扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Mind Darkness No.111 2012.06.02

2012-06-02 17:52:51 | Depression,Melancholy & Thought
絶対音感という能力を持っている人にとって「不協和音」というのは耐えられない程の不快感を感じるようです............


これは絶対音感を持つ人にしかわからない不快感なのですがね。
人間にとって絶対的なセンスというのがあると思うんですよね。
よってそのセンスに合わない人は非常に不快な存在になって行きます。
何故これほど不快に感じるのか解らなかったのですがね。

先日ドラマの「ATARU」を見ていて絶対音感の能力の難点を抱え生きていく苦しさが描かれていました。

よくよく考えていくとこういう事って日常の中での生活でも多々ありますよね。
自分の「審美眼」から見て酷い人間と一緒にいる事の苦しさや辛さは本当に大きなものがあります。
そして他の人に理解してもらえない原因がようやく理解できたのですからね。
多少のスッキリ感と大きな絶望感を味わう事になりました。

ここ最近で少し口に出してしまう言葉があります。

「美しくない」

という言葉です。
家族がする行動には率直に言えるようになっているのですが、他人に関しても本当に沢山の事で「美しくない」事が多いのには苦痛を感じます。
心の中で「汚い」とか「汚物」のように感じる事が本当に多いのは辛いんですよね。
・ 「合理的」とか「効率的」では無い
・ 「複雑」とか「多様」が美徳とされる風潮
・ 「無意味」とか「単純」、「流される」という行動原理
・ 「意義」や「原則」を応用できない人間
・ 「予測」や「予想」、「将来の発展性」を何も考えない事
と言った事でしょうか。
上記を見ると一見すると「矛盾しているじゃない」と思われる事がありますね。
「複雑」を否定しておきながら、「単純」も否定しているところです。
しかしこれはおいらの中では矛盾していません。
複雑な事象を「単純」にできる能力をおいらは評価しますが、”単純に”言われたから行動するという事が嫌いなのです。
まずは頭をくぐらせ、自己判断で行動するべきだと思うんですよね。
それが出来ない人間があまりにも多くて「美しくない」と思うんですよ。
「書かれている」から「正しい」のではなく、「道理にかなっている」から「正しい」のです。
それを訓練された自己判断ではなく「書かれている」事を鵜呑みにして直ぐに結論を出そうとする人間が嫌いなんですよ。

自分が学んだ事柄を全て吟味し
人生経験で自分が知らない事柄もあり
人が抱える問題と一生懸命に向き合っている

のを見ようともせずに

「結果だけを見て判断する」

というのは非常に愚かな日本人的な考え方だと言わざるを得ません。
現在、「出来る子供は知っている本当の算数力」という本を読んでいるのですがね。
この中に興味深い表現がありました。
概ねでおいらの考え方と同じでしたがね。
・ 日本人は「結論」や「結果」ありきでプロセスを見ようとはしない
・ 結果ありきなので間違いを恐れるようになる
・ 正しい事だけを認めて間違いから学ぼうとしない
・ 間違いからの方が学ぶ事が多いという事を知らない
といった所でしょうか。
人間とはそもそも不完全です。
よって「間違いを犯す事の方が多い」というのは少し大人として生活すれば理解できます。
そして「正しい」と「間違い」の2つではなく多くはどちらでもない事の方が多いというのは解りきっている事でしょう。
いわゆる「グレーゾーン」という表現ですが、多くの場合にはっきり結論を出したがる日本人は少なくありません。
波風を立てなくても良い所で波風を立て、それによって人を翻弄していることにその人自身が気がつかない質の悪い人間が多いのはどうしてなのでしょう。
日本人的で本当に嫌いな所です。

「勝ち負けを決める戦いは戦った時点で両者の敗北である」というニュアンスの言葉を最近見ましたね。
このごろは少し読書に力を入れている所でして、本を借りる事はもとより買うようになってきました。
読書というのは良いものですね。
読み切った時の達成感をここ最近は忘れていたのですが、読後感がたまらず心地よいのです。
アメトークで見たのですが、「読書芸人」の気持ちがわかるようになりましたな。
特にピースの又吉さんの感覚には共感しました。
本という物理的な形を突き抜けて浸る表現をされていたのですが、本当にその通りだと思います。
話がそれましたね。

たくさんの人間の行動基準として義務教育がなんという害悪をもたらしてきたのでしょう。
良い所を伸ばすのではなく、悪い所だけを矯正しようとしてきた教育の浅はかさですね。
そして逆に出る杭を打つ要領で良い所を殆どの場合に叩き潰してきた日本の教育制度は世界から見ると低い教育水準だと結論せざるを得ません。
良い所を伸ばしていかなければ、武器を持たずに戦場に放り込まれるようなものです。
武器というのは人間の自主性によって構築されるアイデンティティによって興されるクリエイティブな活動であるべきだとおいらは考えています。
日本人が社会に出て数年役に立たないのは学校教育が実践的ではなく、そして型にはまったものだからです。
自分で考えようともせず、自分で選択する事もせず、自分で行動しようともしない人間を量産している現状が日本の現在社会を作り上げてしまっている要因ともいえるでしょう。
人間が強くなれるのは

「目的を持ち行動する」

その志が高ければ高いほど困難が襲いますが、忍耐は人を強くし、より人間的に大きくなれるのです。
おおむねでおいらも含めてですが、人間の大きさを測る以前に行動できない人間があまりにも多すぎます。
志は大きいのに、忍耐が全くない人間を量産している現状もありますね。
「使い捨て社会」に関しては以前に書いた覚えがあります。
駄目であれば、それを捨てて他のモノにすれば良いという安易な考え方が「ファスト」というおしゃれな言葉によって容認されているというのは嘆かわしい事です。
海外の学校教育の素晴らしい点は

・ 自分で考え
・ 自分で結論を出し
・ 実践する

というところでしょう。
それが教育の場で取り入れられているというのが強みでしょう。
教育に関して日本に生まれて不幸だな~と考えますね。

もっと書きたいのですが、何日かに分けて向かっていますので収拾がついていません。
ということでここで一応アップします。
続きはどうなるか解りませんが、取り敢えずですね。

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