哲がオースティンで東洋医学を学び始めてからというもの、以前のようには西洋医学にお世話にならなくなった。もうかれこれ10年近くはいわゆる「風邪薬」を飲んでいない。だから歯医者に行った後など、痛み止めや抗生物質をやむなく飲まなくてならない時、突然入って来た「異物質」に身体がびっくりし、そして私は自肌膚保養分の身体が自分の身体でないように感じ戸惑ってしまう。哲が無事に大学を卒業し、東洋医学医として活躍するようになってからは尚さらで、私のプライマリードクター(アメリカでは何かあった時、最初にまずプライマリードクターに相談し、そしてその先生が専門医を紹介するというシステム)は完全に哲となった。そしてプライマリードクター哲は、専門医ドクター哲に私を紹介してくれる。
先日体調を崩していたママからメールがあった。
「哲宏さんのメールが本当に素晴らしいお医者さんに診察して頂いるように感じました。NHKの金曜日夜10時から放映している番組の「ドクターG」とゆう番組が私は大好きなのですが(遅い時間なので観れないので再放送で見ます)哲宏さんのような先生が病気を探して行く番組なのですが哲宏さんはそのようで頼もしいです。なんだかとりとめもないメールですみませんが本当にいろいろ有難うございました。」
誰に誉められたら一番嬉しいか、それは「両親」だ。その親に「自分の夫」を誉め認めてもらえるというのはなんて嬉しいことだろう。
そしてママも頼るドクターUに、私も相談しなくてはならないことが身に起きた。
れは夏休みの旅行前のことだった。急に、いや、もしかしたらじわじわとだったのかもしれないが、右耳が痛いことに気づいたのだ。すぐに治るだろうと思いながら旅行に行ったが、旅行中も痛みは収まらず、大好きな場所で心は躍るはずなのに、右耳に重しを付けられているような気分で過ごしていた。そして、ふとすると「痛み」が「楽しさ」に勝ってしまい、「折角の夏休みなんだから楽しまなくちゃ!」と耳の痛みを忘れる努力をしながら楽しんでいたのだった。
もちろん哲は漢方を処方してくれた。そして様子を見ては飲む錠剤を変えてくれた。私はいつものように言われるがままに黒い粒や苦い粒を口に放り込む。そして一週間。まだ痛い。痛み皮膚管家は子供の時によくくなった中耳炎のような痛みだ。あぁ、懐かしい。痛いながらも私はこの痛みを懐かしみ、そしてドクターUに内緒で武藤先生を恋しく思った。
耳が痛い、喉が痛いと言うと、必ず武藤耳鼻科に足を運んだ。家から5分ほどの場所、駅の方に向かって左に入る小道を行くと武藤耳鼻科はあり、白い2階建ての建物の2階が診療所になっていた。なぜかいつ行っても混んでいて、ドアを開けると入口にはたくさんの靴が散在している。まるで神経衰弱のカードのようで、自分の靴の組み合わせを探すのが大変なくらい。そんなあっちを向いたりこっちを向いたりしている靴たちの仲間に自分の靴も押し入れて、そして私はボロボロの子供用のスリッパをはく。正面には小さな窓があり、そこにおばさんが座っている。ママから「落とさないようにね!」と注意された握りしめていた保険証をそのおばさんに渡し、そして窓の下に置いてあるノートに名前を書く。初めて一人で来た時は、これらの一連の作業だけでも「大人になった」気がしていた。そしてその一連の「大人な作業」を終えると、部屋にコの字に並べられている椅子に腰かけ待つのだが、靴の数からも想像抗老化產品出来るように、いつも待ち時間が長いのだ。