肉親はありがたいな~としみじみ感じている私です。
読みの浅いあさはかな自分であったことも自覚できました。
すっきりと今朝の空と同じくらい澄んだ気持ちで過ごせています。
昨日は妹二人の「考え直して~~」と言う猛反対にあい、
「母が望むことは離婚と言う結果ではないよ~
4人の娘を嫁がせた時から母は覚悟をしていたはずだよ~
嫁いだからには使命があってのご縁のはずだから今の家庭を守らないといけないよ、ねえちゃん!」
4番目の妹は仕事を休んでまで説得し続けてくれました。
文才のある妹なので迫力たるや、すさまじいものがあります。
息子師匠にコピーを頼んで妹の意見は逐一連れ合いにも転送して見てもらいました。
私の返信も添えて。
「離婚を避ける方法はひとつあるわ!」と返信しました。
「私が実家に帰らないで1年間奈良で過ごせば、母の愚痴は止まるわよ~
そんな現実問題をあなたに任せたら、姉ちゃんの代わりをしてもらえる?
人の批判は誰にでもできるけど、無責任だと思うの。
代わりに私に任せてと言う代案をあなたは示せるの?」と強い語調で4番目に迫りました。
「姉ちゃんのようにはいかないと思うけど、任せてもらえたら私の仕事の延長上に福祉施設があるから、離婚までして親の世話をすると言うことは避けてもらえるし、任せてくれたらうまくすべてやるわ~」
との返事。
妹の気持ちも汲んでやらないといけないだろうし、1年間様子を見ようかしら?と言う気持ちになったのは事実です。
その旨を妹に伝えました。
27日に帰るからそれまでに何らかのストップできる安心材料を急ぎ見せて欲しいと・・・
連れ合いと夜10時過ぎに話が出来ました。
「1年間家にいたからといって、収まるほど単純なものではないよ~」と言う連れ合いでした。
私は大和の人の根強い妬みはそんなに深いの?と簡単にそのときは受け止めました。
寝つき難い夜でしたが、ふと夢か幻か、20年前に亡くなった連れ合いの姉を見たのです。
年子でしたから、私の姿にダブって義母は姉を見ていたんだと、不思議なくらいはたと思いつきました。
私が実家にいそいそと帰る姿はあの娘さえ生きていればと、そのたびに哀しみを誘う要因だったのです。
1年間じっと奈良で我慢して嫁の座を守って尽くしても、義母の心は満たされないのだと気付いたのです。
義母の病的なまでの悪口や不満は取り返すことの出来ない姉を喪った哀しみの言葉だったのです。
孫やひ孫に囲まれ大きな屋敷でなに不自由なく暮らしている自分。
せっかくのバリアフリーの家にも住めず、何の目的もなく娘とあえるささやかな楽しみまでを奪った自分と反って大きな悔いをもたらすのではないか・・・
連れ合いの深い読みが分かった気がしました。
早速、朝6時過ぎに電話で老人ホームの手配はやめて!!と妹に連絡しました。
家庭の事情はそれぞれそこで生活しているものにしかわかりません。
親子でしか感じ取れないものもあります。
連れ合いは義母の心中の癒しようのない深い哀しみを理解し、それを取り除く方法として自分も私もみんな大きな傷みを持ったのだと義母に示したかったのでしょう。
一人娘の姉の存在は母の大きな支えであり、喜びでした。
孫のサヤが、そっくりな風貌なので、生まれ変わりだと大喜びしています。
異常なほどのかわいがりようです。
竹田の母も奈良の母も残りの日々は長くはありません。
貴重な一日を親孝行できるのは限られた日数です。
復縁の含みを持たせた最善の方法だと紙切れ一枚の重さを感じながらも、納得している私が今ここにいるのです。
まだまだ日数があるので、揺れ動くことでしょう。
優柔不断は苦手ですが、今は慎重な熟慮のときだと言い聞かせています。
私の幸せを肉親なればこそ必死で願ってくれるのだと確認できたことが大きな成果としてずっしりと心にあるのです。
ありがとう!!と大きな愛に包まれていることを感謝しています。
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もっちゃんです
tuyosi
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