8月31日雨の長崎
長崎を発つ前に…
一本足鳥居と山王神社の楠に会いに行きました
長崎原爆の甚大な被害が広がる中
傷付きながら立ち続けてきた
戦後70年経つ今もなお佇む姿
戦争経験者や被爆者の人数が減っていく中
これからはどのように語り継いでいくのか
見下ろされ見上げる空間
実際の距離感より大きく感じました
訴えかけられるというより
自身で感じ取るのだと
その気配で
触れる事が出来なかった
なぜ二の鳥居だけがこの片側という異形で残ったのか
なぜ楠が大きな石に身体を貫かれながらも今も生きるのか
語り部が居なくなる時に
物言わず伝える為の術は
その姿を見せ続ける事だというのか
伝え残すべき想いをましゃに託す為だったのか
今、考えています
一瞬で消えていった被爆者の命の叫び
今なお続く人々の苦しみや悲しみそして幸せを
傷付いたクスノキと片足鳥居が見守り祈り続けています
これからもずっと
福山雅治さんが歌う【クスノキ】
まだ知らない方にも是非聴いて頂きたいです
長崎を発つ前に…
一本足鳥居と山王神社の楠に会いに行きました
長崎原爆の甚大な被害が広がる中
傷付きながら立ち続けてきた
戦後70年経つ今もなお佇む姿
戦争経験者や被爆者の人数が減っていく中
これからはどのように語り継いでいくのか
見下ろされ見上げる空間
実際の距離感より大きく感じました
訴えかけられるというより
自身で感じ取るのだと
その気配で
触れる事が出来なかった
なぜ二の鳥居だけがこの片側という異形で残ったのか
なぜ楠が大きな石に身体を貫かれながらも今も生きるのか
語り部が居なくなる時に
物言わず伝える為の術は
その姿を見せ続ける事だというのか
伝え残すべき想いをましゃに託す為だったのか
今、考えています
一瞬で消えていった被爆者の命の叫び
今なお続く人々の苦しみや悲しみそして幸せを
傷付いたクスノキと片足鳥居が見守り祈り続けています
これからもずっと
福山雅治さんが歌う【クスノキ】
まだ知らない方にも是非聴いて頂きたいです