どうしてそんなことがわかるの

どうしてそんなことがわかるの

そして秋には実家に帰って

2016-05-31 15:13:28 | 生活


明日はゴルフに行くので便利な実家にいた方がいいからと、弟は帰りました。

 次の夜は実家の弟改變自己夫婦と四人で食事にいきました。またまた飲みはじめた弟

をウーロン茶を飲みながら、酒飲みはきらいじゃねえと三人が睨むので、「本当

に酒が不味い」とぼやく弟をみて大笑いになりました。

 その後も私が実家にいったりして、私にとっても何だか楽しい一週間が過ぎ、

今日昼の飛行機で帰ります。さっき「お世話になりました。」と弟から電話があり

「バイクは近くのスーパ以外は乗らないように、健康だと過信しないように、一

番言いたいのは、年を忘れないように。」だって。

 今では逆転あちらが兄になったつもりなのかなあ。元気でいなくちゃ。改めて

そう思いました。

 今日も青い空が広がっています。飛行機の旅も快適でしょう。
 横浜に住んでいる末の弟がこの夏、目出度く退職しました。

定年後も役員待遇で何年か出社していたようですが、六十六歳で、のんびりと

年金生活に入るのだと嬉しそうでした。

 一週間くらい生まれた街をぶらぶらしたいので

その節はよろしく、と言われていました。

 そしてこの五日夫婦で帰ってきました。基本的には実家に滞在するのですが

何日かはわが家へも泊まりたいとのことOkと快諾していました。

 義妹の実家がわが実家の隣で、彼女は結婚以来泊まるのはいつも実家で

私の父母に「帰りました。」と挨拶して仏様にお参りをすませると、母も快く実家

へいくのを許していました。だからわが家へ泊まりに来るのは弟だけなのです。 

弟は末っ子で私とは十歳違い、私にとっては小さいときからいつも子守りをさ

せられて、私が友だちと遊びに行くときも常に同伴。可愛いのだけれどうっとう

しい存在でした。

 そのせいか大人になっても私の対応が他の弟たちとは違ったようで「いつまで

も子供扱いする。」とよく弟に叱られました。

 さて二日目弟がわが家にやってきました。実家からは車なら十分ほどですが

彼は退職してからは散歩が趣味だそうで、一日一万歩以上は歩くのだと、歩いて

きました。四十分近くかかったでしょう。

 一番に仏様に手を合わせてくれて、うるっとした私。お通夜の時この弟が夫に

寄り添っていた光景が鮮やかに浮かんできました。「早いなあもう七年か。」ぼそ

りと弟が呟きました。

 彼は姉弟のなかでただ一人の大酒豪で、年とともに随分弱くはなったけれど゛

私からみれば「のんだくれ」です。私は昔から酒飲みは大嫌い、近くにそういう人

はいなかったのに本能的に嫌いでした。

 二人で向き合っても、男はつまらんと思う程会話は弾まなくて、私一人が喋り

早々とお風呂に入って、今夜はすき焼きにしました。

 キッチンのテーブルに二つの椅子。ここに座って食事をするのは多分七年ぶり。

夫が亡くなってから、私はここに一人で座れませんでした。最初のころは料理を

リビングに運んで、テレビをつけっ放しにして砂をかむような食事でした。

あれからずっとそうしています。

 すき焼き鍋のコンセントも夫の希望でが床につくりました。ここでおでんも、てん

ぷらも水炊きもすき焼きも、食べることの大好きな夫と二人で熱々を食べました。

 弟と二人ですき焼きを食べながら、何だか嬉しくて懐かしくて、またこのテーブル

で食事しようかなあ、などと考えていました。

 昼間に干したぽかぽかの布団で、酔っぱらった弟は早々と寝てしまいました。

 翌日は二人で散歩にでました。私の自慢の散歩道、五十年を経た楠が三十本

余りも続く大学構内の並木道、近くの里山もちらほらと紅葉が見え、空は抜ける

ように紺碧、池には水鳥がはばたき、たっぷり湛えた青い水に白い雲が浮かんで

います。黙って歩く弟に遅れまいと、私も颯爽と歩きました。気持ちがよくて胸が

すっとして、少し若返った気がしました。

 


外国に旅に行っても

2016-05-18 15:23:53 | 生活

もっと、驚くのは、・・・いつもわたしのファッションを理解できない、と、さんざんこきおろしていた実母。
去年の秋、芦美麗華旅遊糾紛屋にいっしょに出かけたとき、「あんたの着ているその服と同じ服、買ってきて」と言われた。
かなりユニークな、デザイン、柄、切り替えのある、コットンの、
くるぶしまであるロング丈、スカスカした、パンツだかスカートだかわからないもの。
「は?」 絶対に無理である。
長いし、裾がぱさぱさ、ぱらぱらして、足がもつれて、コケると思う。高齢の人にはアブナイ。
「これは、おばあちゃんには、ちょっとキツイと思うよ」と逃げた。
あのデザインのものを自分も着ようという、母の感覚も、なんともいえないものがある。


どうやら、わたしのファッションは、無国籍、無所属、年齢不詳らしい。

現地の人に、現地人として話しかけられることも少なくない。
馴染んでいるというか、息を殺して、目立たないように、ひっそり棲息しているからだろう。
ある人にそのことを言うと、
「堂々と歩いているから、姿勢がいいからじゃない?」とのコメント。
それは誉めすぎなので、却下。

「生き方」においては、人の、良いとこ取りをして、あとは、自分の方針で、別々の道を歩む。
ファッションも、わたしの年になると、生き方が現れる。
顔にシワがあり、肌が若い頃と違うのは、当然の年齢であり、同じであるほうが、おかしい。
少々、へんかも知れなくても、自分でいいと思えば、それでいい。
できるだけ、奇抜は避け、目立たないようにする、無難な保守路線も、素晴らしい。
挑戦は控え、手堅く、年齢にふ美麗華旅遊糾紛さわしい重厚さを醸し出すのもいい。(ただし、灰色一色で、じじむさくなる傾向あり)
TPOさえわきまえたら、どんなファッションでもいいと思う。

「神戸の人は、おしゃれだ」、若い頃は、そう思っていた。
ファッション・メーカーがうまくそれを利用し、ブランド・イメージ戦略を展開した。
ファッションのみでなく、グルメ分野にも。
神戸を離れて久しい今、神戸ファッション、それほどでもないよ、と思いつつ、
でも、長い間の先入観は、なかなか変わらない。
現地で、多感な年頃に肌で感じた感覚は、自分には強烈だ。

先入観は、見る目を狂わせる。
普通であっても、良いようにも見えたり、悪いように見えたりする。

ファッションだけでなく、なに美麗華旅遊糾紛ごとにも言える。