人間の中の一人に自分も存在することを強く意識する。
これが『自己相対化』です。
ここで人は他人の考えに従いすぎて、他人軸で考えたり行動してしまいます。
なので『自己絶対化』が再度必要になってきます。
『自分軸』で生きるということです。
自我の確立であったり、『アイデンティティー』を持つと言ったりします。
つまり『自分の道』を歩くということです。
自分の花を好きな場所で咲かせるということです。
そして過去、現在、未来の中でどれが大切なのか。
それは現在、今です。
今、何を感じているか。
今何を見て、何を食べて、何を話して、誰といたいか。
今、今、今 です!
人は関係ありません。
過去や今の環境は関係ありません。
脳は身体を、感覚器を使って欲しいのです。
脳は純粋で正直で賢い子どもです。
どれだけ自己否定しても、最後には救ってあげないと心の奥の部屋で一人ぼっちで泣いていて、その人は最後には立てなくなります。
これは例えで言っているのではありません。
トラウマ処理や解離性障害、多重人格などの治療で、彼ら彼女らを呼ぶと本当に出てくる存在なのです。
嫌なことをするたびに、起きるたびにあなたは『欲求』を切り離しています。
別人格をつくり続けているのです。
彼ら、彼女らと会話が出来るのは本当のことです。
皆さん誰しも多かれ少なかれ、意識下に小さな子どもがいるのです。
心の中でにこやかに笑ってくれているか、泣いて閉じこもって苦しい声をあげているかをあなたは実は知っているはずです。
欧米の人たちはよくハグをします。
それは小さな子どもの存在を自分の中に、相手の中に認めているからだと思います。
遊び心、弱さ、不安、寂しさを人に当然にあるものとして受け入れているから彼らは自信があり、自己があるのです。
人生の楽しみ方は明快単純です。
この小さな子どもを可愛がってあげること、すなわち自分の欲求に正直に生きることです。
人はうまいことできています。
この小さなこどもは寂しがり屋なので人といい人間関係を保ちたいといつも思っています。
自分勝手な人にはなれないので安心して下さい。
人生というのは冒険だと思います。
でなけりゃつまらないです。
どんな人でも主人公になれる。
病気でも、過去につらい目にあっていたとしても、身体が不自由でも。
どうしてそう言い切れるか。
それは世界、自分、他人のイメージを『私(一人称)』が考え出しているからです。
「不安」「普通」「世間」「一般」「健常」「障害者」「まともな人」
このような言葉に飲み込まれてはいけません。
このような言葉を材料にして世界をイメージしてはいけません。
何よりも退屈な世界ができあがるからです。
自分で階級をつくり、底辺に住み続けるのです。
自分を受け入れること。
それは「生まれ変わってももう一度自分になりたい!」と思うくらい自分との親和性を育むことです。
やりたい事も失敗した自分も切り離さないで下さい。
見捨てないで下さい。
そうすればあなたはシャンパンタワーの一番上になります。
与える人になるくらい意欲にあふれるはずです。
哲学してたくさんの視点を持ちましょう!
別の銀河を想像してみましょう。
時も空間も物質も次元の数も、全く違う世界をあなたの頭なら創り出せます。
~『未来は僕らの手の中』~ by THE BLUE HEARTS
♫ 月が空にはりついてら 銀紙の星が揺れてら
誰もがポケットの中に 孤独を隠しもっている
♫ あまりにも突然に 昨日は砕けてゆく
それならば今ここで 僕等何かを始めよう
♫ 生きてる事が大好きで 意味もなくコーフンしてる
一度に全てをのぞんで マッハ50で駆け抜ける
♫ くだらない世の中だ ションベンかけてやろう
打ちのめされる前に 僕等打ちのめしてやろう
♫ 未来は僕等の手の中!!
♫ 誰かのルールはいらない 誰かのモラルはいらない
♫ 学校もジュクもいらない 真実を握りしめたい
♫ 僕等は泣くために 生まれたわけじゃないよ
♫ 僕等は負けるために 生まれてきたわけじゃないよ
https://www.youtube.com/watch?v=FvpHM5lX2g0
ここまでお読みいただきありがとうございます。
この作品は何度見ても楽しいシーンがいっぱいあります。
ほっこりするシーン、奇抜な空想シーン、芸術性豊かな調度品、そして人生に勇気をくれるチカラをくれます。
不幸なシーンがないので、まさにコーピングのように心が停滞した時に観ていただきたい作品です。
この作品からエネルギーをたくさん貰って欲しいです。
ありがとうございました。
次回またお会いしましょう。
47.参考作品
『ベルリン・天使の詩』 ヴィム・ヴェンダース監督
『楽しいムーミン一家 お隣さんは教育ママ』 原作者トーベ・ヤンソン
『未来は僕らの手の中』1stアルバム「THE BLUE HEARTS」より ザ・ブルーハーツ
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