昨日書いた事の詳細を書いていこうと思います....................................
まずはおいらの性格から分析して書いておいた方が良いと思います。
写真の話なのですが、撮るには結構性格が大きなポイントになってきます。
人物写真というのは何かしらの意思疎通をしなければなりませんし、もしそうしなくても顔見知りである事が望ましいと思います。
んでこうした意思疎通を行うに当たっては内向的か外向的かによって大きく違ってきます。
だから性格から書くんですな。
おいらは元来は臆病でおとなしいとよく言われていました。
他の人に何を言われても言い返せない性格で穏便に終わるのであれば別に良いとか考えていました。
後ろで指を指されても仕方がないと自分で考えていましたし、劣等感の固まりでしたからな。
これは小学生の中学年まで続きます。
でも余り怒ったりしない親に、それも理由がありちゃんとした怒るポイントがある際にしか子供をほとんど怒らなかった父上に怒られたことによって「変わらなければならないのだ」という自覚が発生し、変化する努力をするようになりました。
よって落ち度がない限りは悪口を言われたり、怒る理由がある場合に発言するようにしていくようになりました。
おいらは小学生、中学生と劣等生だったんですな。
それも半端じゃない劣等生で、漢字の暗記はできず、計算もめんどくさがり、夏休みの宿題に限らず、日頃出される宿題もしていきませんでした。
加えて忘れ物をしまくって毎日先生には怒られていました。
一日必ず一つは忘れていく人間だったんですな。
でもこうした習慣というのはちゃんと評価し、対処の方法次第では忘れ物というのは減るものなのだと今考えると解ります。
つまり先生の教育方針に大きな問題があったという事ですな。
教育というのは強いられてするものではなく、自発的に、そして能動的に行うモノでなければ成長の度合いは世間一般の平均的なモノしか期待できません。
それに対して自発的に物事を行う動機を有している人の行動というのは効率的で最善を尽くし、物事を早く処理しようとするでしょう。
強制的な仕事と能動的な仕事の違いは歴然としていて同じ仕事でも質が異なる事は当然の事なんですな。
................性格の事でしたよね。
ある程度の主張というのは必要で最低限有している権利を発言する事は当然の事なんですよ。
それが出来るようになり、中学生の時は劣等生として通っていたおいらが高校生では一転して一目置かれる扱いを受けるようになりました。
おいらは当然ながらこうした扱いを受ける事は嫌いですし、誰かの影に潜んでいた方が楽な性格なのですが高校生になるに当たってはクリスチャンであるという立場を強烈に親から責任付けられ、クリスチャンらしい振る舞いをしていかなければならないと言われていましたので従ったんですな。
これが鬱病の要因の一つに発展していくのですが、ちゃんと生活しクリスチャンとして生きる事は結構な負担となりました。
高校生の時がMaxに忙しかったのですが、高校生活をしているのに加えて資格の勉強もしていました。
そしてこれは周りから薦められて毎月70時間のクリスチャンとしての奉仕活動を行う事もしていたんですな。
分単位の時間を拾いながら生活し、やっと70時間入ったと思ったら次の月になると直ぐにリセットされて1から入れ直さなければなりません。
んで奉仕活動というのは人と絶対に話をしなければなりません。
こうなると外向的に外面が良くなる方法にも精通していきます。
加えて人の内心というのはどっろどろのところで幼い頃から中学生の頃まで生活していましたので察知する能力は子供の頃から強い部類にはいるようです。
この辺りの方たちの中ではおいらの家族は「感受性が強い」という認識があるようですな。
人が感じている事を察知する能力がある程度出来ていて外向的な性格に仕立て上げられてきた訳です。
でも根っからの性格は「内向的」でベースとなる思考パターンというのは「消極的」で「自己批判的」なのと、くよくよと考え続ける性格で
「このときあのようにしていたら良かった」
「あの人はどう考えていたのだろうか」
と考え続ける傾向は今でもあります。
まあ仕方がないのですがね。
対外的には外面では積極的で接しやすい人間を演じていたんですな。
人が感じているのと自分自身の本当の姿のズレ「=温度差」を無くしていきたいと今回考えたんですよね。
んで足下から見直していこうということで近しい知人から接していく事を心がけて2008.08.01ー2008.08.03の間は行動したんですな。
今まで自分が蔑ろにしてきた人たちと向き合い、誠心誠意を持って接しようと心がけたんです。
当然ながらこの三日間だけで関係を再構築できるほど接してきた人は少なくありません。
継続的に物事を行っていかねばなりませんが、一人の人間が出来る事というのは本当に少ないモノです。
1日目は場の雰囲気に合わせるのがやっとで、2日目からしかまともに人と接する事が出来ませんでした。
多分ですが、話の益を受ける事が難しかったのも場の雰囲気に馴染むので精一杯だったのでしょう。
そして2日目から具体的に行動をするようになりました。
撮影枚数としては、400枚程度しか撮れませんでしたが内容的には最善を尽くしたと言っても良いぐらいの出来だと家に帰って今日一日現像していても感じました。
今回接する事が出来たのはほんの一握りの方たちでしたが、それでも自分に強いて写真を撮る事をしなかったので楽でした。
加えて今までのおいらの写真哲学としては昨日も書きましたが、おいら自身を全て否定して写真を残せる方法を模索していたんですよ。
客観的に見て人がどう思うかを考えたりもしましたが、写真というのは撮り手の写真感が反映されて一人の人の写真を見ているとそのカメラマンの「エゴイズム」を把握できたりもします。
客観性を追求している人の写真というのは自分に厳しく、他の人に寛容な人なんですな。
加えて撮った写真というのは特に対「人」ではカメラマンの人柄というのが出てきます。
笑顔の写真が多く構えさせない撮り方が出来る人というのは大概が撮る事を強要する事はしない人でしょうし、親しみやすい人のようですな。
おいらはまだまだ未熟で今回の写真を見るといろいろと問題点がわかりました。
構図も甘かったり、ピントも甘かったり、シャッターぶれを起こしていたり、ぶれを起こしていたりとさんざんなモノでした。
でもこれは承知の上で撮ったのと今回の目的は人と接する事に重点を置いていましたので深刻に考えなくても良かった訳です。
昨年のおいらならかなりがっかりしていたでしょうな。
それと昨日も書きましたが、今回の目標としては「声掛け」にも気をつけました。
つい先日までの写真哲学から「自分自身にも分を持つ事を許した」という変化が伴い、声をかけるようにしたのです。
今までは声をかけてこなかったんですよ。
自分を否定して生きてきましたから、自分自身を認識されると相手に迷惑をかけると考えていましたからね。
でも少しでも自分が声を掛けても良いのだという「分」を持たせる事によりその「分」を有効に使おうと考えるようになった訳です。
声を掛けない方が「Reality」というのは断然生まれます。
でもそこには合意がありません。
おいらは以前にこのRealityを追求する点で共感したカメラマンがいる事を記事にした事がありました。
基本的な部分では今でもこの写真哲学は変わっていません。
「マナー」という点だけでも声を掛けるのは最低限の事だという事は認識していますがね。
そこには強い客観性を出す為に声を掛けなかったんです。
でも
写真に求めるモノで写し方というのはこんなに変わるモノなんだな~
と感心しましたな。
余りに厳しい見方というのは人を遠ざけ、人との距離がより遠くなってしまうんですよ。
人と近づき、人と接する為には写真を「撮る、撮らない」以前に、”普段から”声を掛けていく努力をしていきたいモノです。
まずはおいらの性格から分析して書いておいた方が良いと思います。
写真の話なのですが、撮るには結構性格が大きなポイントになってきます。
人物写真というのは何かしらの意思疎通をしなければなりませんし、もしそうしなくても顔見知りである事が望ましいと思います。
んでこうした意思疎通を行うに当たっては内向的か外向的かによって大きく違ってきます。
だから性格から書くんですな。
おいらは元来は臆病でおとなしいとよく言われていました。
他の人に何を言われても言い返せない性格で穏便に終わるのであれば別に良いとか考えていました。
後ろで指を指されても仕方がないと自分で考えていましたし、劣等感の固まりでしたからな。
これは小学生の中学年まで続きます。
でも余り怒ったりしない親に、それも理由がありちゃんとした怒るポイントがある際にしか子供をほとんど怒らなかった父上に怒られたことによって「変わらなければならないのだ」という自覚が発生し、変化する努力をするようになりました。
よって落ち度がない限りは悪口を言われたり、怒る理由がある場合に発言するようにしていくようになりました。
おいらは小学生、中学生と劣等生だったんですな。
それも半端じゃない劣等生で、漢字の暗記はできず、計算もめんどくさがり、夏休みの宿題に限らず、日頃出される宿題もしていきませんでした。
加えて忘れ物をしまくって毎日先生には怒られていました。
一日必ず一つは忘れていく人間だったんですな。
でもこうした習慣というのはちゃんと評価し、対処の方法次第では忘れ物というのは減るものなのだと今考えると解ります。
つまり先生の教育方針に大きな問題があったという事ですな。
教育というのは強いられてするものではなく、自発的に、そして能動的に行うモノでなければ成長の度合いは世間一般の平均的なモノしか期待できません。
それに対して自発的に物事を行う動機を有している人の行動というのは効率的で最善を尽くし、物事を早く処理しようとするでしょう。
強制的な仕事と能動的な仕事の違いは歴然としていて同じ仕事でも質が異なる事は当然の事なんですな。
................性格の事でしたよね。
ある程度の主張というのは必要で最低限有している権利を発言する事は当然の事なんですよ。
それが出来るようになり、中学生の時は劣等生として通っていたおいらが高校生では一転して一目置かれる扱いを受けるようになりました。
おいらは当然ながらこうした扱いを受ける事は嫌いですし、誰かの影に潜んでいた方が楽な性格なのですが高校生になるに当たってはクリスチャンであるという立場を強烈に親から責任付けられ、クリスチャンらしい振る舞いをしていかなければならないと言われていましたので従ったんですな。
これが鬱病の要因の一つに発展していくのですが、ちゃんと生活しクリスチャンとして生きる事は結構な負担となりました。
高校生の時がMaxに忙しかったのですが、高校生活をしているのに加えて資格の勉強もしていました。
そしてこれは周りから薦められて毎月70時間のクリスチャンとしての奉仕活動を行う事もしていたんですな。
分単位の時間を拾いながら生活し、やっと70時間入ったと思ったら次の月になると直ぐにリセットされて1から入れ直さなければなりません。
んで奉仕活動というのは人と絶対に話をしなければなりません。
こうなると外向的に外面が良くなる方法にも精通していきます。
加えて人の内心というのはどっろどろのところで幼い頃から中学生の頃まで生活していましたので察知する能力は子供の頃から強い部類にはいるようです。
この辺りの方たちの中ではおいらの家族は「感受性が強い」という認識があるようですな。
人が感じている事を察知する能力がある程度出来ていて外向的な性格に仕立て上げられてきた訳です。
でも根っからの性格は「内向的」でベースとなる思考パターンというのは「消極的」で「自己批判的」なのと、くよくよと考え続ける性格で
「このときあのようにしていたら良かった」
「あの人はどう考えていたのだろうか」
と考え続ける傾向は今でもあります。
まあ仕方がないのですがね。
対外的には外面では積極的で接しやすい人間を演じていたんですな。
人が感じているのと自分自身の本当の姿のズレ「=温度差」を無くしていきたいと今回考えたんですよね。
んで足下から見直していこうということで近しい知人から接していく事を心がけて2008.08.01ー2008.08.03の間は行動したんですな。
今まで自分が蔑ろにしてきた人たちと向き合い、誠心誠意を持って接しようと心がけたんです。
当然ながらこの三日間だけで関係を再構築できるほど接してきた人は少なくありません。
継続的に物事を行っていかねばなりませんが、一人の人間が出来る事というのは本当に少ないモノです。
1日目は場の雰囲気に合わせるのがやっとで、2日目からしかまともに人と接する事が出来ませんでした。
多分ですが、話の益を受ける事が難しかったのも場の雰囲気に馴染むので精一杯だったのでしょう。
そして2日目から具体的に行動をするようになりました。
撮影枚数としては、400枚程度しか撮れませんでしたが内容的には最善を尽くしたと言っても良いぐらいの出来だと家に帰って今日一日現像していても感じました。
今回接する事が出来たのはほんの一握りの方たちでしたが、それでも自分に強いて写真を撮る事をしなかったので楽でした。
加えて今までのおいらの写真哲学としては昨日も書きましたが、おいら自身を全て否定して写真を残せる方法を模索していたんですよ。
客観的に見て人がどう思うかを考えたりもしましたが、写真というのは撮り手の写真感が反映されて一人の人の写真を見ているとそのカメラマンの「エゴイズム」を把握できたりもします。
客観性を追求している人の写真というのは自分に厳しく、他の人に寛容な人なんですな。
加えて撮った写真というのは特に対「人」ではカメラマンの人柄というのが出てきます。
笑顔の写真が多く構えさせない撮り方が出来る人というのは大概が撮る事を強要する事はしない人でしょうし、親しみやすい人のようですな。
おいらはまだまだ未熟で今回の写真を見るといろいろと問題点がわかりました。
構図も甘かったり、ピントも甘かったり、シャッターぶれを起こしていたり、ぶれを起こしていたりとさんざんなモノでした。
でもこれは承知の上で撮ったのと今回の目的は人と接する事に重点を置いていましたので深刻に考えなくても良かった訳です。
昨年のおいらならかなりがっかりしていたでしょうな。
それと昨日も書きましたが、今回の目標としては「声掛け」にも気をつけました。
つい先日までの写真哲学から「自分自身にも分を持つ事を許した」という変化が伴い、声をかけるようにしたのです。
今までは声をかけてこなかったんですよ。
自分を否定して生きてきましたから、自分自身を認識されると相手に迷惑をかけると考えていましたからね。
でも少しでも自分が声を掛けても良いのだという「分」を持たせる事によりその「分」を有効に使おうと考えるようになった訳です。
声を掛けない方が「Reality」というのは断然生まれます。
でもそこには合意がありません。
おいらは以前にこのRealityを追求する点で共感したカメラマンがいる事を記事にした事がありました。
基本的な部分では今でもこの写真哲学は変わっていません。
「マナー」という点だけでも声を掛けるのは最低限の事だという事は認識していますがね。
そこには強い客観性を出す為に声を掛けなかったんです。
でも
写真に求めるモノで写し方というのはこんなに変わるモノなんだな~
と感心しましたな。
余りに厳しい見方というのは人を遠ざけ、人との距離がより遠くなってしまうんですよ。
人と近づき、人と接する為には写真を「撮る、撮らない」以前に、”普段から”声を掛けていく努力をしていきたいモノです。