今まで他の人に遣り過ぎてきたのを実感しています.....................................
報われなくても、それでも他の人のためにしていかねばならない
そう思って生きてきました。
「人間というのは生きているだけで苦しい」
こう感じなければならないのだと信じて生きてきました。
人に迷惑をかけてはならない
人の為に何かしらを犠牲にしていかねばならない
とずっと自分に言い聞かせて生きてきたんですね。
しかし人間というのはそう言う風には出来ていないというのもよく分かって来ましたね。
おいらが思うに、
なぜ自己中心的に考えることができるのか
なぜ他の人の善意を理解できないのか
なぜ厚意を台無しにしてしまうのか
ということをずっと考えていたんですね。
5年ほど前に交通事故に遭って、足に怪我をした子がいます。
おいらからすると
蒔いたものを刈り取っている
という認識しかありません。
確かに人生で片足が不自由になってしまうというのはとても「大きな欠陥」だと言えるのかも知れません。
本人がそう思うならばですけどね。
しかし人間というのはかなり都合よく頭ができています。
つまりある程度の諦めが付けば、足のことなどどうでも良くなるんですよ。
前向きにもなれますし、後ろ向きにもなれるのが人間です。
以前に書いたことがあるのですが、この子は自分が大怪我をして動き回る事は回復を遅くするということを認識していませんでした。
これは感謝の念が低いと言わざるをえないということも書いた記憶があります。
この子の通院に関しては今から考えると非常に大きな犠牲を払って来ました。
隔週にほぼ70km程度離れているところに通わなければならないというのが条件だったんですね。
そしてそれにおいらは運転手をしています。
おいらは一日を犠牲にして彼に付き合うわけですから
・何曜日に行くのか
・何時に行くのか
・行くまでにかかる費用はどうするのか
といったことをおいらの要望として多少強引に聞き入れて貰っても良かったようです。
この子に付き添って行くというのは本当につらい思いをしていたんですね。
おいら自身は収入がなくお金がありませんでした。
これは自分自身が蒔いたことなので仕方がないことなのですが、車の支払いに追われて赤字の月もありました。
2週間を104円程度で過ごしたこともあったんですね。
親元なので日々の食事は確保できています。
ただ自由に使えるお金が全く無かったんですな。
しかしそれをこの子には教えずに、親からお小遣いを2,000~4,000円ほど隔週の通院の際に貰っていました。
彼は保険がありましたので自由に使えるお金が潤沢にあったんですよね。
働いていた頃の7掛けのお金が手に入っていたようです。
少なくとも6万程度は自由にお金を仕えていたようなんですよね。
多い時はもっと貰っていたようですが、彼の金の使い方を見ていると本当に辛くてたまりませんでした。
金が無い時にも何もしてもらって来なかったのですから、おいら自身が仕事をして金のある今なら尚更金を出してもらうということに本当に抵抗があります。
少なくとも食費は出して貰えば良かったと感じますね。
というかおいらの見地からですが、「愚かな人間」に付き合うのに疲れてしまったんですよ。
なぜもっと推測しないのか
なぜもっと深く考えないのか
なぜもっと洞察しないのか
おいらが考えすぎてきたというのもあるのですがね。
「愚かな人間」には付き合いきれません。
ここで断っておきたいのですが、おいらが愚かなのは間違いのないことです。
総じてすべての人間の中でも本当に愚かな人間の部類に入るでしょう。
ただそのようなおいらでさえ「愚かだ」と感じ、付き合いきれないと判断してしまうほどの人間がいるという事実があるんですよね。
こう考えると人が人に悪を及ぼしているというのも納得できます。
気が付かないところでどれほどの自己犠牲を払っているのかは言わないとわからないんですよね。
解るようにしなければ解らないことは情報開示をしていくべきなのだと痛感しています。
そしてそういう権利を有している人間なら尚更に受けるべき権利を主張してもいいと思いますね。
報われなくても、それでも他の人のためにしていかねばならない
そう思って生きてきました。
「人間というのは生きているだけで苦しい」
こう感じなければならないのだと信じて生きてきました。
人に迷惑をかけてはならない
人の為に何かしらを犠牲にしていかねばならない
とずっと自分に言い聞かせて生きてきたんですね。
しかし人間というのはそう言う風には出来ていないというのもよく分かって来ましたね。
おいらが思うに、
なぜ自己中心的に考えることができるのか
なぜ他の人の善意を理解できないのか
なぜ厚意を台無しにしてしまうのか
ということをずっと考えていたんですね。
5年ほど前に交通事故に遭って、足に怪我をした子がいます。
おいらからすると
蒔いたものを刈り取っている
という認識しかありません。
確かに人生で片足が不自由になってしまうというのはとても「大きな欠陥」だと言えるのかも知れません。
本人がそう思うならばですけどね。
しかし人間というのはかなり都合よく頭ができています。
つまりある程度の諦めが付けば、足のことなどどうでも良くなるんですよ。
前向きにもなれますし、後ろ向きにもなれるのが人間です。
以前に書いたことがあるのですが、この子は自分が大怪我をして動き回る事は回復を遅くするということを認識していませんでした。
これは感謝の念が低いと言わざるをえないということも書いた記憶があります。
この子の通院に関しては今から考えると非常に大きな犠牲を払って来ました。
隔週にほぼ70km程度離れているところに通わなければならないというのが条件だったんですね。
そしてそれにおいらは運転手をしています。
おいらは一日を犠牲にして彼に付き合うわけですから
・何曜日に行くのか
・何時に行くのか
・行くまでにかかる費用はどうするのか
といったことをおいらの要望として多少強引に聞き入れて貰っても良かったようです。
この子に付き添って行くというのは本当につらい思いをしていたんですね。
おいら自身は収入がなくお金がありませんでした。
これは自分自身が蒔いたことなので仕方がないことなのですが、車の支払いに追われて赤字の月もありました。
2週間を104円程度で過ごしたこともあったんですね。
親元なので日々の食事は確保できています。
ただ自由に使えるお金が全く無かったんですな。
しかしそれをこの子には教えずに、親からお小遣いを2,000~4,000円ほど隔週の通院の際に貰っていました。
彼は保険がありましたので自由に使えるお金が潤沢にあったんですよね。
働いていた頃の7掛けのお金が手に入っていたようです。
少なくとも6万程度は自由にお金を仕えていたようなんですよね。
多い時はもっと貰っていたようですが、彼の金の使い方を見ていると本当に辛くてたまりませんでした。
金が無い時にも何もしてもらって来なかったのですから、おいら自身が仕事をして金のある今なら尚更金を出してもらうということに本当に抵抗があります。
少なくとも食費は出して貰えば良かったと感じますね。
というかおいらの見地からですが、「愚かな人間」に付き合うのに疲れてしまったんですよ。
なぜもっと推測しないのか
なぜもっと深く考えないのか
なぜもっと洞察しないのか
おいらが考えすぎてきたというのもあるのですがね。
「愚かな人間」には付き合いきれません。
ここで断っておきたいのですが、おいらが愚かなのは間違いのないことです。
総じてすべての人間の中でも本当に愚かな人間の部類に入るでしょう。
ただそのようなおいらでさえ「愚かだ」と感じ、付き合いきれないと判断してしまうほどの人間がいるという事実があるんですよね。
こう考えると人が人に悪を及ぼしているというのも納得できます。
気が付かないところでどれほどの自己犠牲を払っているのかは言わないとわからないんですよね。
解るようにしなければ解らないことは情報開示をしていくべきなのだと痛感しています。
そしてそういう権利を有している人間なら尚更に受けるべき権利を主張してもいいと思いますね。