扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Car Management = Important No.53

2014-11-18 11:01:10 | Car Management & Maintenance
Hybrid、燃料電池の普及が遅れている理由はDesignだ................................

わたしの愛車Cubeの車検が来年の3月なので近づいてきて備えなければならなくなってきました。
わたしは車検前から毎月1箇所づつ車検を通るような状態にしていきます。
もうそろそろ車検前の半年前ぐらいからは始めたいと考えていて、今回は後手に回ってしまっています。
最近は私自身の精神的な調子が悪くて苦しい状態なので外に出かけることが出来ていません。
理由は様々あるのですが、それはMind Darknessでまた書きます。
今回はHybrid車と燃料電池車に関して書こうと思います。

車はDesignで買う人が多い

ということにSpotを当てて書いていきます。
そして日本車はDesignを軽視しすぎているんです。
トヨタがFCV(燃料電池車)を発表しました。
あのDesignが採用される経緯を明確に知りたいと思いますね。
PRIUSにしてもAQUAにしてもNormalではお世辞にも格好いいとは言いづらい。
Fitにしても.......メーカーを問わず大体のメーカーが格好悪い.........

実際に自分が乗りたいと思う車はHondaのVEZELぐらいしか見当たりません。

電池を載せるSpace
Motorを搭載するSpace
発電機を載せるSpace
Inverterを載せるSpace

が必要になるからといってもDesignは柔軟に発想できるはずなんです。
なぜあのようにモッサリ感をよしとしているのか不思議でなりません。
VEZELでさえモッサリ感を拭いきれていないのですが、

Designerは何をしているのか

と怒りさえ覚えます。

既にある車のDesignを踏襲し、載せれるように弄ればいいじゃん

と思うのですよ。
なぜ既存のDesignを採用しないのでしょうか。
新しい(しかも「ださい」)Designを使うのでしょう。
「既存のDesignが崩れるから仕方がない」と言うのでしょうか。
TOYOTAが発表した「MIRAI」というFCVが格好いいでしょうか。
最近は既存の車のDesignもダサくなってきてどうしようもない状態です。
Model ChangeしてダサくなるぐらいならそのままのDesignで足回りやEngine周りを改善して内容を改善するぐらいにしていただきたいものです。
VolkswagenのBeetleやmini cooperなどのDesignというのは完成度が高いからこそ売れているということに気が付かないのでしょうか。

Designに普遍性があるということを日本の車メーカーは理解できていません。
そして車の買い替えを促すために新しいDesignのモノを販売するという仕組みを作り上げていますが、この販売システムを見なおさなければならない時期に来ているといえるでしょう。
若者のクルマ離れは若い人が乗りたいと思える車が無くなっているのも原因です。
良いDesignのモノを長く乗りたいと思うのは人として当然の思いでもあるのです。

しかしDesign重視の車にしてしまうと価格にDirectに転嫁されるというのも大きな問題だと思いますね。
日産のCubeや軽自動車のこれなら乗りたいと思うDesignのモノはDesignを重視し、そこにお金をかけているからこそ高いのだと思い知らされるような値段の開きがあります。
BassとなるChassisやEngineなどは同じにもかかわらず、DesignerがDesignしたのだから高くて当然だという姿勢が日本の車産業のLevelを下げているんですよ。
ボトルネックとなっているDesignをStandardで良い物にしていく必要性を感じるのです。

F1や戦闘機のような極限の最高性能を求められるモノでもDesignが重視されているということをご存知でしょうか。

人間が乗る部分のDesignは変わり様はありません。
そして見た目が変わっても性能に違いがない部分が多いのです。
空力抵抗やDown Force、気流調整部分でさえ人間のさじ加減で変えられるんです。
例えば戦闘機の尾翼部分が立てられているのは見た目が良いからなのです。

極限の最高性能を求められるモノでさえ遊び心や格好良さを追求できるのですから、普通の車でなら尚更にある程度は自由にDesignできるのは簡単に理解できるでしょう。

日本の車のDesignerは何をしているのか

と本当に最近出てくる車を見ていて思います。
購買意欲もくそもなくなるのは仕方がないですよ。
古い考え方が変わらず残っているのでしょう。
政治を見ているだけでもわかるのですから、定年まで働くことが出来る会社なら尚更に老害が発生しているのかもしれませんね。

若い人が自由にDesignして、それを

基本が出来ていないし車というものを解っていない

という論理でダサいもの改悪してしまう上司が脳裏で簡単に再生されるというのは日本の最低な部分だと思います。
新しいロジックを認めようともせずに、自分の論理を貫き通し若い芽をすべて摘むのが日本社会です。

良いモノをなぜ素直に「良い」と言えないのでしょうか。
そしてなぜ認めようとしないのでしょうか。
なぜ理解しようとしないのでしょうか。
なぜ否定から入るのでしょうか。
なぜ自分の嵌っている枠から出ようともせずに自分が動きもしない視点からしか見ようとしないのでしょうか。

人間は素晴らしい能力があるのにそれを出来ない人間が出来る人間を駄目にしていることが如何に多いことか........
生きているだけでも辛い社会ですよね。
愚かな人間が多すぎて困ります。
しかもその愚かな人間で満たされているのを理解すると絶望感を感じますよね。

わたしは良いものは「良い」と言える人間になりたいし、認めたいと願っています。

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