鈴研音楽会HP
http://suzukenconcert.jimdo.com/
2014年5月29日の出来事でした。
名前「とらじろう」→タイガースの寅、弟の意味を込めて次郎
この子を友人宅から譲り受け取ったのが2008年10月16日のこと。
とても小さく可愛い姿はオスには見えませんでした。
それから大学に通いながらも、出来るだけ一緒の時間を過ごし、成長を見守って来ました。
実家でも多くの猫と過ごして来ましたが、この子は初めて自分の手で一から育てる子。
寂しい思いをさせてしまう事も沢山ありました。
それでも時に癒され励まされ、手を焼かされての生活はとても充実していました。
成長や病気、何もかもが新鮮で我が子というか可愛い弟の様な存在でした。
それから二年後。
子猫から立派な大人になったこの子に対して、ある決断をすることに。
・第5回アドルフサックス国際音楽コンクール(2010年)に行く為に約三週間家を空ける。
・祖母が飼っていた猫が失踪してから時間が経っていた。
この二つが重なった事により、可愛い我が子を祖母に託すことにしました。
失踪した猫の寂しさを埋めるのと、ボケ防止に。
もちろん、万が一祖母と相性が悪かったら帰国後また飼おうと思っていましたが…すんなり順応。
寂しさと嬉しさを交えながら、祖母宅に婿入り。
ちょこちょこ実家に帰っていたのでその度に会いに行きました。
昔から食っちゃ寝食っちゃ寝、
しかも運動しないので太る一方でしたが、顔を見る度更に大きくなる姿が微笑ましかったです。
祖母宅に行ってしまってからあっという間に4年が経ちました。
2014年5月26日
食欲があまりなく、便秘ぎみという連絡が入る。
季節の変わり目だし、夏バテかなんかだろうと自分、母親、祖母三者とも同意見でとりあえず様子見。
5月28日
三日経っても中々改善されない為、病院へ。
1キロ痩せていて(それでも5.5kg)
整腸剤と食欲増進の点滴して様子見。
5月29日
前日の診察点滴という刺激があったせいか朝から元気がなく、昼前に呼吸がおかしくなったと感じて祖母、病院へ。
血液検査とレントゲンの結果、
肝臓・すい臓などの数値が高く、
肺も半分動いておらず、心臓にも異常があり、いつどう悪化するかわからないという状況。
入院、酸素マスクして呼吸を落ち着つかせる。
ただの食欲不振や便秘のレベルじゃなく深刻な状況だったとのこと。
祖母曰く、
(けれど昨日いつもより確かにおとなしいとはいえ、十分おデブでやつれた感じもなく、毛並みも悪いとも思えず…まさか…と私も思ってます)
この連絡を母親から受けたのが19:42。
何となくそわそわしながらも、
事務作業に当たる。
21:58、母親よりメール。
------------------------------------------
21時10分 心配停止
今病院から祖母家に帰宅
余りに急過ぎて獣医さんにも死因不明との事
最終的には肺水腫
もしかしたら心臓に異常があったのかも…。
------------------------------------------
現実を受け止められないながらも、眠れない間に「とらじろう」の写真整理と当時とてもお世話になった人への連絡。
5月30日
午前の仕事を早めに切り上げさせてもらい、午後の予定を全てキャンセル。
新幹線に乗って祖母宅に直行しました。
キレイな顔と毛並み。
ただ、体温のない固まった身体がそこにありました。
抱き上げた瞬間、
色々な想い出や気持ちが込み上げて無様に泣きました。
今までも歴代の猫たちの死と対面して来ましたが、泣いた事はありませんでした。
初代「ミミ」と三代目「りん」は交通事故。
二代目「ブルー」は猫エイズ。
現在、四代目パーこと「パック」は13歳。
五代目六代目の「グー」&「チョキ」は8歳。
三匹ともバリバリ元気です。
「とらじろう」はまだ6歳半。
あまりにも早く、突然の事。
交通事故という不可抗力や、
長い闘病生活の果てとは違って本当に綺麗な身体だったのです。
どこにも持って行けない歯痒さや、やり切れなさが、惨めにも泣くことにしか繋がらず。
悲しみでこんなに流す程の涙がまだあったのか、と思う程泣きました。
4年間離れてたとはいえ、こんなにも自分に多くのものを与えてくれていたのだと気付かされました。
自慢の我が子、弟でした。
残念ながら祖母は息を引き取る瞬間にはバトンタッチの差で間に合いませんでしたが、体温が温かいうちに会えたことが救いでした。
自分も不幸中の幸いか、お別れが出来て良かったです。
2014年5月というのは近年稀に見る激動でした。
嬉しさと楽しさと、それ以上のプレッシャーや緊張。
今後への不安と劣等感。
だけども前へ向くと決めて踏み出そうと思った矢先の「とらじろう」の死。
正直、明日からなんてどうでも良い。
と思う自分がいました。
でも、それでも、明日はやってきてしまうのです。
自分に課されているものは待ってくれない。
演奏、レッスン、マネジメント、運営、その他の様々な仕事、人との付き合い。
生きていくためにはどれも欠かせない。
この悲しみを抱きながら生活して行かなくてならない。
こんなに辛いことがあるだろうか。
それほど自分の中で「とらじろう」という存在が大事な割合を占めていたのか。
今は悲しみのどん底。
それでも、あの子の分までしっかり生きねばと思いながらも挫けそうな自分と闘って行きます。
祖母は強靭でした。
それだけに心配です。
よく電話や会う度に「とらじろう」の話をしてくれました。
でも、自分の前では強かったです。
強くならなきゃな。
と昨日ずっと思っていましたが、
一晩明けて、一日過ごし、トラの分まで前を向いて頑張って生きようと決心しました。
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~鈴木研吾のプロフィール~
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とても小さく可愛い姿はオスには見えませんでした。
それから大学に通いながらも、出来るだけ一緒の時間を過ごし、成長を見守って来ました。
実家でも多くの猫と過ごして来ましたが、この子は初めて自分の手で一から育てる子。
寂しい思いをさせてしまう事も沢山ありました。
それでも時に癒され励まされ、手を焼かされての生活はとても充実していました。
成長や病気、何もかもが新鮮で我が子というか可愛い弟の様な存在でした。
それから二年後。
子猫から立派な大人になったこの子に対して、ある決断をすることに。
・第5回アドルフサックス国際音楽コンクール(2010年)に行く為に約三週間家を空ける。
・祖母が飼っていた猫が失踪してから時間が経っていた。
この二つが重なった事により、可愛い我が子を祖母に託すことにしました。
失踪した猫の寂しさを埋めるのと、ボケ防止に。
もちろん、万が一祖母と相性が悪かったら帰国後また飼おうと思っていましたが…すんなり順応。
寂しさと嬉しさを交えながら、祖母宅に婿入り。
ちょこちょこ実家に帰っていたのでその度に会いに行きました。
昔から食っちゃ寝食っちゃ寝、
しかも運動しないので太る一方でしたが、顔を見る度更に大きくなる姿が微笑ましかったです。
祖母宅に行ってしまってからあっという間に4年が経ちました。
2014年5月26日
食欲があまりなく、便秘ぎみという連絡が入る。
季節の変わり目だし、夏バテかなんかだろうと自分、母親、祖母三者とも同意見でとりあえず様子見。
5月28日
三日経っても中々改善されない為、病院へ。
1キロ痩せていて(それでも5.5kg)
整腸剤と食欲増進の点滴して様子見。
5月29日
前日の診察点滴という刺激があったせいか朝から元気がなく、昼前に呼吸がおかしくなったと感じて祖母、病院へ。
血液検査とレントゲンの結果、
肝臓・すい臓などの数値が高く、
肺も半分動いておらず、心臓にも異常があり、いつどう悪化するかわからないという状況。
入院、酸素マスクして呼吸を落ち着つかせる。
ただの食欲不振や便秘のレベルじゃなく深刻な状況だったとのこと。
祖母曰く、
(けれど昨日いつもより確かにおとなしいとはいえ、十分おデブでやつれた感じもなく、毛並みも悪いとも思えず…まさか…と私も思ってます)
この連絡を母親から受けたのが19:42。
何となくそわそわしながらも、
事務作業に当たる。
21:58、母親よりメール。
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21時10分 心配停止
今病院から祖母家に帰宅
余りに急過ぎて獣医さんにも死因不明との事
最終的には肺水腫
もしかしたら心臓に異常があったのかも…。
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現実を受け止められないながらも、眠れない間に「とらじろう」の写真整理と当時とてもお世話になった人への連絡。
5月30日
午前の仕事を早めに切り上げさせてもらい、午後の予定を全てキャンセル。
新幹線に乗って祖母宅に直行しました。
キレイな顔と毛並み。
ただ、体温のない固まった身体がそこにありました。
抱き上げた瞬間、
色々な想い出や気持ちが込み上げて無様に泣きました。
今までも歴代の猫たちの死と対面して来ましたが、泣いた事はありませんでした。
初代「ミミ」と三代目「りん」は交通事故。
二代目「ブルー」は猫エイズ。
現在、四代目パーこと「パック」は13歳。
五代目六代目の「グー」&「チョキ」は8歳。
三匹ともバリバリ元気です。
「とらじろう」はまだ6歳半。
あまりにも早く、突然の事。
交通事故という不可抗力や、
長い闘病生活の果てとは違って本当に綺麗な身体だったのです。
どこにも持って行けない歯痒さや、やり切れなさが、惨めにも泣くことにしか繋がらず。
悲しみでこんなに流す程の涙がまだあったのか、と思う程泣きました。
4年間離れてたとはいえ、こんなにも自分に多くのものを与えてくれていたのだと気付かされました。
自慢の我が子、弟でした。
残念ながら祖母は息を引き取る瞬間にはバトンタッチの差で間に合いませんでしたが、体温が温かいうちに会えたことが救いでした。
自分も不幸中の幸いか、お別れが出来て良かったです。
2014年5月というのは近年稀に見る激動でした。
嬉しさと楽しさと、それ以上のプレッシャーや緊張。
今後への不安と劣等感。
だけども前へ向くと決めて踏み出そうと思った矢先の「とらじろう」の死。
正直、明日からなんてどうでも良い。
と思う自分がいました。
でも、それでも、明日はやってきてしまうのです。
自分に課されているものは待ってくれない。
演奏、レッスン、マネジメント、運営、その他の様々な仕事、人との付き合い。
生きていくためにはどれも欠かせない。
この悲しみを抱きながら生活して行かなくてならない。
こんなに辛いことがあるだろうか。
それほど自分の中で「とらじろう」という存在が大事な割合を占めていたのか。
今は悲しみのどん底。
それでも、あの子の分までしっかり生きねばと思いながらも挫けそうな自分と闘って行きます。
祖母は強靭でした。
それだけに心配です。
よく電話や会う度に「とらじろう」の話をしてくれました。
でも、自分の前では強かったです。
強くならなきゃな。
と昨日ずっと思っていましたが、
一晩明けて、一日過ごし、トラの分まで前を向いて頑張って生きようと決心しました。
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