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思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



卑屈になっていく自分自身がなによりも許せなかったんだ..................

秋葉原の連続殺傷害事件の犯人の気持ちが彼の状況を知れば知るほど感情移入しなくてはいられなくなります。
まあおいらの場合は他の人を傷つけるというよりも自分自身への憎しみや絶望、悲しみが深く自分自身を如何に苦しめるかに向いていたことから彼のような殺傷事件には行かなかったに過ぎません。
加えて、もしそのような行動を起こそうとしても止めてくれる家族が居ます。
もとい家族がこちらに来なかったのであればおいらが鬱になることもなく適当に生きていたはずなのは間違いなのですが、幾ら過去を思い出しても「後の祭り」で変えようもないことは書くまでもないでしょう。

仕事に対しての思いもよく似ているような気もします。
常に不満を抱え、

なぜこのような待遇なのか
なぜこのような給料なのか
やりがいもないし、達成感も与えてくれないではないか

今振り返ると良くわかりますが、給料に見合った仕事の最低でも3倍程度は働いていたことは間違いありません。
幾らしんどくて無理をして行った仕事でも実際に作業を行わない人間が仕事の価値を評価するのですから仕事に見合った給料を貰えることはほとんど無いんですよね。
これは書き方を変えると仕事を与える方がInitiativeを取っていて上から目線からでしか見られなくなっているのですから仕方がないといえるでしょう。

しかし、仕事にこれらを求めても仕方がないということがこの頃良くわかるようになってきました。
実際に仕事というのは人にとっては相対的なモノなんですよね。
確かにお金がなければ生きていけないのは間違いありません。
でもそのお金を得る方法というのはいろいろと方法があります。
だから「この仕事でなければ駄目なのだ」ということもなく縛られることの方が危険だとも感じます。
もし「この仕事しか駄目なのだ」と言う意識が生まれると、保身に走りますし自分のその分野での貢献度をアピールしなければ忘れられるんではないか?とさえ考えるようになるでしょう。
人間というのはある程度の自己顕示欲は満たす必要がありますけどね。
必要以上に満たすことは愚かなことだといえるでしょう。
逆に全く貢献していないという意識を持って改善していきたいと願って生きている方が喜びが大きいことも解ります。
自分が全く期待していないのですから、感謝の言葉を期待しませんし、作業を行った時点で自己完結しているのですからね。
作業から感謝が生まれたり評価されるようになることは「副産物」で想定外のことになるわけです。
このように考えると帰ってくることを期待していないのですから、それらを喜びにできるでしょう。

もし仕事で行っても人との繋がりが出来るモノであったり、作業したことで得たお客さんの喜びがあったなら実際のお金なんかよりも満足感や達成感が得られるんですよ。
でもこの種の仕事というのは限られるんですよね。
実際にお客さんの顔が見られる仕事というのはほんの一握りです。
今回犯罪を犯した加害者も仕事場が工場でしたよね。
お客さんとは繋がりようもなく、お客さんの喜びとは殆ど出会えないでしょう。
そうなると「自分は何をしているのだろう」という思考になっていっても仕方がありません。

また商売人ではなくお客さんとの仕事からでしか喜びは得にくいのもポイントですな。
商売人というのはモノを右から左に流す事によって金を得ます。
よって金に汚い人間である場合が少なくありません。
これは卸の仕事も満足感を得にくいモノとなっていくという事を意味しているわけです。
卸の世界というのはほんとに汚い世界ですよ。

メーカー直販などの方が純粋に安くて保証もしっかりしている事の方が多いのですから買う方も気持ちが良いですよね。

タイトルのおいらがアキバ系だというポイントに戻ろうと思います。
Internetに依存していったり、Computerに依存していくのは人として不自然なことなんだと感じますな。
Computerというのは他の人と接する事というのが少なくなります。
物理的には皆無になっていきますよね。
何事もVirtualで人との接し方を忘れさせる作用もおこしていきます。
これはおいら自身に起こっているのですから間違いないと思いますな。
おいらは意識して人との繋がりを切ってきましたのでなんなんですが............
自分を戒めるために行ってきたことなのですが、実際に繋がりを元に戻そうと思うと途方もない労力が必要なのだと実感しています。
そりゃそうでしょうね。
人との付き合いを忘れているのですから、一から自分で勉強し直さなければならないのです。
そして自分自身の中には「自分はどうせ他の人よりも劣っているのだ」と言う意識があるのですからフレンドリーに接したくても難しいんですな。

元来おいらは無口でおとなしい性格なんですよね。
引っ込み思案で言いたいことも言えなかったむっつりスケベ(?)だったんですよ。
まあ綺麗な人が好きなのは間違いないので表現方法は適切だと思います。
おいらは両親の血を引いていますし、言い返さないのがおかしい「屈辱的」とも言えるような事でも何も言わなくて我慢するタイプでした。
両親は温厚で我慢強い方達です。
これはおいらが生まれてから今までブレる事のない事実です。
実際においらはその温和さによって幾度も救われてきましたし、その温和さに見習いたいと常々感じて居るぐらいだったのです。
しかし人間ですし、「ある程度の尊厳は確保しなければならない」と両親の行動によって知らされたことがありました。
言い返すように言われましたし、なぜ怒らないのか?と正座させられて問われたぐらいです。
人には手を挙げるのを見たことがない父上がおいらの太ももを思いっきりたたいた事も印象に残っています。

これは我慢するのもある程度までで「自己否定」とは全く異なるという事を感じ取れた事だったんですな。
詳細は機会があればいずれはまた書こうと思います。

このことがきっかけでおいらは自分の性格を変えることが出来たターニングポイントとなったことは間違いありません。
外向的になり人との会話もお手の物になっていったんですな。

しかし諸事情によりおいらは自身を自己否定するようになっていきました。
まあそれでも多少は持ち直しつつあるんですけどね。
それはこのBlogによって気持ちを整理する事が出来ていることが大きいとも思います。
やはり人間というのは心のもやもやを抱えていると闇色に染まってしまうモノですからね。
その闇を言葉にして客観性を持ってみると自分の心の状態を分析できますし、改善する方法や注意する方法などの理解の助けになります。
なんだか長い記事になりましたが、今日は家にずっと引きこもり状態でした。

振り込みにも行けなかったな~............
まあ机の上が綺麗になったのでいいや。
いろいろと霊的な活動もちゃんと行っていきたいと感じるようになってきました。
加えて身体を鍛え直したいし、痩せる努力を行いたいを考えています。
なにより人間的な生活を送りたいだけなんですよね。
ということでまず部屋を綺麗にすることが先決ですな。
ここ最近は部屋がごった返していて落ち着いて寝ても居られないんですよね。
ベットも寝るスペースが荷物で狭くなっています。
また本の整理もやりたいんですよね。
やりたいことはそう簡単にはできないのですからマイペースに考えていきたいモノです。

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