ここ最近はComputerのことにかまけていて書くとか書いておきながら「文具の魅力」は更新していませんでしたな....................
しかし書くに書けない事情があったんですよね。
多少のStationeryの購入はしているのですが、その前に書きたい事があったんですな。
そのことに関しては今週末から来週ぐらいに書けるはずですが、それ以上先になる可能性もありますし予定は未定と言うことにしておいた方が良いでしょう。
この前の記事である「文具の魅力 その63 2008.06.01」の最後に続編を書くことを書いてしまいましたよね。
こういう続きを書くとか書いておきながら思考が記事を書くまでにするにはけっこう大変なことも多いんですよ。
他のことを考えているときに別のことを考えることが難しいのは人間として当然のことです。
それに「仕事」ならまだしも自分が書きたいときに書きたいことを書けばいいBlogなのですから仕方がありません。
また諸々で書きたくても書けない事情もあったのでしょうがないじゃん。
と自分で自分に言い訳を放いて慰めてから本題を書いていこうと思います。(笑)
リアルな生活では会話というのは避けられないでしょう。
会話の基本として「アクティブリスニング(Active Listening」と言う言葉が用いられます。
これは聖書の言葉にもあるんですけどね。
その言葉を紹介しておきましょう。
「わたしの愛する兄弟たち、このことを知っておきなさい。
すべての人は、聞くことに速く、語ることに遅く、憤ることに遅くあるべきです。」
ーヤコブ 1:19
「Active Listening」とは「能動的に傾聴する」と言うことです。
能動的とは「自分から他へ働きかけるさま」です。
傾聴とは「耳を傾けて、熱心に聞くこと」です。
この意味に加えて聖書の言葉の意味を分析し加味すると、
自分の意見は控えめにしつつ細心を払って言葉を選び発っして、他の人の意見を聞き逃さず注意を払い尊重する
と言うことになります。
人というのは他の人の意見というのは「軽率」に、また「おざなり」に扱いがちです。
でもそうであってはならないんですよね。
人の意見を軽々しく扱う人というのは自分自身も軽々しく扱われるようになっていくのだと言うことを自覚していないんですよ。
こういう言葉もあります。
「自分が裁かれないために、人を裁くのをやめなさい。
あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。
そして、あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方を量り出すでしょう。
では、なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら、自分の目の中にある垂木のことを考えないのですか。
また、どうして『あなたの目からわらを抜き取らせて下さい』と言えるのですか。
しかも、ご覧なさい、自分の目の中には垂木があるのです。」
「自分が聞いていることに注意を払いなさい。
あなた方が量り出しているその量りであなた方は自分に対して量り出されるでしょう。
そうです、あなた方はそれに更に付け加えられるのです。」
「いつも与えなさい。
そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
彼らは押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、あなた方のひざに注ぎ込んでくれるでしょう。
あなた方が量り出しているその量りで、今度は人々があなた方に量り出してくれるのです。」
これらの言葉で「量り」と言う言葉が用いられていますが、これは「他の人をどう見るか」とか「他の人への自分の評価」と言う意味で読んでいただくと良くわかると思います。
狭量なおいらがこんな事を書くのも何ですが、寛容になるように努力を払い他の人の意見を尊重する努力を怠らない人間になりたいモノです。
そしてここで文具が必要になってくるわけです。
他の人の意見というのは記憶することが難しいのは当然のことなんですよね。
受け入れがたい意見というのは特にそうでしょう。
しかしそのような方の意見というのは真正面からの言葉なのですから自分自身にとっては「貴重な意見」であるはずなんですよ。
加えて音声というのは録音しておくことも出来ますが、オフレコの場合は聞いてその人が去ってからが重要になります。
意見を重要視してメモを取り自己改善に役立てる、もしくは仕事なり会社なりの改善に役立てることにやぶさかであってはなりません。
こういった意見を使用するに当たり迅速に克つ努力を惜しむことなく最善を尽くすべきなのです。
人は進歩しなければ退行していくだけなのですから、常に改善する方法を模索していくべきなんですよね。
「他の人に自分の進歩が明らかになるようにしなさい」と言う言葉がありますし、人間は一生涯進歩していかなければならないし、改善の余地というのは死ぬまであります。
更にこのメモをし助言や意見された人に再度会う際には見返したり、改善したことが明らかになるような機会があるのであれば、そのことを思いに留めていることを言葉にしたり個人として努力していることが長いスパンでその人の目に明らかになり自分の意見を聴いてくれていると言うことを認識するならば、その人の中でのこちらの評価が上がることは書くまでもないでしょう。
まあ、改善することはそう簡単ではありませんし、こちらから努力していると言っても説得力がありません。
でも感謝は伝えることが出来るはずです。
「助言いただきありがとうございました。」という言葉を「嫌み」ではなく当てはめる努力をして純粋に言えるのであれば、言った側としても喜びに変わりますよね。
人というのは自分の意見がちゃんと聴いてくれているのだと感じるのはうれしいモノです。
これは「自己の重要感」を満たすことが出来るからなんですな。
おいらはせっかちなので軽率に言葉を発してしまうことがありますのでなんなんですがね。
気をつけなければなりませんな..................
次は「機微」について書きましょうかね~。
なんだかめんどくさくなってきたな。
まあ適当に書きます。
その前に最近手に入れたモノを書くことになるかもしれませんのであしからず。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いろいろとおいらの周りのモノが変化しつつあるので購入したモノを順次書いていこうと思います。
しかし書くに書けない事情があったんですよね。
多少のStationeryの購入はしているのですが、その前に書きたい事があったんですな。
そのことに関しては今週末から来週ぐらいに書けるはずですが、それ以上先になる可能性もありますし予定は未定と言うことにしておいた方が良いでしょう。
この前の記事である「文具の魅力 その63 2008.06.01」の最後に続編を書くことを書いてしまいましたよね。
こういう続きを書くとか書いておきながら思考が記事を書くまでにするにはけっこう大変なことも多いんですよ。
他のことを考えているときに別のことを考えることが難しいのは人間として当然のことです。
それに「仕事」ならまだしも自分が書きたいときに書きたいことを書けばいいBlogなのですから仕方がありません。
また諸々で書きたくても書けない事情もあったのでしょうがないじゃん。
と自分で自分に言い訳を放いて慰めてから本題を書いていこうと思います。(笑)
リアルな生活では会話というのは避けられないでしょう。
会話の基本として「アクティブリスニング(Active Listening」と言う言葉が用いられます。
これは聖書の言葉にもあるんですけどね。
その言葉を紹介しておきましょう。
「わたしの愛する兄弟たち、このことを知っておきなさい。
すべての人は、聞くことに速く、語ることに遅く、憤ることに遅くあるべきです。」
ーヤコブ 1:19
「Active Listening」とは「能動的に傾聴する」と言うことです。
能動的とは「自分から他へ働きかけるさま」です。
傾聴とは「耳を傾けて、熱心に聞くこと」です。
この意味に加えて聖書の言葉の意味を分析し加味すると、
自分の意見は控えめにしつつ細心を払って言葉を選び発っして、他の人の意見を聞き逃さず注意を払い尊重する
と言うことになります。
人というのは他の人の意見というのは「軽率」に、また「おざなり」に扱いがちです。
でもそうであってはならないんですよね。
人の意見を軽々しく扱う人というのは自分自身も軽々しく扱われるようになっていくのだと言うことを自覚していないんですよ。
こういう言葉もあります。
「自分が裁かれないために、人を裁くのをやめなさい。
あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。
そして、あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方を量り出すでしょう。
では、なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら、自分の目の中にある垂木のことを考えないのですか。
また、どうして『あなたの目からわらを抜き取らせて下さい』と言えるのですか。
しかも、ご覧なさい、自分の目の中には垂木があるのです。」
「自分が聞いていることに注意を払いなさい。
あなた方が量り出しているその量りであなた方は自分に対して量り出されるでしょう。
そうです、あなた方はそれに更に付け加えられるのです。」
「いつも与えなさい。
そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
彼らは押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、あなた方のひざに注ぎ込んでくれるでしょう。
あなた方が量り出しているその量りで、今度は人々があなた方に量り出してくれるのです。」
これらの言葉で「量り」と言う言葉が用いられていますが、これは「他の人をどう見るか」とか「他の人への自分の評価」と言う意味で読んでいただくと良くわかると思います。
狭量なおいらがこんな事を書くのも何ですが、寛容になるように努力を払い他の人の意見を尊重する努力を怠らない人間になりたいモノです。
そしてここで文具が必要になってくるわけです。
他の人の意見というのは記憶することが難しいのは当然のことなんですよね。
受け入れがたい意見というのは特にそうでしょう。
しかしそのような方の意見というのは真正面からの言葉なのですから自分自身にとっては「貴重な意見」であるはずなんですよ。
加えて音声というのは録音しておくことも出来ますが、オフレコの場合は聞いてその人が去ってからが重要になります。
意見を重要視してメモを取り自己改善に役立てる、もしくは仕事なり会社なりの改善に役立てることにやぶさかであってはなりません。
こういった意見を使用するに当たり迅速に克つ努力を惜しむことなく最善を尽くすべきなのです。
人は進歩しなければ退行していくだけなのですから、常に改善する方法を模索していくべきなんですよね。
「他の人に自分の進歩が明らかになるようにしなさい」と言う言葉がありますし、人間は一生涯進歩していかなければならないし、改善の余地というのは死ぬまであります。
更にこのメモをし助言や意見された人に再度会う際には見返したり、改善したことが明らかになるような機会があるのであれば、そのことを思いに留めていることを言葉にしたり個人として努力していることが長いスパンでその人の目に明らかになり自分の意見を聴いてくれていると言うことを認識するならば、その人の中でのこちらの評価が上がることは書くまでもないでしょう。
まあ、改善することはそう簡単ではありませんし、こちらから努力していると言っても説得力がありません。
でも感謝は伝えることが出来るはずです。
「助言いただきありがとうございました。」という言葉を「嫌み」ではなく当てはめる努力をして純粋に言えるのであれば、言った側としても喜びに変わりますよね。
人というのは自分の意見がちゃんと聴いてくれているのだと感じるのはうれしいモノです。
これは「自己の重要感」を満たすことが出来るからなんですな。
おいらはせっかちなので軽率に言葉を発してしまうことがありますのでなんなんですがね。
気をつけなければなりませんな..................
次は「機微」について書きましょうかね~。
なんだかめんどくさくなってきたな。
まあ適当に書きます。
その前に最近手に入れたモノを書くことになるかもしれませんのであしからず。
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いろいろとおいらの周りのモノが変化しつつあるので購入したモノを順次書いていこうと思います。