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思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



直接的で原始的な表現方法の一つ.................

ComputerでKeyboardで打つ方が早くなりつつある昨今です。
しかし物理的に直ぐに手に取れる媒体として紙に書く事というのは凄く便利だと思うんですよ。
たしかにPrinterでプリントアウトすることで綺麗な字で印字できます。
でもComputerでプリントアウトしたFont(字の形)というのは決まっていたり一律で変化に乏しいとか感じます。
また直ぐにプリントアウトできるのだから「貴重な資料」というImageが著しく欠けていきます。
それにたいして自分の手で書いた字とか人の手によって書かれた字というのはコピーなどしても「生きている字」だというImageがおいらの中ではあるんですよね。
Computerの字は書いている本人にとっては「生きている字」にも成り得ます。
ところが全く関心のない人からすると「死んだ字」に写ってしまって意味を成さないことが多いように感じるわけですよ。
手書きの場合は例え全く関心がない記事でも大切なモノだというImageが強いわけです。

この違いはただ単に変化に富んでいる「手書き」ということ以上に付加価値を感じるとおいら個人では考えています。
手書きで書くというのは今のComputerに囲まれている現在に置いて余程重要度の高いものでないとしない人が増えていますよね。
例えばタレントやスポーツ選手などののサインなんかは手書きだからプレミアが付いたりするわけですよ。
実際に書いているところを映したりして本人が書いているところが明らかになっているサインほど貴重なモノになっているでしょう。
以前にも書きましたが政治の世界でのサインも直筆だから意味を成すわけでこれがタイプライター、コンピュータの順で価値が下がっていくわけです。
貴重な理由は多分ですが「一発勝負」の度合いが手書き→タイプライター→Computerの順で弱くなっていくからでしょう。
特に重要な書類の場合に失敗は許されなくなるわけでそれまでにどれだけサインの練習をしているのかを考えると納得しますよね。
まあ練習しなくとも達筆な人の場合はぶっつけ本番でも大丈夫でしょう。

ここで面白いことは達筆になればなるほどサインの数が少なくなっていくということでしょう。
書道の達人は練習というのはImaginationで大概できるので書く数が少ないでしょう。
これはIllustrationでも一緒で頭の中で完成したLineを描いていることも多いんですな。
おいらもこの境地に達したくて今いろいろとImageしては駄目出しをして結局描く時点まで行かないことが多いんですよ。

なんだか同じような事を書いていて重複することが多くなってきていますが数を書いていると仕方がないですな。
おいらは考えることが決まっていて同じ事をよく考えているわけですよ。
また語彙が少ない上に作文能力がかなり低いのでお許し下さい。

考える事によって啓発されることも大きかったり新たな発見があったりするので同じでも書き続けようと思います。


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