扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Mind Darkness No.112 2012.06.02

2012-06-02 18:06:51 | Depression,Melancholy & Thought
原発廃止に関しての考察...............................

現在の原子力発電所の在り方というのは非常に歪んだ方法で成り立っています。
交付金、補助金によって建っている地域を潤しているという現状が有るんですよね。
そしてそれが無くなると地域が立ち行かなくなるという理由で原子力発電所が指示されているという大きな矛盾を抱えているんですよ。
建つ前は反対していた人間も建ってから利益が還元され町が潤ってくるにつれて無ければならないモノなのだと考えるようになっているようです。
またずっと反対し続けている人たちにとって、福島の原発の結果は

「それ見たことか」
「制御しきれないほど危険なものだったでしょ」

と原発廃止の根拠の最大要因になっています。
しかし、原発の支持者たちは地域の利潤を考えると

手放せない
無ければ遣って行けないモノ

となってしまっています。
ここには

福島と同じような状態になるはずが無い

という論理が根底に流れているのは間違いないでしょう。
日本全体が何処でどのような大きな地震が発生してもおかしくないのにです。
福島に住んでいた人たちも考えていたのでしょう。
福島の原発の歴史は40年程度です。
よってこれだけ長い年月大丈夫だったのだから、

原発は信用できるモノ
原発は安全なモノ

という認識が有ったはずです。
特に地元の人たちはそう考えていたでしょう。
そしていざ降り掛かってみると、

こんなはずではなかった
なぜ愛した土地を追われねばならないのか

という気持ちが強いはずです。
それを見ているのに何故、自分の見には降り掛からないという楽観的な見方が出来るのか不思議でなりません。
人間というのは根本的に愚かなのだな~と感じますね。

今が良ければすべてよし

という風潮はいただけません。
人間というのは流れの中で生きています。
流れというのは多くの場合に自分の選択ではなく人が作り出したモノの中から強制的に選ばざるを得ない事が少なくないのですが、それを選択しない勇気というのが必要だと思うんですよね。
日本人は周りに流されやすい国民性です。

人が言っているならばそれが正しい

と考えている人が本当に多いのには驚くのですがね。
特においらが見てきた人たちは読んだり、見たり、聞いた事がすべてで自分で考えようともしない人間ばかりです。

何故そのようになったのか
何故そのように行動しようとしたのか
何故そのように選択したのか

といった過程などを無視して結果だけにしか結論を見いだせません。
結果がすべてだという愚かな人間が多いのは嘆かわしいですよね。
人間が示している傾向というのは概ねでこのような思考がパターン化しています。

多くの人がPassivityでConservativeなんですよ。
口を開けて待っているTypeの人間がおいらは嫌いなんですけどね。
おいらが好きな人はActiveでInnovativeもしくはProgressiveな人間です。
確かに守るべき所は守らなければなりません。
それは確かにそうでしょう。
しかし人間は進歩し続けなければなりません。
そうでなければ人間はそこで終わってしまうからです。
自分で考え、自分で作り出す側にならなければならないんです。
ここまで行って初めて世界的な「発言権」というのは与えられるはずです。
通り一遍の机上の知識だけでは論理的に発言しても説得力が無いでしょう。

“自分が”何故そのように感じるのか
“自分が”何故そのような結論を下したのか

という所で知識だけで結論を下す人間をおいらは信用しません。

貴方はどう感じるのですか?

と言う問いを絶対的に用いるべきでしょう。
そしてそこには自分の損得が加味されてはなりません。
自分の利益というのは最大にして最悪の思考の妨げになるからです。
日本が世界の中での発言権が非常に小さい要因はここに集約されているのでしょうね。

確かに知識は持っていて立派ですよ。
しかし自主性が無いんですよね。
自主という言葉は英語でIndependenceという言葉になります。
これには他にも「自活、一本立ち」などの意味が有ります。
日本は出来ないですよね。
奇麗な書き方をすると「アメリカの側近」
情けない書き方をすると「アメリカの金魚の糞、小判鮫」
そして国や役所の人間でさえ大企業や会社の利権を優先させる始末です。
その顕現として原子力発電所があり、現実問題として人間の生活に多大な影響が出ているにもかかわらず、電力会社の言いなりです。
本当に情けないですし、悲しいですね。

これも途中までの書きかけの記事です。
記事を書くモチベーションが低いときに書いているので仕方が無いですな。

原発再稼働がNEWSを賑わせているのを見ていると駄目だな~と考えてしまいますね。
私の考えとしては

人間は無かったら無いなりに生きて行ける

と考えています。
例えば携帯電話を例に出してみましょうか。
携帯電話が出現し、普及してから人間が直ぐに、安易に連絡を取れるようになりました。
その反面で「連絡がつかない」というだけの事で怒ったり、いらだちを感じる人が増えたような気がしませんか?
それが生活の中で当たり前になった途端に基準を引き上げすぎているような気がするんです。

何をそんなに急ぐ必要があるのでしょう。
人の生き死にの場合は別ですがね。
遊ぶ為に連絡して、それで怒るという事もあったりしますので理解が出来ないんですよね。
遊びというのは心をリラックスさせ楽しむ為の行動です。
それを怒る事から始めてしまうというのは、なんて損をしているのでしょうね。

電気も同様です。
その昔、電気というのはありませんでした。
さすがにおいらは家電に囲まれて育った世代ですので便利な道具の恩恵を受けてきました。
ただ電気が無ければ生きていけないのでしょうか。
日本では無理なのかもしれないですね。
外国では出来る事が国土が狭い為に出来ない事が少なくありません。
特に都心部では難しい事でしょう。
水源や排泄処理、調理の為の加熱などのライフラインを全て電気で賄っている過程では特にそうです。
ただ光源などは太陽とともに生きていけば不必要になりますよね。
ライフラインを重点的に保護するような電気の使い方をするならば今のような、電力不足というのは発生する事は無いでしょう。
日本は電力を無駄に使いすぎているのですよ。
それは街頭や町を歩くと明々とついているイルミネーション、ネオン、看板、自販機その他諸々を見ていると本当に思いますね。

無かったら無いなりに人間は生きていけるのです。
便利なものが出来たから後戻りするのが嫌だという固定観念、強迫観念があるだけなんですよね。
固定観念というのは人間として成長する機会を全くなくしてしまう事が少なくありません。
これは本当にもったいない事です。
何故これほど自分で考えなくなっているのかを吟味してみると、既に完成されている世界でしか生活していないからなんですよね。
GAMEの世界と一緒です。
GAMEの世界は造物主ともいえるクリエイターたちが想定している中でしか行動できません。
それと同様で生活のみならず、社会制度や法体系、殆ど全ての活動で既定の「世界観」が出来上がっているんですよ。
こういった世界でしか生きられない自分自身が息苦しく感じるんですね。
何故こんな所で生活をしなければならないのだろうと感じる事も少なくありません。

他人が作った世界観の中でしか生活できない生き方を考えるとまるで

刑務所に入れられ牢屋から出られない

と感じているんですね。
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この記事は原発関連の記事として書こうとしたのですが、途中で心情の事になったので「Mind Darkness」のカテゴリにしました。

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