おいら的に絶対に必要だと考えています.................
しかし死刑廃止論者との話になると絶対に「水掛け論」になります。
死刑廃止を唱える人の言い分として先進国はみな廃止する傾向にあるということで廃止するべきだという主張が強いようです。
今日もNEWS23で亀井静香さんが出ていて廃止すべき理由を語られていました。
確かに昨今の傾向として「抑止力」としての死刑が成立しなくなっていることは確かでしょう。
殺人や犯罪を犯す最近の若い人の傾向として「生きていても意味がない」という人生を諦めている人が人を殺しているような気がします。
そして死刑を望んでほかの人を殺す人も多いのも気になります。
自分では死にきれないからほかの人に自分を殺させるという意図がそこにはあるんですな。
ほかの人の命をためらいなく奪えるのに自分の命を奪う勇気のない半端な暴力を振るう事によって人を殺しているんです。
果たし合いの際には武士は少なくとも同条件で向かい合い死によって優劣を決するということが当り前でした。
其処には自身の命を掛けた闘いがあったんですな。
昨今の犯罪を見ていると「不意打ち」はもとより「同条件」という条件も満たすことは絶対にありません。
おいらの場合は少なくとも同条件というのは考えません。
絶対的に相手の方がAdvantageが無ければ死合をしようとは思いません。
少なくともおいらは死ぬことを望んでいるのは確かなのですから、生きることを望んでいる人がおいらと死を掛けて面する際には有利にしなければならないと考えるんですよ。
しかし死ぬことを望んでいると言ってもほかの人によって死ぬことは家族が悲しむでしょう。
ということでおいらも生きる理由があります。
よっておいらも防衛の為の暴力を行使することは前提としてあります。
ところでNEWS中に「死刑は国家による殺人だ」という意見が出ました。
これは非常に大きな語弊でしょう。
マスコミが好きな言葉あそびに他なりません。
死刑廃止論を唱える人は被害者の感情を全く考慮に入れていないと結論せざるを得ません。
人間は加害されると反抗するように出来ています。
これは間違いないでしょう。
本能とも呼べるぐらいにNativeに精神の中に潜んでいます。
其れを否定すると言うことは人の人格を否定するのと一緒だといっても良いぐらいです。・
また自分の身内が被害者になると死刑廃止論を訴える人は簡単に死刑論の側に寝返るのもこの辺りに起因する精神傾向があるからです。
法治国家という名目で、しかも日本は先進国でもあります。
だから死刑を廃止するべきだという単純な答えにはならないでしょう。
確かなこととして反省の色が見えて悔いている人には情状酌量の余地があります。
また冤罪という根深い問題も潜んでいるので司法判断が難しいところですが、確実に犯罪を犯し人を殺している人で反省もせず悔いていない人は死刑に値するとおいらは確信しています。
死刑廃止論の根本的な理由というのは余りにも軽すぎると感じてもいますからね~。
死刑を廃止するのであれば親族による復讐を許容する制度は絶対に必要でしょう。
おいらからすると「犯罪」という枠に収まらない案件でさえ、人を死に追いやった過失がある人間にも復讐する権限を親族に与えられるべきだと考えてしまいますな。
つまり車などの事故で人を殺した人も復讐される理由があるということです。
まあ人は誰しも人を死に追いやってしまう切っ掛けが非常に増えています。
おいら自身もいつ誰を殺してしまうか解りません。
要するにおいらが殺してしまった場合においらはその家族の親族による復讐は受け入れますし、これは血印や血判で書類を作成するつもりでもいます。
それぐらいしなければ責任を取れる立場にありませんからな。
生きていることには責任が伴うのです。
おいらが生きていることで迷惑を掛ける方達に対して顔向けできない人間なのですから、如何に迷惑を少なくして生きていくのかを追求していかなければならない人間ですからね~。
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