「諦める力」
為末大(プレジデント社)
僕はこの人のことをよく知りませんが、400mハードルの銅メダリストです。
そのことは別にして、かなり印象に残っているのが以下の部分です。一部です。
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中学三年生になった僕は全国中学選手権大会の100m、200m、400m、走り幅跳びなど複数の種目で中学ランキング1位になった。中学三年生のときの100mのタイムはカールスイスの同じ年齢の時のタイムを上回っていた。ルイスになるという夢は本当にかなうと信じてひたすら練習に励んだ。
しかし、インターハイでは顧問の先生が100mでの出場を取り消してしまっていた。
僕は早熟で、高校生の段階である程度の肉体は完成していた。だが、瞬発力と爆発的なスピードが必要な100mで肉離れを繰り返していた。先生は肉離れをさせたくないと思い、200mと400mの二種目に絞った。
「高校最後の年のインターハイと国体は200と400に絞って、大学に入ってから100に専念したらいいじゃないか」僕は渋々納得した。
100mは数ある種目のなかでも競技人口が突出して大きい。
多くのアスリートが100mに参入するが、特別のアスリートだけが残り、可能性の見えないアスリートは去っていく厳しい世界だ。
高校三年生までは「がんばれば夢はかなう」という意識で生きてきた。
陸上で最も強い奴らの中で俺が一番になってやるという野望を持っていた。ところが、僕はかつてのライバルや後輩に負け、100mで勝てるという自信がなくなっていった。
そのころから、顧問の先生に勧められていた400mハードルという種目を意識的に見るようになった。すると違う意味で驚かされた。世界のトップ選手が集う国際大会のレースだというのに、走ってきた選手がハードルの手前に来るとチョコチョコと歩幅を合わせるような動きをしている。そういう無駄な動きをしている。そういう無駄な動きをしている選手が金メダルを取っているのだ。その時に抱いた率直な感想はこうだ。
「100mでメダルを取るよりも、400mハードルの方がずっと楽に取れるのでないか」
もちろん世間の人からみた100mと400mハードルのインパクトは全く異なる。それでもメダルはメダル。同じメダルであるにも関わらず、取りやすさがまったく違った。
為末さんは世間の100m至上主義という価値から離れて、自分に合った価値観を取るという選択をしたということですね。世間の多数派が頂いている価値観から離れることにした。
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日本では何か一つのこと続けることは素晴らしいことという価値観があると私は思う。
沢山のことを広くまんべんなくやるよりも、一つのこと極めること。
剣道、柔道、茶道とすべて一つの技術を超えて、道という人生につながっている。
「一度始めたのなら、最後まで続けない」と子供に言う親も多いのでないか。
しかし、そうなると最初に選んだものが一番自分に向いているとは限らない。そう考えると、最初に選んだというだけで続けることになる。
ノーベル賞を取った山中教授は、他の研修医が20分で終わる手術に2時間かかったという。そこから「ジャマなか」と呼ばれたという。しかし山中さんは研究者の道にいって成功した。
もちろんすべての人が手段を変えれば成功する訳ではない。
しかし何かを変えるということは、それはやめるというは悪いことばかりでない。
まして言えば、僕は逃げるというのも重要だと思っている。
むかしアニマルプラネットでこんな番組をやっていた。
ねずみは進化の過程で、種を守るためにハリを獲得した。それがハリネズミである。しかしそのハリネズミも天敵に遭遇したとき、いきなり戦わない。まずは逃げる。そして逃げきれない時にだけ戦う。
何かをやめるということは、次の可能性にチャレンジする素晴らしいものと思えてきました。
ここでも鈴木さんの考えにたどりつきます。
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私が感じる日本と海外の一番の違いは、「失敗してもいい」という前提があるかないかなんです。海外では、たとえ失敗しても、それは次の成功につながるものとして前向きに評価されますが、日本では「失敗は絶対に許されない」という表現をよく使いますよね。自分が失敗したら、社会や世間に多大な迷惑をかけてしまうと思って萎縮しているように見えます。
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私は良い方向に向かっている気がするのは気のせいかな!?
為末大(プレジデント社)
僕はこの人のことをよく知りませんが、400mハードルの銅メダリストです。
そのことは別にして、かなり印象に残っているのが以下の部分です。一部です。
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中学三年生になった僕は全国中学選手権大会の100m、200m、400m、走り幅跳びなど複数の種目で中学ランキング1位になった。中学三年生のときの100mのタイムはカールスイスの同じ年齢の時のタイムを上回っていた。ルイスになるという夢は本当にかなうと信じてひたすら練習に励んだ。
しかし、インターハイでは顧問の先生が100mでの出場を取り消してしまっていた。
僕は早熟で、高校生の段階である程度の肉体は完成していた。だが、瞬発力と爆発的なスピードが必要な100mで肉離れを繰り返していた。先生は肉離れをさせたくないと思い、200mと400mの二種目に絞った。
「高校最後の年のインターハイと国体は200と400に絞って、大学に入ってから100に専念したらいいじゃないか」僕は渋々納得した。
100mは数ある種目のなかでも競技人口が突出して大きい。
多くのアスリートが100mに参入するが、特別のアスリートだけが残り、可能性の見えないアスリートは去っていく厳しい世界だ。
高校三年生までは「がんばれば夢はかなう」という意識で生きてきた。
陸上で最も強い奴らの中で俺が一番になってやるという野望を持っていた。ところが、僕はかつてのライバルや後輩に負け、100mで勝てるという自信がなくなっていった。
そのころから、顧問の先生に勧められていた400mハードルという種目を意識的に見るようになった。すると違う意味で驚かされた。世界のトップ選手が集う国際大会のレースだというのに、走ってきた選手がハードルの手前に来るとチョコチョコと歩幅を合わせるような動きをしている。そういう無駄な動きをしている。そういう無駄な動きをしている選手が金メダルを取っているのだ。その時に抱いた率直な感想はこうだ。
「100mでメダルを取るよりも、400mハードルの方がずっと楽に取れるのでないか」
もちろん世間の人からみた100mと400mハードルのインパクトは全く異なる。それでもメダルはメダル。同じメダルであるにも関わらず、取りやすさがまったく違った。
為末さんは世間の100m至上主義という価値から離れて、自分に合った価値観を取るという選択をしたということですね。世間の多数派が頂いている価値観から離れることにした。
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日本では何か一つのこと続けることは素晴らしいことという価値観があると私は思う。
沢山のことを広くまんべんなくやるよりも、一つのこと極めること。
剣道、柔道、茶道とすべて一つの技術を超えて、道という人生につながっている。
「一度始めたのなら、最後まで続けない」と子供に言う親も多いのでないか。
しかし、そうなると最初に選んだものが一番自分に向いているとは限らない。そう考えると、最初に選んだというだけで続けることになる。
ノーベル賞を取った山中教授は、他の研修医が20分で終わる手術に2時間かかったという。そこから「ジャマなか」と呼ばれたという。しかし山中さんは研究者の道にいって成功した。
もちろんすべての人が手段を変えれば成功する訳ではない。
しかし何かを変えるということは、それはやめるというは悪いことばかりでない。
まして言えば、僕は逃げるというのも重要だと思っている。
むかしアニマルプラネットでこんな番組をやっていた。
ねずみは進化の過程で、種を守るためにハリを獲得した。それがハリネズミである。しかしそのハリネズミも天敵に遭遇したとき、いきなり戦わない。まずは逃げる。そして逃げきれない時にだけ戦う。
何かをやめるということは、次の可能性にチャレンジする素晴らしいものと思えてきました。
ここでも鈴木さんの考えにたどりつきます。
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私が感じる日本と海外の一番の違いは、「失敗してもいい」という前提があるかないかなんです。海外では、たとえ失敗しても、それは次の成功につながるものとして前向きに評価されますが、日本では「失敗は絶対に許されない」という表現をよく使いますよね。自分が失敗したら、社会や世間に多大な迷惑をかけてしまうと思って萎縮しているように見えます。
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私は良い方向に向かっている気がするのは気のせいかな!?