おいらは愛媛に来ることが嫌でした..........................................
それでも愛媛に来なければならなかった理由がありました。
ここで書くのは個人的に抵抗があることだったのですが、どうしても整理したい問題だったので書こうと思います。
おいらはそれほどでもなかったのですが、下の妹君が非常に酷いイジメにあっていました。
それがおいらが小学生から中学生の頃でした。
その頃の妹君の顔を思い出すと居た堪れなくなり、「仕方がなかった」と無理に納得しようとしてきました。
おいらの中での彼女の思い出というのは関西にいた頃は辛抱して頑張っているという印象しかありません。
虐められた内容を口には出さず、ただただ家に帰っては一生懸命にCHRISTIANが集う場で歌う「賛美の歌」を家で歌っていました。
どれほど悔しく辛いことがあっても我慢している彼女を表面的にしか知れなかった自分が情けなく感じますね。
いじめで表面的にしか分からないところでしか判断できないのです。
例えば怪我をするという単純で解りやすいいじめはマシだったのでしょう。
平気な顔して「後ろからランドセルを蹴られたから怪我をした」と言っていたのを覚えています。
手や膝に怪我をして血を流しているのを見ると兄として仕返しをしに行くと息巻いていたことがありました。
でも妹君は「仕返しはせんといて」と言っていたのを覚えています。
これは「まだ解りやすいいじめというのは耐えやすい」ということだったのだと今から推察すると理解できます。
それ以外のいじめがひどかったのでしょう。
関西にいた頃の彼女の顔というのは
「歯を食いしばり、必死に耐えている」
という印象しかありません。
いつも思い詰めて我慢していたんだな~と、今頃写真を見返すと解るんですよね。
いじめというのはされる方にも原因があると言われていますが、これは本当にひどい見方だと思います。
保育所の先生がいじめをしていたということが通い始めて暫くたってから解るようになりました。
それを子供が見ていていじめを始めた経緯があったようです。
保育所から小学校というのは地域でほぼエスカレーター式に決まったところに通い始めます。
つまりいじめは継続されいじめの内容もエスカレートしていったようです。
これは大人が金を貰っていじめをするという図式がおいらの中では全く考えられないんですよね。
仕事というのは「自分の魂を削って行った作業の代わりお金を頂く行為」です。
つまり誠心誠意を込めて仕事に携わらなければならず、そこに自分の価値観が入るということ自体が間違いなんですよ。
そしてお客さんには感謝の気持を込めて接しなければならないはずです。
それが子供だとしてもです。
悪ガキにはこんなモノは必要ありませんけどね。
純粋で誠実な子には少なくとも優しく接するべきでしょう。
人間が腐っていると感じるのは上に書いたことの逆をしていたということなんですよ。
悪ガキには機嫌を取り、純朴な子をいじめの対象にしていたというのが許せないんですね。
子供同士ならまだしも大人が子供をいじめの対象にするということ自体が大人となったおいら自身からすると許せません。
子供というのは大人を見て育ちます。
それを見ていた子供がいじめても良いんだと思うのは自ずとなっていったのでしょうね。
その頃のどの写真を見ても、同じ表情をしているのが今頃になってわかっています。
苦しく、辛く、悲しいんですよね。
あの状態を見るとこちらに引っ越してきたことが妹君にとってどれほど良かったのかは現在の状態を見るとほんとうによくわかります。
ただ、
・こちらに来たことに適応できていないのはおいらだけ
だということなんですよね。
自分の居場所がなくて、何処に行っても落ち着ける場所がないと感じて生きています。
何処にも自分の居場所がないとずっと感じて生きていくことにつかれているようです。
もっと書きたいことがあるんですけどね。
取り敢えずここで切っておきます。