[MV] JYJ - IN HEAVEN FULL Version
JYJ日本公演、茨城県の国営ひたち海浜公園に!?
とのことだが……。
東京ドームを単独で三日間満席にする力を持っている三人が、その会場かと。
でも、エイベックスが簡単には圧力をかけることができない「国」営。考えました、ひねり出しました、ペク・チャンジュ代表。
しかし、エイベックスはこれで黙って済むとも思えない。どんな難癖を付けてくるのか、またも、なにやら起きるかもしれない。
ともかく、とうとう名実ともに「国」を持ち出したJYJ。東方神起問題は、「山一抗争」の体をなしている、というのがわたしの見解です。
しかし、ファンにとってはとても切ないことですね……。五人の東方神起ファンにとっては特に。
だけどもこれは現実に起こっている出来事。目をそらすわけにはいきません。
ホントに、どうなることやら……。
東京ドームを単独で三日間満席にする力を持っている三人が、その会場かと。
でも、エイベックスが簡単には圧力をかけることができない「国」営。考えました、ひねり出しました、ペク・チャンジュ代表。
しかし、エイベックスはこれで黙って済むとも思えない。どんな難癖を付けてくるのか、またも、なにやら起きるかもしれない。
ともかく、とうとう名実ともに「国」を持ち出したJYJ。東方神起問題は、「山一抗争」の体をなしている、というのがわたしの見解です。
しかし、ファンにとってはとても切ないことですね……。五人の東方神起ファンにとっては特に。
だけどもこれは現実に起こっている出来事。目をそらすわけにはいきません。
ホントに、どうなることやら……。
東方神起、中間的な考察。
東方神起プロジェクトの発生、躍進、成熟、そして最高潮に達したところでの分裂、その過程をつぶさに追っていると、さまざまなことを考えこんでしまわざるをえない。
彼らが直面した困難な問題とは、個人と家族、そして企業、国家、さらには仲間という時に血よりも濃い「疑似家族」といった、それぞれ違う価値体系に誠実に限界まで殉じようとしたところにある。それはあまりにも複雑な状況を呈しており、見ているこちらの方も痛々しくなる。
複雑に絡んでしまった糸を解きほぐすことは、実は当事者がどんなに懸命に、文字通り死に物狂いでがんばってみてもどうにもならないことがある。当事者たちだけではダメなのだ。利害関係のない客観的な第三者が間に入り、長い時間をかけて、引き裂かれてしまった人たちの間に立ち、優しく労りながらゆっくりと一つ一つ紐解いていく。そうしなければ、どうにもならないことだってある。
しかし、この国境を越えた芸能界という未知の世界のどこに、そんな第三者がいるというのだろうか……。それぞれの国家の裁判所が仲裁に入ったところで、簡単に紐解けるような状態ではない。絡み合ってしまった紐は、さらに複雑な怨念を残してしまうことだってあるのだ。
人間の、そして人間が作りだした法システムには必ずどこかに欠陥がある。その隙間に入りこむのがアウトローであり、人間の弱さそのものといえる。
しかし、そんな欠陥を乗り越える営為こそが、最先端のアートを結集、凝縮した大衆エンターテインメントなのである。国家を超えて躍動した東方神起が、その最高傑作だったことを疑う者は、どこか偏見に満ちているこれまた仕方のない人間である。
彼ら五人の姿を正面から見据えていると、わたしはガラにもなく背筋がピンと伸びる思いがしてくる。そしてその反面、真剣に忠実に自分自身を厳しく律する彼らが、結果論かもしれないが、突如ポキンと折れてしまうのではないか、そう思えてもくるのだ。
東方神起の五人の至高のパフォーマンスとは、例えば、いわゆる草食系男子に足りないもの、女性をとことん楽しませる能動性といったものがあげられる。人間の生産と再生産を担っている(か、これから担うはずの)女性にとって、また、いざとなれば自分一人で生活していくことのできる女性にとって、男に求めるものは、もはや従来型の男らしさ、いわんや単なる単純アホマッチョであるはずもない。その生活の基本において、勤勉で真面目に生きているが故に、ほんの少しだけでも逸脱したい、生の、性の充実を図りたいと思う時に、それを「男」に求めるには自分を楽しませてくれる存在でなければならない。東方の男らしさだけではない過剰とも言える奇妙でセクシーなダンスは、そのことを表して余りあるように思える。
そしてこれまた言うまでもないが、そのダンスは並大抵の修練抜きに完璧に踊ることは不可能である。徹底された修練に裏打ちされたパフォーマンスが、従来型の一人よがりのマッチョや、その対抗として現れた優しくはあるが、何か物足りない草食系男子群を凌駕圧倒してしまうのは、実は至極当然の帰結だったと言うほかはない。
これを見るに、少なくない男がただただ脱帽し、さらには従来型の男惚れ、それはゲイとしてということではなく、ヘテロな同性としても格好良いな、もしくはガンバっとるやないか、エラいやっちゃなあと、素直に思えるのである。蛇足ながら、彼ら五人と朝まで酔いつぶれるまで飲み明かすことを妄想するだけで、一種の悦楽をすら覚えるのである。これを「ブラザーフッドへの憧れ」と言ってよいと思う。もちろん「石原軍団」とはなんだか違います。
言うまでもなく、五人の進む道がそれぞれ違うことになることに何の善悪はない。そして人はそれぞれさまざまな思惑を巡らせる。善悪好悪もあり、人は人に対して時に疑心暗鬼になり、それが自分自身を滅ぼすことだってある。事務所、親兄弟、そして自分自身の意向、主義が違ってくるのは仕方のないことだ。
そんな矛盾、不条理に対して、韓国の、そして日本の一部JYJファンの過激さを見るに、時に辟易することしばしばだった。彼女(彼)たちは、いったい何にそこまで怒っているのか。怒りの方向があらぬ方向にいく場面を見ながら、時に憤慨すらしてしまう。二人東方となったユノもチャンミンも、どう考えても極悪人ではないはずだ。そんなに眼が曇ってしまっていては、JYJの三人の思い出すらも壊してしまうのではないだろうかと。
そう思っていたところで聞いたのが、韓国のあるJYJファンの言葉である。
「JYJは健気だけじゃないんですよ。ファンは自分自身と重ね合わせてしまう、理由もあるんですよ」
一見過激と見えるJYJファンの背景にある心理の一端を教えてくれた。
日本に住むわたしたちから考えるに、時に常軌を逸したとさえ思えるKーポップアイドルたちの一途な健気さの背景にあるのは、韓国の報われない若者たちの経済環境があるというのだ。
韓国には「88万ウォン世代」と呼称される、たとえ大学を卒業してもまともに食えない若者たちが多数存在する。それは日本で言われる「格差社会」以上に過酷だと分析されたりもしている。
そんな若者たちにとって、SMエンターティンメントという巨大芸能事務所は、自分たちを圧服、支配する体制の象徴に見えてしまう。その「奴隷契約」に対して、果敢に反逆したJYJに対する熱狂的な支持は、自分たちが置かれた閉塞(奴隷化)された状況をクロスオーバーさせ、そこからの解放のメルクマールともなっている。JYJの甘いマスクと歌声はもちろん、その存在そのものが、パンクでありロックスターとなっているのだ。
では日本のファンはどうか?
JYJに反逆者としてのオーラを感じとっているのだろうか? 例えば、たんたんと続く日常の生活にまったり諦めている主婦層の中に、闘争心の主体化が始まっている……、とまではいかないような気もする。
ただ、日本のJYJのファンたちの、パンクな反逆者であるはずだが、ユルユルフェイス、泣き虫キャラのユチョンがたまらなく愛おしく感じてしまうのは、多くの反逆者と呼ばれる者たちがほとんど必然的にまとってしまう鋼鉄ではあるが乾いた冷酷さではなく、途中でポキンと折れたりはしない、しなやかで柔軟な持続性と包容力を彼が身にまとっているからではないだろうか。
その反面、末っ子で控えめにしていたはずのチャンミンの、分裂を経た上で醸成された、老練の凄みすらまとった猛者のオーラは、これまた簡単には屈しないまぎれもない若き権威の容貌を有している。
やはり彼らは、違う道を歩んだのだ……、そう思えて仕方がなくなる時がある。
「韓国のアイドルたちは、まるで大人たちのオモチャだ」
その道ン十年の韓流に詳しい芸能記者は吐き捨てるようにそう言った。それを持ち上げる報道には反吐が出るとも言っていた。
ここに書くまでもなく、わたしの主要取材テーマは、日本のヤクザや中国人マフィア、そして犯罪者たちである。それは、男たちが男たちと争い、時に殺し合う現場。さらには女性や子供にまで手を掛ける男たちの争いの黙示録を作ることがわたしの基本的な仕事だと言える。
それはあまりにも不毛な現場であり、そして乾ききったこの世の砂漠なのだ。しかし、それが今の日本の一断面であり、現実でもある。
五人時代の東方神起の物語は、そんなわたしたちの心を温め潤わせてくれる。
実は男同士の友情は脆く儚い。どうでもよいほんのちょっとしたことで、争い合い、そして破綻、決裂する。
東方神起の五人の男同士の優しさと連帯は本物だったと思う。彼らは今、分裂してしまったとはいえ、五人それぞれの紐帯が完全に切れているとは考えにくい。
東方神起のことを考えている最中にも、「どこそこの不良中国人の男が誰々を刺した」とか「ヤクザが大暴れして、拳銃を発砲したらしい」などといった情報が、わたしの携帯電話に鳴り響く。
ここ日本で起きている男同士の内戦の最中、その合間合間に東方神起が五人だった時代の映像を食い入るようにして観ている。彼らの美しい歌声と華麗なダンスを頭に叩き込んで、事件現場に行き犯罪者の取材に行く。
男同士の争いを、男同士の優しさで乗り越える日、いつの日か、それはとてもとても遠い彼方先なのかもれないが、東方神起の物語は、束の間かもしれないが現実に確実に夢見させてくれた。それはとてつもなく困難なのかもれないが、しかし、絶対に諦めてはいけない夢なのだ。
不幸にも、東方神起の物語に、なにやらきな臭いアウトローの匂いをわたしは嗅ぎ取ることにより、本格的に考えてみようと思うことになった。
途方もなく遠大な理想と、干からび乾ききった現実が、彼らの問題には横たわっている。
正直、手に負える代物ではない。
マジでチョ―困ってしまったなぁ……というのが、今のわたしの中間考察ですね。
彼らが直面した困難な問題とは、個人と家族、そして企業、国家、さらには仲間という時に血よりも濃い「疑似家族」といった、それぞれ違う価値体系に誠実に限界まで殉じようとしたところにある。それはあまりにも複雑な状況を呈しており、見ているこちらの方も痛々しくなる。
複雑に絡んでしまった糸を解きほぐすことは、実は当事者がどんなに懸命に、文字通り死に物狂いでがんばってみてもどうにもならないことがある。当事者たちだけではダメなのだ。利害関係のない客観的な第三者が間に入り、長い時間をかけて、引き裂かれてしまった人たちの間に立ち、優しく労りながらゆっくりと一つ一つ紐解いていく。そうしなければ、どうにもならないことだってある。
しかし、この国境を越えた芸能界という未知の世界のどこに、そんな第三者がいるというのだろうか……。それぞれの国家の裁判所が仲裁に入ったところで、簡単に紐解けるような状態ではない。絡み合ってしまった紐は、さらに複雑な怨念を残してしまうことだってあるのだ。
人間の、そして人間が作りだした法システムには必ずどこかに欠陥がある。その隙間に入りこむのがアウトローであり、人間の弱さそのものといえる。
しかし、そんな欠陥を乗り越える営為こそが、最先端のアートを結集、凝縮した大衆エンターテインメントなのである。国家を超えて躍動した東方神起が、その最高傑作だったことを疑う者は、どこか偏見に満ちているこれまた仕方のない人間である。
彼ら五人の姿を正面から見据えていると、わたしはガラにもなく背筋がピンと伸びる思いがしてくる。そしてその反面、真剣に忠実に自分自身を厳しく律する彼らが、結果論かもしれないが、突如ポキンと折れてしまうのではないか、そう思えてもくるのだ。
東方神起の五人の至高のパフォーマンスとは、例えば、いわゆる草食系男子に足りないもの、女性をとことん楽しませる能動性といったものがあげられる。人間の生産と再生産を担っている(か、これから担うはずの)女性にとって、また、いざとなれば自分一人で生活していくことのできる女性にとって、男に求めるものは、もはや従来型の男らしさ、いわんや単なる単純アホマッチョであるはずもない。その生活の基本において、勤勉で真面目に生きているが故に、ほんの少しだけでも逸脱したい、生の、性の充実を図りたいと思う時に、それを「男」に求めるには自分を楽しませてくれる存在でなければならない。東方の男らしさだけではない過剰とも言える奇妙でセクシーなダンスは、そのことを表して余りあるように思える。
そしてこれまた言うまでもないが、そのダンスは並大抵の修練抜きに完璧に踊ることは不可能である。徹底された修練に裏打ちされたパフォーマンスが、従来型の一人よがりのマッチョや、その対抗として現れた優しくはあるが、何か物足りない草食系男子群を凌駕圧倒してしまうのは、実は至極当然の帰結だったと言うほかはない。
これを見るに、少なくない男がただただ脱帽し、さらには従来型の男惚れ、それはゲイとしてということではなく、ヘテロな同性としても格好良いな、もしくはガンバっとるやないか、エラいやっちゃなあと、素直に思えるのである。蛇足ながら、彼ら五人と朝まで酔いつぶれるまで飲み明かすことを妄想するだけで、一種の悦楽をすら覚えるのである。これを「ブラザーフッドへの憧れ」と言ってよいと思う。もちろん「石原軍団」とはなんだか違います。
言うまでもなく、五人の進む道がそれぞれ違うことになることに何の善悪はない。そして人はそれぞれさまざまな思惑を巡らせる。善悪好悪もあり、人は人に対して時に疑心暗鬼になり、それが自分自身を滅ぼすことだってある。事務所、親兄弟、そして自分自身の意向、主義が違ってくるのは仕方のないことだ。
そんな矛盾、不条理に対して、韓国の、そして日本の一部JYJファンの過激さを見るに、時に辟易することしばしばだった。彼女(彼)たちは、いったい何にそこまで怒っているのか。怒りの方向があらぬ方向にいく場面を見ながら、時に憤慨すらしてしまう。二人東方となったユノもチャンミンも、どう考えても極悪人ではないはずだ。そんなに眼が曇ってしまっていては、JYJの三人の思い出すらも壊してしまうのではないだろうかと。
そう思っていたところで聞いたのが、韓国のあるJYJファンの言葉である。
「JYJは健気だけじゃないんですよ。ファンは自分自身と重ね合わせてしまう、理由もあるんですよ」
一見過激と見えるJYJファンの背景にある心理の一端を教えてくれた。
日本に住むわたしたちから考えるに、時に常軌を逸したとさえ思えるKーポップアイドルたちの一途な健気さの背景にあるのは、韓国の報われない若者たちの経済環境があるというのだ。
韓国には「88万ウォン世代」と呼称される、たとえ大学を卒業してもまともに食えない若者たちが多数存在する。それは日本で言われる「格差社会」以上に過酷だと分析されたりもしている。
そんな若者たちにとって、SMエンターティンメントという巨大芸能事務所は、自分たちを圧服、支配する体制の象徴に見えてしまう。その「奴隷契約」に対して、果敢に反逆したJYJに対する熱狂的な支持は、自分たちが置かれた閉塞(奴隷化)された状況をクロスオーバーさせ、そこからの解放のメルクマールともなっている。JYJの甘いマスクと歌声はもちろん、その存在そのものが、パンクでありロックスターとなっているのだ。
では日本のファンはどうか?
JYJに反逆者としてのオーラを感じとっているのだろうか? 例えば、たんたんと続く日常の生活にまったり諦めている主婦層の中に、闘争心の主体化が始まっている……、とまではいかないような気もする。
ただ、日本のJYJのファンたちの、パンクな反逆者であるはずだが、ユルユルフェイス、泣き虫キャラのユチョンがたまらなく愛おしく感じてしまうのは、多くの反逆者と呼ばれる者たちがほとんど必然的にまとってしまう鋼鉄ではあるが乾いた冷酷さではなく、途中でポキンと折れたりはしない、しなやかで柔軟な持続性と包容力を彼が身にまとっているからではないだろうか。
その反面、末っ子で控えめにしていたはずのチャンミンの、分裂を経た上で醸成された、老練の凄みすらまとった猛者のオーラは、これまた簡単には屈しないまぎれもない若き権威の容貌を有している。
やはり彼らは、違う道を歩んだのだ……、そう思えて仕方がなくなる時がある。
「韓国のアイドルたちは、まるで大人たちのオモチャだ」
その道ン十年の韓流に詳しい芸能記者は吐き捨てるようにそう言った。それを持ち上げる報道には反吐が出るとも言っていた。
ここに書くまでもなく、わたしの主要取材テーマは、日本のヤクザや中国人マフィア、そして犯罪者たちである。それは、男たちが男たちと争い、時に殺し合う現場。さらには女性や子供にまで手を掛ける男たちの争いの黙示録を作ることがわたしの基本的な仕事だと言える。
それはあまりにも不毛な現場であり、そして乾ききったこの世の砂漠なのだ。しかし、それが今の日本の一断面であり、現実でもある。
五人時代の東方神起の物語は、そんなわたしたちの心を温め潤わせてくれる。
実は男同士の友情は脆く儚い。どうでもよいほんのちょっとしたことで、争い合い、そして破綻、決裂する。
東方神起の五人の男同士の優しさと連帯は本物だったと思う。彼らは今、分裂してしまったとはいえ、五人それぞれの紐帯が完全に切れているとは考えにくい。
東方神起のことを考えている最中にも、「どこそこの不良中国人の男が誰々を刺した」とか「ヤクザが大暴れして、拳銃を発砲したらしい」などといった情報が、わたしの携帯電話に鳴り響く。
ここ日本で起きている男同士の内戦の最中、その合間合間に東方神起が五人だった時代の映像を食い入るようにして観ている。彼らの美しい歌声と華麗なダンスを頭に叩き込んで、事件現場に行き犯罪者の取材に行く。
男同士の争いを、男同士の優しさで乗り越える日、いつの日か、それはとてもとても遠い彼方先なのかもれないが、東方神起の物語は、束の間かもしれないが現実に確実に夢見させてくれた。それはとてつもなく困難なのかもれないが、しかし、絶対に諦めてはいけない夢なのだ。
不幸にも、東方神起の物語に、なにやらきな臭いアウトローの匂いをわたしは嗅ぎ取ることにより、本格的に考えてみようと思うことになった。
途方もなく遠大な理想と、干からび乾ききった現実が、彼らの問題には横たわっている。
正直、手に負える代物ではない。
マジでチョ―困ってしまったなぁ……というのが、今のわたしの中間考察ですね。
やっぱり大変なことになっている。
JYJ日本公演のことだ。
JYJファンにはおなじみの「JYJ2011 隼人ブログ」(http://blog.livedoor.jp/asian9437/archives/51719572.html)に送りつけられているコメントを読めば、それは一目瞭然だ。
「ザック・コーポレーション」でのチケット販売もそうで、本日10時に先行予約販売が開始されたが、すぐにシステムが故障。現在もシステム障害は続いているようだ。
ある芸能記者は言う。
「JYJ側はファンの飢餓感をあおる戦略をとっている。混乱すればするほど、それだけ注目が上がると考えているのでは」
そうではないだろう。スムーズにライブを行うことができないから、こうなっているだけのことだろう。
また別のK-POPに詳しいライターは言う。
「JYJが干上がるのを待っているのがエイベックス側の考え方。最も稼げる日本で公演ができなければ、そうなってしまう。ファンからも忘れられていき、いつかは消えていく」
……彼らがそんな簡単に「干上がる」だろうか。もちろん焦りはあるだろうが。
今回の公演も、はじめは「チャリティー」をうたい、また後援に「茨城県と交渉中」とあったが、早々にその告知は削除された。
現場の混乱は極度のものとなっているだろうし、軽々しく書くのは控えたいが、ともかく「無理」をしていることだけは確かな情勢だ。
会場も(予定)のまま。このような形で日本国内の十数万(もっと?)もの人間が胸苦しい思いをしながら慌てふためいている。東方神起問題を「一部の人間」だけのことと見る報道関係者は多いが、こんなことって、エンタメの世界では「よくあること」なのか?
賛否は別れるだろうが、時間と人員をかけて、きちんと検証・報道すべきではないだろうか? 幾人かの信頼するジャーナリストには、話題を振るように努めている。
とにかく注目だけはし続けたいと思っている。
JYJファンにはおなじみの「JYJ2011 隼人ブログ」(http://blog.livedoor.jp/asian9437/archives/51719572.html)に送りつけられているコメントを読めば、それは一目瞭然だ。
「ザック・コーポレーション」でのチケット販売もそうで、本日10時に先行予約販売が開始されたが、すぐにシステムが故障。現在もシステム障害は続いているようだ。
ある芸能記者は言う。
「JYJ側はファンの飢餓感をあおる戦略をとっている。混乱すればするほど、それだけ注目が上がると考えているのでは」
そうではないだろう。スムーズにライブを行うことができないから、こうなっているだけのことだろう。
また別のK-POPに詳しいライターは言う。
「JYJが干上がるのを待っているのがエイベックス側の考え方。最も稼げる日本で公演ができなければ、そうなってしまう。ファンからも忘れられていき、いつかは消えていく」
……彼らがそんな簡単に「干上がる」だろうか。もちろん焦りはあるだろうが。
今回の公演も、はじめは「チャリティー」をうたい、また後援に「茨城県と交渉中」とあったが、早々にその告知は削除された。
現場の混乱は極度のものとなっているだろうし、軽々しく書くのは控えたいが、ともかく「無理」をしていることだけは確かな情勢だ。
会場も(予定)のまま。このような形で日本国内の十数万(もっと?)もの人間が胸苦しい思いをしながら慌てふためいている。東方神起問題を「一部の人間」だけのことと見る報道関係者は多いが、こんなことって、エンタメの世界では「よくあること」なのか?
賛否は別れるだろうが、時間と人員をかけて、きちんと検証・報道すべきではないだろうか? 幾人かの信頼するジャーナリストには、話題を振るように努めている。
とにかく注目だけはし続けたいと思っている。
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韓国アイドルグループだけで「JYJ」の名前が
http://dlvr.it/lP56x 茨城新聞ニュース #茨城
ibarakishimbun 茨城新聞社
復興支援へ韓国アイドル公演 来月中旬、海浜公園で調整 http://dlvr.it/lP56x 茨城新聞ニュース #茨城
2011年9月14日(水) |
復興支援へ韓国アイドル公演 来月中旬、海浜公園で調整 |
東日本大震災や福島第1原発事故の影響で人出が減っている県内観光地の活気を取り戻そうと、県内有志らが10月中旬、ひたちなか市の国営ひたち海浜公園内で「がんばろう日本!がんばれ茨城復興支援コンサート」を開催するため、最終調整している。韓国の人気男性アイドルグループや県内のダンスチームが出演する予定。2日間の日程で計約6万人を集める計画といい、関係者は県内観光復興の足掛かりとして期待している。
コンサートは、県内観光地の復興を目指し、ひたちなか市や水戸市のほか、周辺市町のホテルや飲食、旅行、交通など観光関連の事業者らが実行委員会を組織し、開催に向けた準備を進めている。 日程は10月15、16の両日(ともに午後2時〜5時)で調整。県内のダンスチームなどが午後2時からパフォーマンスを披露し、その後、韓国の人気男性アイドルグループがコンサートを繰り広げる。 会場として調整中の国営ひたち海浜公園は、ロック・イン・ジャパン・フェスティバルの開催地として定着している。公園内の大草原に特設ステージと、いす席約1万5千、立ち席約1万5千がそれぞれ設けられる予定という。 問い合わせは、復興支援コンサート事務局TEL0570(099)699(月曜〜金曜の正午〜午後7時)。 |
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JYJコンサート今朝の茨城新聞にのりました。いす席1万5千立ち見1万5千だそうです。2時からダンスその後JYJで5時までの予定だそう
JYJコンサート今朝の茨城新聞にのりました。いす席1万5千立ち見1万5千だそうです。2時からダンスその後JYJで5時までの予定だそう