学習メモの抜粋。
間違いあれば、
私の聞き間違いか、理解不足です。
また、" "内は感想です。
今回は第2回、「蒙古襲来の解明に挑む」
・長崎県松浦市
鷹島海底遺跡の調査について話す。
・文永の役、1272年文永11年。
高麗軍と高麗に駐屯していたモンゴル軍の合計3-4万人。
・高麗側の記録では、
矢玉が尽きた、
兵隊が整わなかった
とある。
おそらく軍備の消耗が激しかったのと、
兵員の疲弊が激しく引き上げたのであろう。
・あるいは10月(旧暦)なので、海が荒れる季節を避けた。
・2回目の弘安の役。
高麗からは兵員4万人と900隻。
南宋からは、兵員10万人と3.5万隻。
・2回目は伊万里湾で暴風にあい、
ほぼ全滅したという記録がある。
・弘安の役の伊万里湾でどのような状態であったのか、
長く分かっていなかった。
・1980年あたりから、
鷹島の海中の調査が始まってゆく。
・フナクイムシ、
海底から露出しているとすぐに侵入してきて、
おそらく数年もしないうちに、
ほぼ消えてしまう。