
一応はMelancholyのCategoryにしておきます......................
明確には書けませんが、今日は恋愛相談を受けました。
おいらがしたのではありません。
されたんですよ。
吃驚ですね。
おいらがそのような事を相談されるとは思っていませんでした。
まだ相手は居ないのですが、「結婚したい」という相談でした。
こんな話になるとは思っていませんでしたので困ったんですけどね。
おいらは結婚願望が強くはありません。
結婚願望が強い人は他の人に言う傾向があります。
そう考えるとおいらは比較的に弱い方だと思われます。
確かに無いと言えば嘘になります。
ところが結婚となると安定した収入を確保しなければなりませんし、人を養うとなると様々な責任も発生します。
親の臑齧りでは通りません。
「男は妻と固く付き、二人は一体とな」りますからな。
嫁姑問題で男性が親の方に着くというのは些かどころではなく、かなり問題があるということでしょう。
因みに今回相談された人はおいらの恋愛対象には入りもしない関係ですのであしからず。
「恋愛対象にはならない」という所で気が付きますかね。
女性からの相談です。
おいらが話を聴いたのはその子の環境を良く知っているのもあります。
仕事もせずのらりくらりと生活しているおいらがちゃんと結婚生活を送り真っ当な暮らしをしている人でさえ答えにくい相談をされるというのにかなりの違和感を覚えましたが、おいらの価値観や見解を伝えはしました。
おいらの前に幾人かに相談はしたようです。
するとおいらの前に相談した人からは紹介して貰えそうだと言っていました。
確かに紹介して貰って結婚というのも有りでしょう。
「お見合い結婚」というのがあるぐらいなのですから紹介して貰って結婚しても問題は全くありません。
でもおいらの見地では結婚というのは人生で最も重要な位置を占める類のモノです。
よって相手の腎を深く把握できなければならないとは思いますね。
聖書には「人々からの評判」も重要な要素となります。
これはモノを買うにあたっての評判と同様です。
つまり「紹介して貰った人」というのはこのような客観的視点が極端に少ない状態な訳です。
それに近くの人ならば紹介して貰ったら知ることは多少は可能ですが、遠いならばまず他者の評価を期待することは出来ません。
しかもおいらの見地では紹介すると言っている人はそれほど円熟しているとは思えない人ですからな。
紹介者と紹介して貰う人の関係も表面的なモノであることが少なくないとも思えてきます。
たまにしか会わない人でもし結婚をしたいと思うほど綺麗な人が相手ならば男性であればよく見られたいという意識が働くでしょうし、通常の2倍も3倍も頑張ってしまうでしょう。
男というのはそう言うモノです。
女性も同様でしょうね。
女性というのは化粧をします。
これだけでももの凄く雰囲気が変わりますし、立派に演じられるのであれば人格まで変えて接っします。
服装も女性と男性とではVariationも種類も違いますからね。
表面的な所で判断するならばこういう服装や一時の振る舞いで全てを推し量ってしまいます。
人間というのはこういう繋がりであってはなりません。
いつもの自分を見て貰うのが一番です。
よっておいらが薦めたのは自分で見つけるということでしょうか。
その為には様々な人と接する接点が必要です。
ということで建設の奉仕に参加するように薦めました。
長時間同じ時間をともにするということは必ず素の部分を垣間見ることが出来ます。
注意深く見ているならばの話ですけどね。
人間性を観察できると言うことですな。
人が示す精神的傾向というのは見続けることでしか把握することは不可能です。
特に紹介される場合には精神的傾向を推し量ることは期待できないでしょう。
相手はそのつもりで来ますからな。
格好いい所だけを見せる人間というのはおいらは大嫌いです。
これはおいらの性格がひねくれていることもありますし、そう言う人間はこの世には存在しないという認識があります。
格好悪い部分の方が人間は多く、襤褸が出てきます。
それは深く付き合えば付き合うほど明白に明確に出てきます。
だったら最初からそう言うImageで見て貰っておくと後々でPlusになっていくことの方が多いという認識もあります。
「最初が重要」とか「第一印象が一番大事」という事をよく聴きますよね。
「一期一会」という言葉がありますが一生で一度しか会えないかもしれない場合は別としてConstantに会う可能性が高い場合にはこれは逆効果だと個人的に考えています。
おいらは一番最初に会った人に「しょうもない人間だ」とか「出来の悪い人間」だと認識していただいて居るぐらいが一番心地良くいられます。
人間の価値や人間の真価、本質や本性というのは一度では測れるモノではないんですよ。
それに格好悪い部分をさらけ出して其れが当たり前で自分の弱い所なのだと認識して貰えるならば改善された際に目を見張る効果があるでしょう。
逆に良い印象を持っている人には其れを崩して貰わねばなりません。
「買い被りすぎている」ということを気付かせる必要が発生します。
往々にして人は良い印象を心地良く思うモノです。
そして其れに縋り付き現実とは向き合おうとはしません。
人は時間の流れの中に生きているのですから一時的なT-Upで印象が良くなると言うのは大きな間違いでしょう。
人がほめているのを聴くと好印象という「偏見」が掛けられてその眼鏡を外すことは難しくなります。
逆も同様ですけどね。
印象が最初悪いならば後は本当の価値でしか認められることはない訳です。
人間の概念の中には「永遠」というKeywordが必ず出てきます。
これは人間が想像された経緯を知ると当然のことなんですな。
永遠というSpanで見ると結婚は本当に慎重にならざるを得ないはずです。
義に過ぎる人や自分の意見しか認めない人、自分の価値判断しか正しいとは思わない人は論外です。
こういう人って本当にたちが悪いな~と良く感じます。
Christianとして最も重要な事として
神様からどのように見られているか
というのが一番になるはずで人からの評価は二の次三の次になるはずなんですよね。
人間は他人の評価を余りに気にしすぎですよ。
何度も何度も教えられてきていながら他の人の評価でしか喜べない人間が多数います。
そのような人というのは他人が見ていないと行動しない人です。
このような人間にはなりたくはありません。
何時如何なる時も神に対するように物事を粛々と行っていくべきです。
まあね。
このように書いていますが、一番出来ていない人間がおいらなのですから笑うしかないですな。
はははのは~......................
加えて伝えたことは
・結婚願望が強い人間は選ばないようにした方が良い
ということでした。
「結婚願望が強い人間は相手が誰でも良いのか?」という話になります。
するとまともな答えが出てくるはずもありません。
「結婚」というStatusなり立場に拘っているのであって「人そのもの」として女性もしくは男性を見ていないような気がするのです。
人と向き合っているのではなく、結婚という儀式と向き合っているだけのような気もしますしね。
ガツガツしている人は目をそこかしこに向けて相手を見つけようと躍起になっているように思いますね。
そして最初の方に書きましたが、結婚願望が強い人は他の人に言う傾向もあります。
自分の中身で人は寄っても来ますし、離れても行きます。
自分と気の合う人が寄ってくるのを気長に待つ余裕が無い人が多いんですよね。
Christianなら尚更で上にも書きましたが「永遠」の概念をより強く感じているはずなのになぜそんなに急ぐのか理解に苦しみます。
結婚というのはお互いが深い部分で理解をし合い、双方の合意の上でやっと成り立つモノです。
それを軽率にするような行動はこの取り決めに対しての侮辱ですよね。
おいらが伝えたのは自分で努力して探して、それでも駄目なら紹介して貰うということでしょうかね。
更にもう一つ加えて言ったこともありましたな。
重複しますけどね。
「世界が狭すぎる」と言うことです。
もっと他の所へ出て行って沢山の人間と接するべきだと言うことです。
同じ地域で同じ面子で生活していると其れが世界の全てだと考えてしまいがちですが、幸いなことか残念なことかは解りませんが沢山の人間がいるのですよ。
よってもっと沢山の人間と接するべきでしょう。
確かに基盤としての同じ面子というのは重要です。
しかしそれは相対的なモノでしか有りません。
このことを踏まえて人と沢山接して沢山の人の本質を理解できるようになってから選べばいいとおいらは思います。
それからでも遅くはないでしょう。
なぜおいらなんかに相談するのか訳がわかりませんな。
相手もおいらが恋愛対象になるはずもない人間であることは間違い有りません。
これは個人情報の観点から書くことは難しい部分なので書きませんけどね。
最近思うに家族以外の周囲のおいらへの評価が高すぎるんですよ。
Audio関連の事にしてもComputer関連、Digital Camera、Stationeryなどに関して良く意見を求められますがおいらは余り知りません。
素人に毛が生えたぐらいしか知らないことで意見を求められても徒労に終わるだけでしょうにね...
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