仕事で困っていますな...............................
仕事そのものは良いのですがね。
職員同士の感情的なことが問題になっています。
介護というのはお年寄りをCareする仕事ですが、お年寄りが機嫌を悪くする原因として
「介護をする職員の対応」
である場合が少なくありません。
確かにお年寄り同士の性格の不一致などで気に入らない所があると毛嫌いするようになっていくのですがね。
こういったことの原因というのは取り成しを行う職員の対応に問題があって性格の不一致を大きくさせていることがあるんですよ。
性格的においらはかなりCoolに対応するようにしています。
ただ失礼の無いように、尊敬の念を込めて対応するというのは決まっていますからな。
お年寄りだけではなく職員同士でもお互いがお互いを認め尊重しあうというのは当然のことではないでしょうか。
感情に流されているとどうしても接している人間に伝わりますからな。
その点でおいらは周りの人間がいらいらしていても平静に居られる性格になってきました。
鬱病を患ったからこそ解ることもありますし、見えてくる所も多々あります。
感情を汲み取るというのは非常に難しいことですし、自分が感じたモノではければ汲み取ることは出来ないのは確かです。
しかしSimulationすることぐらいは出来ますよね。
どういった環境でどのように感情を構築されていくのかを分析するとこれただ単に
「意思疎通が出来ていない」
「尊重してもらえていない」
「相手をしてもらえない」
などの「自己の重要感」を満たしていないだけの場合が少なくないのです。
「自己の重要感」というのは年寄り、特に老人ホームなどに入居している人は極端に小さなモノになっています。
短い時間でも短い会話でも尊重されるだけで事足りるのにそれを介護をする側の人間が理解できていないというのは悲しいことですね。
こういった教育は施されていかねばならないでしょう。
おいらは現在、デイサービスで働いているのですがね。
個人個人の感情をCareするというのは非常に難しいことです。
其れに加えて、出来ないことや障害があることに焦点が当てられがちですが、介護する側の人間としては感情的な部分の満足度を上げていかねばならないと思うのです。
基本的なServiceは確かに重要です。
入浴を介助することや食事の介助、排泄の介助などは重要であることはわかりきっていることです。
出来て当たり前、やって当たり前の仕事なのですからね。
おいらはこのあたりの事を未だ未だ出来ていないので偉そうに発言することは出来ないのですがね。
おいら自身が障害者としての観点で書くならば、おいらはおいら自身のことを考えてくれる人の方が嬉しく感じます。
そのような人が本当の友人だと言えるでしょう。
ずっとおいらのことを考え、おいらのことを思ってくれる存在を望んでいます。
でもそういう人間というのは居ないんですよね。
自分自身にそうならざるを得ないというのは現状でしょうか。
よって自分で自分を褒めるということを人はして行くようになっていきます。
性格によっては増長する人も居るでしょう。
自尊心というのは時に「諸刃の剣」で邪魔になることが少なくありません。
然う言えば、「すみません」というのがおいらの口癖のようです。
何事も迷惑を掛けると「すみません」といってしまうようです。
此方が取り敢えず謝っておくと物事というのはSmoothに行く事が多い事からこういう風な口癖になっていったようです。
『ただ「すみません」というのは良くない』と助言を戴きました。
「すみません」ではなく「ありがとうございます」と言っていかなければならないということなんですよ。
「すみません」は消極的な言葉で「ありがとうございます」は建設的な言葉であるという事を教えて頂きました。
確かにその通りだと思いますね。
おいらは使い分けてきたつもりなんですけどね。
「ありがとうございます」もおいらはよく使う言葉なのですが、それでも迷惑を掛けることの方が多いので「すみません」を多用してしまいます。
教育して下さっている人の言葉を借りるなら
「介護の仕事でいちいち謝っているときりがない」
「成長して貰いたいので言っているのだから『ありがとうございます』と言って貰いたい」
ということでした。
確かにその通りだと思われます。
もう少し書きたいことがあるのですが、今から少し出かけますので帰ってきてから書きます。
仕事そのものは良いのですがね。
職員同士の感情的なことが問題になっています。
介護というのはお年寄りをCareする仕事ですが、お年寄りが機嫌を悪くする原因として
「介護をする職員の対応」
である場合が少なくありません。
確かにお年寄り同士の性格の不一致などで気に入らない所があると毛嫌いするようになっていくのですがね。
こういったことの原因というのは取り成しを行う職員の対応に問題があって性格の不一致を大きくさせていることがあるんですよ。
性格的においらはかなりCoolに対応するようにしています。
ただ失礼の無いように、尊敬の念を込めて対応するというのは決まっていますからな。
お年寄りだけではなく職員同士でもお互いがお互いを認め尊重しあうというのは当然のことではないでしょうか。
感情に流されているとどうしても接している人間に伝わりますからな。
その点でおいらは周りの人間がいらいらしていても平静に居られる性格になってきました。
鬱病を患ったからこそ解ることもありますし、見えてくる所も多々あります。
感情を汲み取るというのは非常に難しいことですし、自分が感じたモノではければ汲み取ることは出来ないのは確かです。
しかしSimulationすることぐらいは出来ますよね。
どういった環境でどのように感情を構築されていくのかを分析するとこれただ単に
「意思疎通が出来ていない」
「尊重してもらえていない」
「相手をしてもらえない」
などの「自己の重要感」を満たしていないだけの場合が少なくないのです。
「自己の重要感」というのは年寄り、特に老人ホームなどに入居している人は極端に小さなモノになっています。
短い時間でも短い会話でも尊重されるだけで事足りるのにそれを介護をする側の人間が理解できていないというのは悲しいことですね。
こういった教育は施されていかねばならないでしょう。
おいらは現在、デイサービスで働いているのですがね。
個人個人の感情をCareするというのは非常に難しいことです。
其れに加えて、出来ないことや障害があることに焦点が当てられがちですが、介護する側の人間としては感情的な部分の満足度を上げていかねばならないと思うのです。
基本的なServiceは確かに重要です。
入浴を介助することや食事の介助、排泄の介助などは重要であることはわかりきっていることです。
出来て当たり前、やって当たり前の仕事なのですからね。
おいらはこのあたりの事を未だ未だ出来ていないので偉そうに発言することは出来ないのですがね。
おいら自身が障害者としての観点で書くならば、おいらはおいら自身のことを考えてくれる人の方が嬉しく感じます。
そのような人が本当の友人だと言えるでしょう。
ずっとおいらのことを考え、おいらのことを思ってくれる存在を望んでいます。
でもそういう人間というのは居ないんですよね。
自分自身にそうならざるを得ないというのは現状でしょうか。
よって自分で自分を褒めるということを人はして行くようになっていきます。
性格によっては増長する人も居るでしょう。
自尊心というのは時に「諸刃の剣」で邪魔になることが少なくありません。
然う言えば、「すみません」というのがおいらの口癖のようです。
何事も迷惑を掛けると「すみません」といってしまうようです。
此方が取り敢えず謝っておくと物事というのはSmoothに行く事が多い事からこういう風な口癖になっていったようです。
『ただ「すみません」というのは良くない』と助言を戴きました。
「すみません」ではなく「ありがとうございます」と言っていかなければならないということなんですよ。
「すみません」は消極的な言葉で「ありがとうございます」は建設的な言葉であるという事を教えて頂きました。
確かにその通りだと思いますね。
おいらは使い分けてきたつもりなんですけどね。
「ありがとうございます」もおいらはよく使う言葉なのですが、それでも迷惑を掛けることの方が多いので「すみません」を多用してしまいます。
教育して下さっている人の言葉を借りるなら
「介護の仕事でいちいち謝っているときりがない」
「成長して貰いたいので言っているのだから『ありがとうございます』と言って貰いたい」
ということでした。
確かにその通りだと思われます。
もう少し書きたいことがあるのですが、今から少し出かけますので帰ってきてから書きます。