勉強する時間を見ていると人の集中力というのが解ります............
大人というのは休むことの必要性を知っています。
しかし子供というのは休むことを怠けていると見なしがちです。
休憩の真価を知っているのであれば軽率な見方というのはなくなるはずなんですけどね~。
物事に集中しているならば時間というのはあっという間に過ぎています。
おいらの場合は知りたいことや学びたいことならば「休憩したい」なんて考えません。
でも効果的に学ぶ為には休憩を挟んだ方がより長時間学べます。
ここで書いておきたいことは休憩することはモチベーションが落ちることですし、再度物事に当たるまでにはもう一度物事をはじめるまでのロスがどうしても生じます。
数年とか数週間、数日といった長期的なことでは仕方がないのですと思いますがね。
短期的な目標......
そうですな.....1日内に終わらせることが出来る事は休憩なんて必要ないとか勝手に考えています。
近頃の子供達を見ていると「なんて効率が悪いのだ」と感じてしまいます。
これはゆとり教育に弊害なんでしょうね~。
10分と保たないのは見ていて呆れるというかなんというか.......
ため息をついている時間があればさっさと物事を進ませることに専念するならば、10分の1から20分の1ぐらいの時間で終わってしまう量です。
しかし色々な人と話をしていると、どうやらこの集中力の持続時間というのは大人の中でも非常に短い人が多いことが解ってきました。
おいらは要領が悪い方です。
またどうせ学ぶのであれば可能な限り勉強したいと思います。
そんなおいらは「うさぎと亀」という物語では明らかに「亀」でうさぎのように要領のいい人を見ていて羨ましいと考えていました。
でもいろいろなことを学んだり、年を経れば経るほど亀の方の良さというのが解ってきました。
亀の凄いところと言うのは継続的に物事を行い続ける集中力を有していることでしょう。
そして目的を見失わずに、つまり競争の初めから終わりまで「ゴール」という目標に向かって前に進み続けることでしょう。
要領よく物事を覚える人というのはいったん覚えてしまうと「こんなもんだろう」とか「これぐらいでいい」と自分の要領の良さに過度の信頼を置くことだと思います。
確かに「才能」というのはほとんどの物事では非常に強いアドバンテージだと思いますよ。
凡人はある一定の基準までしか達せず才能には叶わないかもしれません。
しかし物事を改善しようと努力し続けている凡人と努力をしない天才ではいつかは立場が引っ繰り返ることは「世の理」です。
努力をしている人というのは行動の端々でその片鱗というのがでます。
んで精通している人が見ると努力の度合いというのは見極められることまであります。
努力というのは人に見られる為に行うことではなく人に見せるモノでもありませんしね~。
確かに天才の才能というのは魅力的ですよね。
でもどちらを信用するかと問われるとおいらは努力をしている凡人を信用します。
天才の発想というのは確かに良いと思いますけどね。
世界を支えているのは凡人なのです。
なんだか集中力から精神論的な話になってしまいましたな.......
今日もなんだかんだで帰ってくるのが10時半ぐらいになってしまいました。
一人での行動ならば車の運転中にBlogのネタを考えるんですが、今日は生憎若者を乗せていましたので話をしていてなーんにも考えられませんでした。
明日も忙しい1日になりそうですな。
明日は事故で怪我した子の通院でMatsuyamaに行って参ります。
んでStationery Shopでインクを1個か2個買ってこようとか考えています。
んでいまクリスチャンの集まりで巡○○問中ですので帰るのも早く帰らなければならないようです。
食事招待をしているんですな。
いろいろと考えさせられることが多くてもっと時間を取って黙想したいことが多いのですが、流れを作って流していくことも重要だと助言を頂きました。
思いを停滞させていると新たなことが頭に入りにくいと言うことらしいんですな。
気をつけていきたいものです。
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