
いろいろと世間では言われていますよね~...........
・男は精神年齢が低い
・男は女性がいなければ何も出来ない
多くの女性はこう見ているようです。
確かに女性というのは何事でもそつにこなしますし、今までは男尊女卑が主流で女性は蔑ろにされていました。
おいらの価値観を少し書いてみようと思います。
男性は「理性(思考)によって動く」
女性は「感情によって動く」
ということです。
どちらが賢明な行動の仕方かというと「理性(思考)によって動く」ことでしょう。
断っておきますが、逆もまた然りで感情によって動く男性を見たこともありますし、思考によって動く女性も見たことがあります。
傾向として書いているのであしからず。
おいらの場合ですが、どんなに軽蔑されるような言葉を言われても直ぐには反応しないようにしています。
なぜなら今まで培ってきた信頼関係や因果関係なんかによってその言葉が発せられているはずだからです。
特においらの場合は軽蔑されるにたる行動を多々行ってきたはずですから言われても不思議ではないのです。
そしてもし心当たりがない場合にむかっと来るわけです。(笑)
いろんな観点で見てから対応するように心がけています。
後から怒りがわいてくるという事が起こるのが男性の傾向です。
出来ないときもありますけどね。(爆)
もちろん男性でも言われて速攻で爆発する人間もいます。
そしてそのような人の傾向として、すぐに怒鳴ったりして怒っていることを表現する人します。
怒鳴っていることに理由がある人は良いのですが、自分に非があるのに怒っている人を見ると子供だな~と思うわけです。
「ヒス」とか「ヒステリー」という言葉があります。
一昔は女性の専売特許みたいなイメージがありましたが、当然の事ながら男性もかなり起こします。
特に頭の固い人間に多く見られます。
「ヒステリー」の意味は「感情を制御できずに、激しい興奮・怒り・悲しみなどをむき出しにした状況」です。
男性がヒステリーを起こす状況は
・自分のプライドを激しく傷つけられること
・自分の考えを根本から否定されたこと
等に起因します。
女性が起こすヒステリーは
・夫の功績に疑問を投げかけられること
・自分の基準に叶わない人間に非難されること
などの原因の場合が多いようです。
これは女性が作られた目的に大きく影響されているように感じます。
聖書的に女性の立場というのは「男(夫)を補う」ことです。
よって夫の立場や地位によって考えが形成されてプライドが生じるのは必然といえるでしょう。
確かに男性というのはいつまでも子供の部分があります。
しかし女性にも子供の部分がないといえば嘘になるでしょう。
だれしも子供の過程を経てしか大人になれないからです。
そして癖なんかは子供の頃の経験から形成される事が多く、癖というのは男女問わずに見られます。
加えてコレクターアイテムなどを見ると男女の違いもよくわかります。
男性というのは子供の時に集めたものを大人になって集めることが多いようです。
子供の頃というのは金銭的余裕が全くなくて欲しくても買えなかったものが多かったですよね。
だから大人になってまとめて買ってしまったりするわけです。
いわゆる「大人買い」というヤツですな。(笑)
女性からすると酔狂にしか見えないかもしれません。
では女性はどうなのでしょうか?
女性というのは....特に日本の女性は「ブランド信者」が多いですよね~。
そしてこのような人はノーネイムのモノには価値を見いだせない人もいます。
ここで断っておきたいのですが、ブランドモノと普通のシャツの区別というのは「タグ」の有り無しだけの場合がある事を知っておいて貰いたいものです。
普通の質の良いシャツにタグを付けているのを見たことがありますからね~。
またそのシャツももらったことがあります。
ええ、タグ無しでですけどね。
価値基準というのはブランドが勝手に作ったイメージを先行させる事によって成り立っている場合があるということですな。
そして無条件でそのブランドだから買うという行動が、男性の子供の頃に集めたかったけど買えなかったものを買うのとどちらが心が豊かになるでしょうか?
ブランドというのは常に毎年新しいモノを出してきます。
それを盲目的に購入する方が子供じみていると感じるのはおいらだけでしょうかね~.........
確かに「ブランド信者」は男性でも多いですよ。
多いんですけど、女性よりはある程度はマシなのです。
かくいうおいらもブランド信者です。(爆)
でも子供の頃に欲しかったものを集める事というのは自分のルーツを少しかいま見れる貴重なことだと感じるんですよね~。
まあこれはおいらの男としての詭弁なのかもしれませんけどね。
差別について書いてみようと思います。
「男尊女卑」というのは今でも存在しますし、これはなくさなければならない慣習です。
今でも日本で男尊女卑がまかり通っていることにはおいらはついて行けません。
しかし以前に書きましたが、田嶋陽子さんのように女性の権利を主張するだけの人間によってもたらされた権利というのは、建前でしかなく完全に機能はしないことは確かです。
あの人の言うことを聴いていると彼女自身が被害者意識の固まりであり、男尊女卑を無くそうと言っている彼女自身が一番に女性を差別しているからです。
言えば言うほど説得力が無くなる人間っていますよね。
だから声高に彼女が女性の立場を主張すればするほど否定的に見られるようになり、彼女の発言というのは男尊女卑を促進しているように感じます。
もっと根本的に改善すべき事は多く、根源的な問題を提起していかなければならないと感じるのです。
「主張」と「問題提起」では聴き手の受け取り方が全く変わってきます。
主張というのは一方から他方の側への一方的な発言や言い分でしかありません。
また発言する人間たちの考え方しか反映されません。
よって聴き手からすると押しつけられているというイメージが強くて、全部を聴きたいと思う人は少ないでしょう。
それに対して「問題提起」というのは双方向(インタラクティブ)の発言が期待できます。
問題を示すことにより、聴き手に考える機会が生じるのです。
行うこととそれに伴う結果を聴き手に考えさせることが出来るなら、問題提起はその目的をほとんど達成したと言えるでしょう。
そして相互に考えることを発言し合うことによって理解が深まるはずです。
何事もまず問題提起がなされるべきであり、一方的な話し方をさけることを追求するべきなのです。
この手法は男尊女卑の問題だけではなくて様々な社会的問題に適応されていくべきなんですけどね~。
出来ている人を見たことはほとんどありません。
というよりほとんどの人は「知らない」のでしょう。
無知について考えると、ソクラテスやプラトンの「無知を自覚すること」等の哲学にまでなっていたりしますし、秀才が秀才たらしめる理由の一つとして自分の知らない分野このとを理解していることが大きいのですが、まあ今回は女性の立場の変化について書いていますのでこれぐらいにします。
女性が軽んじられる理由に「男性に対しての優越感」を感じていることははずせないでしょう。
女性差別には敏感な女性が男性差別をしている例は田嶋陽子さんのように山のようにあります。
男性への過剰な要求は男性差別に当たりますしね。
男性というのは性欲が女性よりも強いので女性にしてみれば子供に見えるのかもしれません。
男性というのは一生性欲が続きます。
よってどんなに年を取っている人でもやることが同じなので、子供扱いしようとするのです。
年を取っている人の場合は理性の効かない一部の男性だけですけどね。
逆に幼児虐待が多いのは男の子に対しての方が多いと言われています。
女性や女の子の性的虐待は表面化しやすいのですが、男性や男の子への性的虐待は非常に表面化しにくい傾向にあります。
また女性に対しては差別であると認定されていることも男性に対しては差別であると認定されないことも多いので明確なモラルが必要だと感じます。
おいらは男なので男の見地からしか書けないのですが、人間というのは知ったかぶりすることも多いですよね。
自分は大人で他の人は子供と見なそうとするのです。
振る舞いの点でも大人な感じをアピールすることが多く、他の人より勝っていることを示そうとします。
年相応の振る舞いというのは、どの年齢層でも必要ですからね~。
それを多少はわきまえなければならないのではないでしょうか?
同じ年齢でも女性の方が大人っぽく見えることがあり、精神年齢が実際の年齢よりも上の場合が多いですよね。
なぜこのような現象が起こっているのかを考えるに辺り、やはり「男尊女卑」の概念がはずせなくなります。
女性というのはある程度早い時点で親から自活する事を教えられる傾向があり、結婚によって家を出て行く心の準備を幼い頃から培わされてきました。
掃除や炊事、洗濯なども半ば強制的に覚えさせられて、女性は多くの点で早い時点で自活するようにして出て行くようにし向けられる傾向があります。
女性が大人っぽく見える理由はこうした早熟性を求められることから来ます。
それに対して男性が男となるには時間を要します。
仕事を覚えるのも、責任の取り方を覚えるのも社会に出てからしか学べないんです。
女性は器用なので仕事覚えも早いですし、早い段階で実戦力になります。
でもある程度経つと技術を高める能力というのは男性の方が勝るようになるようです。
全てとは言いませんが、仕事でその道の「顔」になっている人は男性の方が多少は多いですよね。
これは多分に男尊女卑の影響が出ているからなのかもしれませんが、仕事に対してひたむきな姿勢を示し、研究を熱心になるのは男性の特徴なのかもしれません。
これは男性の悪い点でもあります。
女性が覚えさせられる家事は男性も早い時期に覚えることができ、そうするべきだと思います。
これを出来る男性は女性から軽んじられることは減るでしょうしね。
逆に女性に対しての尊敬の念を培う事にも至るでしょう。
男尊女卑を良く訴える例として別性を名乗ることを主張し認められるようになってきました。
しかしこれを主張することは、別姓を名乗るようになった「起源」を知っているのと知らないのとでは全く別物になってきます。
これは中国や朝鮮半島に起源を発しています。
重要なのは女性が男性の名前に改姓しなかったのは女性の地位が高かったからではなく、
・男性側の家にも入れないほど地位が低かった
からなのです。
「wikipedia」にはこのことを知らない頭のいい人が知らずに海外の別性を理由に日本でも別性制度を作る理由にしたということですな。
無知なのに調べない人は愚かだと感じます。
もしこのことを知らない方が発言しておられるのであれば、その点を思いに止めて話してみることをお勧めします。
この事実をふまえた上でも、おいらは別に男性の性に変える必要はないと感じますがね~.....
しかし別性を名乗る際に子供が出来たときにどちらの姓を名乗らせるのか?という問題がついて回るので個人の選択の自由と言うことですな。
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夫婦別姓というのは、外国でのそういう起源が
あるとは知りませんでした。
ちなみに、近所で、夫婦別姓ではなく、夫婦が
三年ごとに、どちらかの旧姓になる人が居ます。
よく面倒くさくないなーと思います。
私は、時折友達の苗字で、よく呼ばれます。
それは、偶然私の旧姓です。
でも、間違って呼ばれても、自分とわかるので
別に訂正しません^^
男女差というのは、とっても面白いですね!
ところで、女性は女性に対して厳しいと言いますが
うちの娘は、女性に甘いです。
うちの主人は、男性に対して甘い評価をします。
私は、どちらにも、甘いです(おい)
相手の性別が違うほうが、評価が甘くなると思って
いましたが、違うんですね。
なんか、男尊女卑って、教育の高い女性がよく
口にするのですが、私にはわからないですね
確かに、逆差別的なにおいもします^^;;
いろいろと調べている中に名前の別姓制度の勘違いが偶然にあったんですよ。
でも3年度に名前を変える事の大変さを考えるとぞっとしますね~。
ハンドルネーム(HN)を変えるだけでも大変な思いをしますので実際の名前となると.......
男女差の厳しさ&甘さについても様々な見方がありますよね。
おいらの基準はやはりパイオニア(先駆け)的な存在を指示したいと思います。
たとえば女性の中で頑張る男性や男性の中で頑張る女性などです。
またひたむきさも大きいと思います。
動機が「女性には負けられない」とか「男性には負けられない」、「同僚には負けられない」、「年下には負けられない」、「ビギナーには負けられない」などプライドに起因するのはおかしいと感じるんです。
まあこれらによって多くの分野が伸びてきたは確かですから否定はしませんがね。
やはり仕事や物事に対して「そのことが好きだから技術を向上したい」とか「そのことをするのが楽しいからもっと良くしたい」という動機が、もっともその分野を向上させる動力となりますし、そうあるべきだとおいらは考えるのです。
その際に最も効果的な話し合いが問題提起だと感じたので記事で提案したんです。
まあ読む人がほとんどいませんので独り言みたいなものなのですが....
他においらの甘くなる理由ですが、「綺麗な人」や「可愛い子」等に甘くなりがちですな。(笑)
それと同じ状況にある人や、昔同じ状況だった人には甘くなります。
気持ちがわかりますからね~。
主張ですが、「高等教育を受けること=良識のある人」だとはおいらは思いません。
しかし知識のベースが大きい事に加えて、多くの見解を知っていますので発言したがるのでしょう。
物事をたくさん知っていることは人に自尊心をもたせますし、高等教育を受けたという自負があります。
そうなると人間というのはとにかく自分の言い分を言いたがるものですよね。
言葉に説得力を持たせるためには自分がその状況に甘んじている必要があり、その問題に対して真正面から取り組んできた過去を持っていなければなりません。
その点でモーセというのはすごいな~なんて感心しますよね。