学習メモ。
間違いあれば、
私の聞き間違いか、知識不足です。
また、" "内は感想です。
今回は第7回。
第7回「80年代“エスニック”料理」
・HANAKOの登場。
首都圏情報誌。
HANAKOを片手に街を歩く人は、HANAKO族と呼ばれた。
この雑誌は2~3回に一回はグルメ特集だった。
この影響でグルメ情報誌が発刊されるようになった。
・日本では1970年代から先進国以外への興味が高まっていた。
それに続いてそれらの食べ物への興味も高まった。*
・1985年のプラザ合意以降、円高が急速に進んだ。
そのため、仕事を求めて日本に来る外国人が増えた。
・エスニックとは”少数民族の”というような意味。
ヨーロッパでは日本もエスニックに含まれる。*
エスニックには自分たちとは違うという、差別的なニュアンスがある。
・欧米でも日本と同時期にエスニック料理が流行った。
・米国では黒人の人権尊重のついでに、他の民族の文化への興味が高まったため。
・1980年代の激辛ブームにより、日本のカレーも辛さを表に出してきた。
・カラムーチョは登場当時は激辛だったが、
今では激辛と思う人はいない。
日本人の辛さへの感覚(耐性)が変わったからだろう。
*2011.11.17 修整