地盤かさ上げ工事
1960年のチリ地震津波でも、2011年の巨大津波でも、志津川町(三陸町)はひどい被害をこうむった。津波への根本対策として、他の被災地同様、津波浸水地域の地盤を14m~16mかさ上げして、津波に強い町作りをめざしている。
元の土地に戻るのか
2011年巨大津波から6年、かさ上げ地に住むはずの元住民の多くが他地域に住居を構え、新たな生活を始めている。果たして、巨費を投じて商店街予定地を造成しても、どれだけの商店が戻るのか、商売が成り立つほどの人口が集まるのか、関係者は不安な思いで復興工事を進めている。
2011年7月。まだ志津川合同庁舎が世間から注目されていなかった。瓦礫は片付いている。
2012年4月。ここから避難放送をしていた女性職員も、津波に飲まれて死亡した。
2014年4月。合同庁舎は町の真ん中にあった。撤去すべきであるとの声が強かった。
2015年5月。地元では合同庁舎跡を残す経済負担はできず、宮城県の負担で当分は保存することになった。
2016年3月12日。津波から6年目。地盤かさ上げにより、津波のシンボル合同庁舎が見えなくなりつつある。
2017年3月3日、合同庁舎に隣接する土盛り上に、災害復興住宅さんさん商店街が仮設商店街から移転、本格的商業施設としてスタートした。市街地跡地の土盛り上に28の店舗ができ、これからの発展が期待される。なお住宅団地は郊外の高台に移転した。今後は市街地中心部に町役場や警察署なども移転する。下写真の平屋の長屋がさんさん商店街28店舗である。なおさんさん商店街の設計は隈研吾である。