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思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



CategorizeとしてはMind Darknessに限らず、ほとんどすべての分野に適応できるのですが................................

おいらは枠に囚われて生きてきました。
何事も

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここからここまでしか行動できない

これをしては駄目、あれもしては駄目

このような使い方しかしてはならない
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

といった固定観念を抱いて生きてきました。
しかしこの思考がある時点から解消されました。
例えば

何事にも限界がある、そしてその限界は如何ともし難く無力である

という気持ちがあったんですよね。
ところがです。
何事も自由に考える発想を持つことが出来るようになりました。
おいらは固定観念というのは非常に嫌悪している人間です。
しかし嫌悪の要因となっていることとしては「固定観念に囚われている」からこそ嫌悪するのです。
例えばComputerは自作する場合に個々のPartsを「そのまま使用しなければならない」という括りが自分の中で発生していました。
でもAudioの自作するという概念とComputerの自作の概念とでは全く異なります。
Audioの自作というのは確かにCableなどは制作するMakerなどが提供するモノを使用しますが、組み合わせは変幻自在です。
そして固定したMakerのモノを使用するのではなく選択肢が山のようにあります。
その中から自分が使いたいと思ったモノを任意で選択して組み合わせるというわけです。
Plugにしてもたくさんあり、接続方式などもたくさんあります。
そう考えるとPCの自作というのは非常に小さな枠組みでしか無いのだと思えてきます。

Fashionや生活する為の道具、食料などの組み合わせでも適応できますよね。
「発想の転換」という言葉が好きなんですけどね。
数学者が様々な分野の数式や方程式などを組み合わせて答えを出す方法というのは憧れる訳です。

ここで重要なのは数学者が組み合わせることが出来るのは自分が把握し理解している方法の組み合わせしか使えないというところです。
つまり引き出しの多さが強みであることを示しているのでしょう。
「一度しか使えない」という引き出しが人間には多数あります。
しかしこれは「"一人"に対して一回しか使えない」という意味ですからな。
他の人間であるならばその人数だけ何度でも同じ事が出来ます。
そしてその引き出しは鮮度を保つことが可能であるというわけですな。
ここで加えて書いておかねばならないこととしては、一つのことを何度も使っていると新しい使い方を発見するモノだと言うことでしょう。
つまりそれは「一度しか使えない事柄」から複数回使用できるモノへと変貌を遂げます。
固定観念を打ち砕く重要性はここにあります。
「一度しか使えない」モノを何とか"何度も"使えるように出来ないかという思考への切り替えをして使えるようにするよう考えるようになるというのがPointですな。
同じ事をして行っているとその行動に自信を持つことも出来るようになったり、熟練とまでは行かないかもしれませんが、ある程度の練度を積むことになるでしょう。
そうなると新たは使い方というのは自ずと生まれていくモノだとも思えます。

物事を行っていると発想次第でどうとでも乗り切れる事が少なからずあります。
それが固定観念に囚われていると視覚が非常に小さくなり周りが見えないが故に解決策を知ることが出来ないと言うことが多いわけですよ。
一つの視点で見ているというのは重要なのかも知れません。
定点観測の重要性をおいらは強く実感していますし、平衡のとれた見方をするためには欠かせないでしょう。
ここでの定点観測の定義というのは物事を見続けて判断することは重要だと言うことを書きたいんですな。
しかし定点観測の効果を倍増させるのは複数の場所の観察を行うことによってです。
多数の視点で物事を観察することによってより造詣が深くなるという傾向にあります。
固定観念というのは一つの定点からしか見ることが出来ていないということを示しているわけですな。
それに対して複数のMultipurposeに動くことが出来る視点というのは自由度も高くなりかつ定点としても使用可能であるということを示しています。

固定観念が嫌いな人間ほど囚われている傾向にあり、固定観念に囚われている他人を見ると嫌悪するという傾向もあるように感じます。
何と言ってもおいら自身がそのものでしたからね。
間違いないでしょう。
まあ、これはおいら個人の見解ですので何の参考にもならないでしょう。

物事の見方の自由度が広がった事によりおいらとしては凄く楽になった部分がありました。
なぜあのような見方をしていたのだろうと疑問を持つぐらいです。
経験したモノの中からしか人間というのは理解できません。
これは先ほど書いた数学者が答えを出す方法に近しいんですな。
しかし数学よりも人間というのはたくさんのFactorが加わります。
そう考えると人間を理解する事ほど難解な物事は無いとも言えるでしょう。

もっとたくさんのことを書きたいんですけどね。
いざ文字にしてみるとなんとまあCheapな言葉を綴るに留まっているな~と反省しきりです。
語彙が少ないですからな。
表現方法も陳腐で馬鹿なのはよく解るかと...........................

ああ~....勉強しないとな~................................

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