大きな恵みを与えられ (2006-11-21 の自分史より)
私たち夫婦のおかげだといつもお会いするたびにその話が出てきます。
出会いというのはやはりご縁があるのですよね。
助かる運命の人は先祖の導きで私たちと出会えて
話を聞くことが出来たのだといつも感じていました。
顔の広い私たちですから、人助けの道具としての使命が
あるのでは~と本気で思っていました。
母の介護が始まって時間の余裕がありませんから、人助けの新しい話は
何も持っていませんが、今現在の私は大きな恵みを与えられている最中です。
この経験はまたいつの日にか 話しのネタになるのでしょうね。
そんな気がします。
プラス思考は得ですよね。
何でも良いように考えられるから、
良いことにつながっていけるのです。
学年集会で生徒たちに話をする機会が多くありました。
その時に「思う」と言うことで話したのを
今思い出しています。
田圃の下に心を埋めて置くと、心が芽を出すのです。
地面の上にタネを蒔いても 鳥が拾って食べたり、
風に飛ばされたりしてうまくいきません。
埋める心が良いものなら良い芽が伸びます。
悪い心ならその通りの芽が伸びていきます。
それが思うということです。
人の幸せを思う・相手の立場を思う・人の喜ぶことを思う・
将来のことを思う~。
思い続けることが実ってきて、実現していくのです。
プラスのことを思いましょうね。
念ずるも同じく、今の心遣いが念力ですから、
心して生活しないといけません。
取り越し苦労の先案じは、こちらの気分も滅入ってしまいます。
楽しい話題をたくさん持っている方が幸せです。
さて、Mさんは連れ合いの会社の部下ですが、東京の長期出張から
帰ってみると姿が見えないのですって。
医大病院に入院していると聞いたそうです。
Mさんは一人っ子で独身でした。
両親と3人暮らしです。
睾丸の癌で片方を取ってしまったと聞き お見舞いに行くと、
ちょうどMさんの父親も来られていたようです。
困ったことに残りの睾丸にも転移が見られ手術して
近日中に取らないといけないことを告げられたそうです。
跡取り息子だから、その手術をしたら後継者が出来なくなってしまいます。
大変な悩みを抱えておられるところでした。
来週の日曜日とか、東京から帰ってから今度などと
悠長なことは言ってはおられません。
その足で緊急を要するので 父親を連れて伺いに行きました。
要は、父親が次男だったので 家に阿弥陀さんをお祭りしていなかったことが
大きな原因でした。
兄貴が先祖供養をしてくれているから、次男の自分は実家に
お参りをすればいいと思い込んでいたようです。
そんな人は多いだろうと思います。
悪気はなくってもお墓のお守りをしてくれている兄がいるんだから、
自分はお盆や彼岸のときに参っているし~と安心していたそうです。
先祖を祀る気持ちのない家には跡取りも要らないだろうと
子種を取り上げられてしまうところでした。
先祖がいない人なんて誰もいません。
みんな先祖のおかげで今を生きているわけですから。
「申し訳ありませんでした!
これからすぐに京都に行って仏壇を祀らせてもらう手配をしてきます。」
と 父親は即決だったと言います。
そして、すぐに息子を退院させてきたそうです。
信ずる者は救われる。
連れ合いの元気な活躍を 目の当たりに毎日見ていましたから、
大きな説得力となっていたのでしょう。
それから1年後には縁談がまとまり、仲人を頼まれました。
内心、大丈夫なの~?と私は お嫁さんがどこまで知っているのか
不安だったのですが、高校生と中学生の男の子の父親となり
堅実な家庭を築いておられます。
新しい会社を興したときに連れ合いの片腕となり、
今は常務で頑張ってくれているはずです。
血液癌と闘いながら、輸血時の血液製剤でC型肝炎になり、
それも去年の検査では綺麗に数値が正常になって
肝炎が消えたぞ~と言う知らせを受けました。
面白い波乱万丈のドラマを見ているような
連れ合いの生き様なのです。
私利私欲のない素晴らしい人間になって、
人生を淡々と飄々と生きている人です。
最高の癒しの出会いは 連れ合いとの
出会いだったとまとまりそうです。
めでたしめでたし (^^♪
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今朝の癒しをお届けしますね
玉之八重曙です(たまのやえあけぼの)
明石潟です(あかしがた)
太郎冠者です(たろうかじゃ)
最新の画像もっと見る
最近の「自然讃歌」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事