ぼちぼち。

愛するわんこ達と過ごす笑ったり泣いたり怒ったりの日々を
私らしく『ぼちぼち。』と綴っていきたいと思っています。

今なおそこに佇む意味

2015-09-02 13:29:13 | iPhoneから~。
8月31日雨の長崎

長崎を発つ前に…
一本足鳥居と山王神社の楠に会いに行きました

長崎原爆の甚大な被害が広がる中
傷付きながら立ち続けてきた


戦後70年経つ今もなお佇む姿
戦争経験者や被爆者の人数が減っていく中
これからはどのように語り継いでいくのか

見下ろされ見上げる空間

実際の距離感より大きく感じました
訴えかけられるというより
自身で感じ取るのだと
その気配で
触れる事が出来なかった


なぜ二の鳥居だけがこの片側という異形で残ったのか
なぜ楠が大きな石に身体を貫かれながらも今も生きるのか

語り部が居なくなる時に
物言わず伝える為の術は
その姿を見せ続ける事だというのか

伝え残すべき想いをましゃに託す為だったのか
今、考えています


一瞬で消えていった被爆者の命の叫び
今なお続く人々の苦しみや悲しみそして幸せを

傷付いたクスノキと片足鳥居が見守り祈り続けています
これからもずっと

福山雅治さんが歌う【クスノキ】
まだ知らない方にも是非聴いて頂きたいです